目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第422話 失恋の可能性

 《翌朝》


 鳥の声すら聞こえない、静寂の早朝。

 朝日が差し始めた、午前五時。


 {起きろ、アオイ}


 「……」


 アオイのイヤホンから、エスの声が無機質に響く。

 だがアオイは寝返りを打ち、お尻を掻いたまま、まだ眠っている。


 {まったく……おい、ムラサメ。お前は起きてるだろ。さっさとアオイを起こせ}


 「{今は無理ですぞ}」


 {どうしてだ}


 「{私は今、手と足を縛っていて地面に転がっている状態だからですぞ}」


 {……}


 ムラサメは、アオイが寝ているベッドの下に転がっていた。

 四肢を魔皮紙でぐるぐるに縛られ、身動きひとつ取れない状態で。


 「{勘違いしてもらったら困るですぞが、これは自分でやったのですぞ}」


 {自分で縛ったのか……それなら、俺が思ってるよりもっと愚かだな。アオイを守る役割のお前が、文字通り手も足も出ない状況を作ってどうする。そんなことも分からないのか}


 「……ふっ」


 一拍おいて、ムラサメは誇らしげに言った。


 「{我が君の美しさ、可愛さは常軌を逸している……同じ部屋に居て、どう耐えろというのですぞ?}」


 {……なるほどな。確かに、それは俺が悪かった}


 「{分かればよいですぞ。それにしても、我が君の寝顔を拝めないのは残念ですが……ここは静かに寝かせておくのですぞ}」


 {了解だ。では、俺たちだけで報告を行う。そちらから伝えてくれ}


 「{御意……まず一つ目。村で出される料理ですが、肉料理は“あの液体”をかけてから食べる形式。そしてスープ類も、主にその液体がベースになっているのですぞ}」


 {……まさか食べたのか?}


 「{フフン、こんな事もあろうかと、魔皮紙を準備していたのですぞ! これは舌に当てて魔力を通すと、食べ物を吸収してくれるのですぞ。味だけ楽しめて太らないという夢の道具……もともとはダイエットや味見用のアイテムですぞ}」


 {アオイにも渡してあるか?}


 「{もちろんですぞ}」


 {よし、次は?}


 「{二つ目……この村には、“儀式”と呼ばれる風習があるようですぞ}」


 {儀式?}


 「{はいですぞ。どうやら――“恋している者”は、その儀式を受けなければならないとのこと。そして……今日、それを受ける予定なのですぞ}」


 エスは一瞬、思考を巡らせた。


 ――だが、すぐにある“最悪の可能性”に気づく。


 {……待て。その儀式を受けるのは……まさか、お前じゃないよな?}


 「{三つ目の報告ですが――……}」


 「{我が君は……誰かに恋しているようですぞ}」


 その言葉を聞いた瞬間、エスの中の何かが切れた。


 通信越しにも感じ取れるほどの――殺気と、圧倒的な魔力の揺れ。


 空気が震え、空間ごと軋み始める。


 {……そうか。少し待っていろ}


 通信が切れた。


 「……」


 静寂に包まれる室内。


 「まったく……エス殿も、まだまだお子様ですぞな」


 ――昨日、アオイに“好きな人がいる”と知って、

  歯が砕けるほど食いしばりながら、夜通し泣いていた男の言葉とは思えなかった。













この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?