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第425話 サキュバスという魔族

 神殿の大扉をくぐると、そこは闇だった。

 扉が背後で“ギィィ……”と閉まりきると、まるで光そのものが存在しないかのような、完全な暗闇が訪れた。


 「【光源】ですぞ」


 ムラサメが魔皮紙を発動させ、淡い光が周囲を照らす。

 同時にアオイにも魔皮紙を差し出すが――


 「大丈夫。僕は見えてる……けど」


 「けど? どうかしましたか、我が君?」


 獣人化しているアオイの瞳には、暗闇の奥の景色まではっきり見えていた。

 だが、その景色が……異様だった。


 「……なにこれ、何もない」


 本当に、“何もない”のだ。


 床と壁と天井――ただそれだけが延々と続いている。

 柱も彫刻も装飾も、窓すらない。神殿とは名ばかりの、空洞のような空間。


 「何も……ない?ですぞ?」


 「うん。空間だけが広がってるって感じ。……違和感しかない」


 言葉を交わしながらも、二人は黙ってキング偽物――魔王の後ろをついて歩いた。


 静寂の中、靴音だけが響く空間を、10分ほど進んだ頃――


 「ここら辺ね」


 不意にキング偽物が立ち止まり、こちらを振り向いた。


 「……ここ? って言われても……何も変わってないけど」


 周囲は相変わらず、何の変化もない空間のままだ。

 ただの“床”に見えるその場所で――


 「ま、見てて」


 キング偽物が、コンコン、と足元を軽く叩いた。


 次の瞬間、床が淡く光を放ち、魔法陣がゆっくりと展開されていく。


 その中心から、ビー玉ほどの小さなガラス球が、音もなくせり上がってきた。


 「ビー玉……?」


 アオイが首をかしげた瞬間、その玉の表面からぬるりとした粘液がにじみ出てきた。


 みるみるうちにガラス球はスライム状の粘液に覆われ、最終的にはピンク色のスライムの姿へと変わっていた。


 「これは……?」


 アオイが、恐る恐る問いかける。


 その問いに、魔王ロビンはあっさりと――けれど衝撃的に、こう答えた。


 「これが、私の本体よ」


 「……え?」


 まさか、と目を疑う。

 だって――目の前にいるのは、踏めば潰れそうなただのスライム。


 けれどその透明な身体の中に、先ほどのビー玉がはっきりと見えている。


 そこに、魔王の“核”があるとでも言うように――


 「この玉を壊せば、私はこの世から完全に消滅するわ」


 ピンク色のスライムが、ビー玉のような“核”を震わせながら言う。


 「もともとこの“城”は――広大な空間の中にある、私の本体を探させるための造りなのよ」


 「……なんでそんな大事なことを、敵である僕たちに?」


 俺はつい、疑いを込めて問い返した。


 「言ったでしょう? “邪魔者抜きで話をしましょう”って。――これが、私の覚悟よ」


 堂々とそう言い切ったその声に、嘘は感じなかった。

