「なっハッハッハ! “殺さずに捕らえろ”、か! 絶対に『ボス』は言いそうにないセリフなのじゃ!」
ルカは山を引き返し、再びセクシアル村へと舞い戻っていた。
ロビンがいなくなった影響か、体を蝕んでいた毒の感覚はすでに消えていた。
「それにしても、最初に来た時よりも……随分と歓迎されておるようじゃの〜?」
ルカの背には、“喧嘩上等”と大書された真っ白な特攻服。
異世界にあって異彩を放つその姿を前に、黒い着物風の戦闘服を着た獣人たち――その数、ざっと1000人が殺気を漲らせて睨みを利かせていた。
誰もがルカを敵と認識し、そして、殺意を露わにしていた。
「……ふふ、人間になってから忘れていたのじゃが、やはり気持ちが良いのう――大勢から殺意を向けられるこの感覚」
その声に、微かな興奮が混じる。
かつて“天災”と恐れられた存在――クリスタルドラゴン。
ルカがそう呼ばれるまでに、どれほどの討伐隊を葬ってきたかは想像に難くない。
それは人間に限らず、魔族にとっても脅威であった。
「……とはいえ、元の姿に戻ってしまうとお前らを殺してしまいかねぬからの……」
ルカはクイッと肩を鳴らし、にやりと笑う。
「ボスの命令は完璧に遂行する。それがNo.2たる者の勤めじゃからの。手を抜くつもりはないが……殺しは“今回は”ナシじゃ!」
次の瞬間――
バサァッと背中から、宝石のように輝く“クリスタルの羽”が展開する。
同時に、同じくクリスタル製の尾が地面をなぞるように出現し、空気がピンと張りつめた。
「さぁ、お前らのその“殺意”の目……それが“絶望”に変わる瞬間、楽しませてもらうのじゃ」
――そして、“戦争”が始まった。
「撃てえええぇっ!!」
咆哮と同時に、空を覆うように巨大な魔法陣が展開される。金色に輝く紋章が幾重にも重なり、その中心から――鋭く輝く“光の杭”が無数に出現した。
「ほう……超級魔法とな? ならば――受けて立つのじゃ」
頭上から降り注ぐのは、直径十メートル級の魔法陣から放たれる純粋な破壊。大型魔獣を貫くためだけに編み出された、殺意の結晶。
けれど、彼女――ルカは微動だにせず。
「なのじゃ」
その一言と共に、広げた片翼を盾に。
ズドン、と。
地響きと同時に舞い上がる土煙が、戦場を覆った。
「……やったか?」
誰かが呟く。だがその言葉は、希望ではなく“疑念”に満ちていた。
砂煙が晴れたその先――。
「ふぅ。あやうく、土に埋まるところじゃったのじゃ」
まるで散歩でもしていたかのように、ケロッとした顔のまま、ルカがそこに“立っていた”。
「っ……!! 怯むな! いくぞ、正義のために!」
「「「「「正義のために!!」」」」」
戦場が揺れた。無数の雄叫びが轟き、獣人騎士たちが一斉に武器を構えて突撃する。その背後からは、援護の魔法が幾百。光と炎と風が、波のようにルカを呑み込もうと迫ってくる。
けれど、そんな戦争じみた攻撃も――
「【クリスタルニードル】」
ルカはふわりと空へ舞い、笑う。
その笑みは、まるで“女王”。
上空から放たれるのは、幾千もの氷より冷たく、鋼より硬い、鋭利な結晶の矢。
「ぐあっ!」
「くそっ……うわあああっ!」
「ぬおっ!? 体がっ――!」
クリスタルニードルが、ひとつ、またひとつと獣人たちに突き刺さるたび、地に倒れ、苦悶の叫びが響く。
「ワシはな……触れた物の原子を、好き勝手に書き換えられるのじゃ」
ルカが指を鳴らす。その瞬間――。
「これは人間になって、“スクール”なる場所で学んだ成果じゃが……今では、こげな芸当も造作もないのじゃ」
矢が刺さった獣人たちの肉体が、きしきしと音を立てながら――変質していく。
毛皮が砕け、骨が光を帯び、筋肉がきらめく結晶に飲まれる。
そして、変化は止まらない。
「ひ、ひぃっ……!」
「や、やめ――やめてくれぇぇぇっ!!」
“それ”は苦悶の悲鳴を最後に、長方形の宝石と化した。
地面に無造作に転がるのは、もはや“人”の形ではなかった。