 ここまで俺たちに何の攻撃も仕掛けず、むしろ導いてきたこと。

 そしてこの“何もない空間”の構造自体が、それを裏付けていた。


 ……これは、演技や策略とは別の――「本心」だ。


 「……分かった。で、その話っていうのは?」


 「そう来なくっちゃ♪」


 キング偽物が野太い声で嬉しそうに笑い、スライム本体もフルフルと震えた。

 どこか嬉しそうに、誇らしげに。


 「改めて自己紹介させてもらうわ。私の名前は【ロビン】。

 魔王様から“【バルゴ】”の地位を授かった魔王で、種族は――見ての通り、サキュバス族」


 スライムはぴょんとキング偽物の頭の上に飛び乗って、ちょこんと乗っかったまま続けた。


 「まずは、“話”の前に、さっき言った通り――この世界の“歴史”を少し、聞いてもらうわ」


 「歴史……?」


 「ええ。あなたたち人間が知らない、“魔族側”の歴史をね。

 本当はゆっくり座って聞いてもらいたいところだけど……この通り、何も無い空間だから我慢してちょうだい」


 「……」


 アオイは静かに頷く。


 ――この世界で、“魔王自ら”人間に歴史を語る。

 そんな前例、聞いたこともない。たぶん、俺が初めてだ。


 「むかーしむかし……何百年か、何千年も前かしらね。

 その頃、私たち魔王は、“誰が人間を管理するか”を巡って、世界規模の戦争をしていたの」


 「人間を……管理……」


 アオイの脳裏に、【スコーピオル】の光景がよぎる。

 培養カプセルに閉じ込められ、血を抜かれるだけの“食糧”とされた人間たち。


 「あのときの……」


 「そう。魔族にとって、人間は希少で、そして強力な資源なのよ。

 たとえば――“人間の血を飲むことで完全体になれる吸血鬼族”、

 “人間の身体を得ることで、この世界に干渉できるようになるアヌビス族”。

 こうした存在が、魔王として君臨していた時代よ」


 「……じゃあ、君も。人間が必要だったってこと?」


 「ご名答♪ サキュバス族は――この通り、**“身体を持たない種族”**なの」


 そう言って、キング偽物が頭の上を指差す。

 そこに、ピンク色のスライムがちょこんと乗っていた。


 「かといって、私が身体に“入る”からといって、乗っ取るわけじゃないのよ?

 アオイちゃんたちの会話を聞いてたのも――胃とか腸とかから、こっそりね」


 「へ……胃の中!?」


 「でも、私が体内に入ると、“神経”を刺激して、ある“症状”が引き起こされるの。

 ――アオイちゃんも、体験したわよね?」


 「う……うん」


 アオイは顔をそらしながら答える。


 「ですぞ!? まさか……!」


 ムラサメがアオイを見て絶句する。


 「ご、ごめん……実は、昨日の飲み物……」


 「す、すいませんですぞおおおおお!!」


 ムラサメはその言葉を聞くやいなや、パタンと地面に土下座した。


 「へ?」


 「まさかっ! まさか私が渡した魔皮紙が不良品だったとは……ッ!!

 このムラサメ、不覚……っ!想定しておくべき事態でしたぞ!

 すみませんでしたですぞおおお!!」


 ガンッ、ガンッ、と何度も何度も頭を床にぶつけて謝るムラサメ。


 「わ、わわっ!? だ、大丈夫だから!怒ってないから!話、聞こ? ね?」


 「……本当に、申し訳なかったですぞ……」


 ――実際は、ただ何も考えずに飲んだアオイの自業自得なんだけど。

 ここで突っ込んでも話が進まなさそうなので、アオイは苦笑いしながらムラサメを適当に流すことにした。


 「話、逸らしてごめん。……それで? その“感覚”を体験させたのって、何か理由があるの?」


 「その感覚――あれは、私たちサキュバス族には“存在しない”のよ」


 「サキュバスなのに?」


 アオイの思わず漏れた一言に、ムラサメはもちろん、ロビン本人までもが「は?」という顔になる。


 「……サキュバス“なのに”って。あなた、私以外のサキュバスに会ったことあるの?」


 「え、あ……いや、えーっと……」


 「ふふ。もしも会ったって言うなら、それは偽物ね。

 だって――“純粋なサキュバス”は、この世界に私一人しかいないもの」


 「……どういうこと?」


 「まあ、それも今から話すわ」


 「……うん」


 アオイは、あまりにも何もかも話してくるロビンに、逆に一抹の不信感を覚えた。

 ここまで“丸裸”になるような行動……その裏に、いったい何があるのか。


 「アオイちゃん、人間が“子どもを宿す”とき、何をするか知ってる?」


 「……そりゃ、“アレ”だけど」


 「そう、“アレ”をするでしょ? でも逆に、“アレ”をしなきゃ、繁殖できない。

 人間の生殖って、すごく単純。快感があるからこそ、続くのよ」


 「…………」


 「でももし、“アレ”が痛みだけだったら? 苦痛しかなかったら?」


 アオイは、返事をする前にピンと来た。


 「……誰も、やらない」


 「そう。気持ちよくないなら、繰り返さない。

 つまり“快感”は“繁殖のトリガー”として、神が与えた最高のギフトなのよ。

 そしてその快感を、“私たち”は――持ってない」


 ロビンは一瞬、興奮気味にそう語ると、ふっと息を整えて言葉を続けた。


 「アオイちゃん、“好きな人がいる”って言ってたわよね?」


 「えっ……?」


 思わず固まる。

 それは、昨日。会話の流れを誤魔化すため、適当に“嘘”で言ったこと。


 だが今、その“何気ない一言”を掘り返されて、アオイは言葉に詰まった。


 横でムラサメが、苦悶の表情を浮かべながら、拳をギュッと握りしめる。


 「好きな人がいたら、どうしてもその人のことばかり考えちゃうよね?

 今、何してるのかな、どこにいるのかな、って」


 「……そりゃ、考える……んじゃないかな?」


 ――疑問系になるのは、理由がある。


 アオイは中学生の頃に女性恐怖症を発症し、それ以降“誰かを好きになる”という感情を持った記憶がない。


 ……いや。

 小学生の頃は、もしかしたら――そういう気持ちも、少しはあったかもしれない。


 でも今、その記憶すら、曖昧になっていた。


 「ふふ、恥ずかしがらなくていいのよ」


 ロビンが、やわらかく微笑むように言った。


 「“恋をしている人間”って、自分のことより相手を優先して考えるでしょ?

 私の能力――【DNA変化】は、その感情を読み取ることで発動するの」


 「……DNA、変化?」


 「そう。この粘液……私の身体はね、恋する相手の情報を“感覚と神経”から読み取って、相手の“好きな人”に変化できるのよ」


 「……そういうことだったのか」


 アオイは、ようやく理解した。


 なぜ“死んだはずのキング”が、何の違和感もなく目の前にいたのか。

 ――それは、アイという“媒体”を使って、ロビンがキングの姿に“変化”していたからだ。


 「そういうこと♪ まぁ……アオイちゃんを見てる感じ、偶然にも“この人”を知っていた、ってだけみたいだけど」


 「……昔、ちょっとだけ。関わったことがある」


 「ふーん……なるほど? ――じゃあ、話を続けるわね」


 ロビンの声が、今度は一段階低くなる。


 「私は、この能力で変化した後――相手と“行為”をする。

 そうすることで、相手には“子”が宿るの」


 「……!」


 「その子は、私の粘液の一部……つまり、“サキュバスとしての要素”を受け継いで生まれてくるわ。

 ――それが、私たちサキュバス族の“繁栄方法”なの」




 アオイは、言葉を失った。


 ロビンの言っていることは、確かに理屈として正しい。

 “身体を持たない種族”が、身体を手に入れ、感情を読み取り、変化し、命を生み出す――


 それはまるで、“愛”や“本能”という人間の領域に、魔族が侵入してきているような感覚だった。


 「一つ……よろしいですかな?」


 ここで、初めてムラサメが魔王に問いかけた。


 「うん? どうぞ、何でも♪」


 「では、単刀直入に。

 その“繁栄方法”が本当なら――どうしてサキュバス族は、ここまで数が少ないのですぞ?」


 その問いは、ムラサメだけでなく、アオイ自身もずっと引っかかっていた。

 世界を支配していたはずの魔王――その一角が治める“村”にしては、あまりにも人が少なすぎる。

 それは、単なる違和感以上の謎だった。


 ロビンは、にこやかに――けれどあっさりと、答えた。


 「あぁ、それはね。すっごく単純な話よ」


 「――私、封印されてたの」


 一瞬、場の空気が止まった。


 「……は?」


 アオイが、思わず聞き返してしまうほどに、あまりにもさらっと言われた“事実”。


 「だからここ数百年?下手したら千年近く、活動できなかったのよ〜。

 その間、サキュバス族の増殖も完全に止まってたってわけ。

 ね?シンプルでしょ?」






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