それは、ただの美しい“素材”。
「な、何だこれはっ……!」
獣人の一人が悲鳴を上げた。己の腕に刺さった結晶を振り払おうとするが、それは既に“生体の一部”として変質していた。
「安心せい。殺してはおらん。ただ――少しばかり、コンパクトにしただけなのじゃ」
涼しげな声が響いた。空から降りてきた蒼き女――ルカは微笑みながら言葉を続ける。
「これはな……命を宿した宝石じゃ。とはいえ、それは貴様らを構成していた“原子”を書き換えて、形を変えただけにすぎぬ」
ザリ……と足元の砂が鳴る。誰かが転がした“宝石”が光を反射してきらめいた。
「質量は変わっておらん。壊せば……戻すときに、何かが“欠けている”かもしれんのじゃがな」
ぞくり、と。近くにいた兵士たちの背筋を恐怖が這い上がる。
しかし、その恐怖は“届いていない”者もいた。
「構うな!魔法で押し切れぇ!」
後方の騎士たちが一斉に魔法陣を展開し、魔力弾を放つ。空を裂く光線がルカを目がけて殺到する。
「ふむ……確かに、魔力で構成された攻撃は、物理干渉による変質は出来ぬのじゃが――」
ルカはそう言って特攻服を脱ぎ捨てた__
__ボゴォンッ!!
直撃。爆風が空に花を咲かせ、白煙が広がった。
だが――。
「……そもそも、その程度の攻撃が、ワシに通じるとでも?」
風を裂いて現れたその姿に、騎士たちの目が見開かれる。
露わになったのは、美しいボディ。豊満な胸、引き締まった腰、そして何より――全身に走る蒼い鱗の煌めき。
それは、まるで“クリスタル”で編まれた装甲。
「では、そろそろ本気で掃除するのじゃ」
ルカの赤い瞳が愉悦に染まる。
「――【クリスタルグレネード】」
シュッ、と音を立てて飛び上がると、空から幾つもの結晶体を投下していく。
着弾と同時に炸裂し、無数のクリスタルの破片が周囲に降り注ぐ。
「ぐああっ!?」
「ひいいっ!!」
破片に触れた者は瞬時に悲鳴を上げ、肉体が結晶化。瞬く間に“モノリス”のような宝石へと変貌を遂げる。
紅蓮のルビー。深碧のエメラルド。透明なダイヤモンド――そのどれもが、かつて命だった。
「クァーッハッハッハ!! 圧倒的な力でねじ伏せるのは……最高に愉しいのじゃッ! のじゃのじゃのじゃぁっ!!」
狂気の高笑いが空を裂き、爆炎と光と悲鳴が交錯する。
やがて――。
「……ひ、ひぃ……」
戦場に残されたのは、崩れ落ちた家屋と、そこら中に転がる“宝石”たち。そして、震える一人の女の獣人だけだった。
「ヌシが……最後のひとりなのじゃ」
ルカはふわりと空から舞い降り、地に足をつける。
彼女の足元には、かつて命だった者たちの残骸――赤、青、金、透明の美しき結晶が、まるで死の園の花々のように輝いている。
「な、なんなのよ……っ!」
尻餅をつき、必死に手探りで拾った小さなナイフを、震える手でルカに向ける女。
だが、それはあまりに無力で――あまりに哀れだった。
「ほれ、これを返しに来たのじゃ」
ルカは転送魔皮紙を取り出し、そこから取り出したボウリング玉ほどのクリスタルを、女の目の前へポトリと落とした。
コツン、と澄んだ音が鳴る。
「な、何よこれ……!」
ルカは、にちゃりと口元を歪める。
爬虫類のような、歪で、どこまでも冷たい“笑み”だった。
「何って――」
「死んだお前の娘なのじゃ」
「――っ!!!!」
女の瞳孔が開いた。
地を這うようにして、手を伸ばし……恐る恐る、そのクリスタルを抱きしめる。
キン、と冷たい。まるで“氷の亡骸”のように。
「いやぁぁあああああああああああああああああああ!!!!!」
悲鳴が空を裂く。
「マレ子が……マレ子がぁっ!!」
女の獣人は、クリスタルを胸に抱き、涙と嗚咽で顔を濡らす。否定の言葉が幾重にも重なり、やがて狂気へと変わっていく。
「いや!いや嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌ッ!! 嘘!夢だ!これは夢に決まってる!!」
ルカは、ただ静かに、無言でその様子を見ていた。
「殺してやるッ……!!」
突如、女は魔法を暴発させる。光弾、火球、雷の矢――ありったけの怒りと絶望がルカへと向けられる。
「死ね!死ねぇ!この悪魔!偽神!最悪の女神!この世に存在しちゃいけないんだよおおおおおッ!!」
だが、全ての魔法がルカの前で霧散する。
「しね……しね……っ……!」
魔力が尽きた女は、ついには砂を掴み――それをルカに投げた。
「気は済んだのじゃ?」
穏やかな声。まるで、何も起きていないかのように。
「……なんで……なんで笑っていられるのよ!あんたは……人の娘を、誘拐して、殺したのよ!!」
「何を言うておる。まずワシは殺しておらん。あれは勝手に死んだのじゃ」
ルカの声は、あくまで事務的で、淡々としていた。
「骨のなくなったぶよぶよの肉塊なんぞ、抱えて運ぶ気にはならんじゃろ? この形にしといた方が……楽なのじゃ」
「嘘ッ!! あの子だけじゃない……私の仲間も!みんな、あんたが殺したんでしょッ!!」
「死んでおらんのじゃ」
ルカは、くすりと微笑む。
「ボスの命令で、殺してはならんことになっておるからの。ワシは忠実に従っておるのじゃよ」
「じゃあ……なぜ、私だけ……ッ」
女は涙を流しながらルカを見上げた。その表情は、怒りも、恐怖も、憎しみも通り越していた。
――ただの、空っぽな“絶望”。
そしてルカは。
まるでキスでもするかのように、女の顔にそっと顔を寄せる__
「理由が欲しいのなら……教えてやろうかの?」
女は目を見開く。恐怖、混乱、そして――理解不能のまま。
「お前が、ワシという遥か上の存在に……ちょっかいをかけたからなのじゃ」
「……は?」
「お前なのじゃろう? ワシにあんなモノを飲ませるよう、娘を使った張本人は」
「ち、違っ……あれは、魔王様の命令で……!」
言い訳を言い終える前に――ルカは何の感情もなく、手を振るような動作でクリスタルの剣を一閃。
ズブリ、と女獣人の片腕を貫いた。
「ぎゃぁぁああッ!!」
断末魔の悲鳴が、朝焼けの村に響き渡る。
「さっきから聞いていれば、腹立たしいにも程があるのじゃ……。ワシは“あの液体”を確かに飲んだ。お前は、それをワシに飲ませた。つまり、それは“攻撃”なのじゃ」
「そ、そんな……!」
「ならばなぜ、仕返しされぬと思ったのじゃ?」
「わ、私達は……っ、正義を行っていたのよ!悪を倒すための行動なら……しかた、ないじゃないっ!」
その言葉を聞いた瞬間――
ルカは“笑った”。
ニッコリと……“救いのない無垢な笑み”だった。
「――正解なのじゃ」
「……え?」
「ワシは生きているだけで、天災。世界から見れば、ただの“災厄”なのじゃ。お前らにとって、ワシは正真正銘の“悪”」
そう言いながら、ルカはパチン、と指を鳴らした。
その瞬間――
女が必死に抱きしめていた“宝石の形をした娘”が、音もなく粉々に砕け散った。
「――ッ!!あああああああああああああああああああああ!!!!!」
母は喉を裂くように叫んだ。
が、その声が空に溶けるよりも早く。
女の身体が、静かに“変わっていく”。
肌が硬質に。瞳が光を失い、肉体が鈍く輝く鉱石へ――
「――ぃ、い……」
最後の言葉を言う間もなく、女もまた、“命を抱いた宝石”へと変わった。
辺りには、宝石たちが転がっていた。
――それは、全て命だったモノの成れの果て。
「……愚かなのじゃ」
ルカはそっと、砕けた破片を踏みながら呟いた。
「災害には立ち向かうものではなく……嵐が過ぎ去るまで、ひっそりと隠れているべきだったのじゃよ」
ルカは裸の上から先ほど脱ぎ捨てた白い特攻服を身に纏った。
そして、耳元の通信魔皮紙を起動。
「{村の獣人は――全員“捕らえた”のじゃ。これよりそちらに向かうのじゃ}」
くるりと、ルカは踵を返す。
そこにもう、悲鳴も怒号も、命の気配すらなかった。
――ルカは、“自分の主人”の元へと、満足げに歩き出した。