「はぁぁあ!」
「させるかぁぁあ!」
――早い!
装備がなかったら確実に“お陀仏”だった。
ヘルメットが無ければ即死だった――って、ふざけてる場合じゃない!
アイさんと俺は、互いに拳をぶつけ合いながら隙を探っている。
だけど――強い。アイさんは明らかに格上だ。
かろうじて獣人化してるおかげで、十発のうち六発は捌ける。だが、残りの四発はまともに喰らってる状態だ。
ただ――大技だけは撃たせない。必死に足掻いて封じてる。
【糸】を素材にした俺のインナー装備。
これが衝撃を吸収してくれてるから、フルで喰らっても致命傷にはなっていない。……ただし、一箇所を除いて。
「ふん!」
「うおっ!」
――顔だ。
剥き出しの顔面だけは、ダメージをモロに受ける。
だから、俺はボクサーみたいにガードを固めて守り続ける。
「悪のくせに!我が《龍牙道場》の奥義を使うとは!道場の面汚しがッ!」
「さっきから悪だ正義だうるさいですよ!そろそろ僕も怒りますよ先輩!」
「うるさいッ!貴様にそう呼ばれる筋合いはない!」
アイさんはその場で踏み込み、飛び上がった。
拳を振り下ろしながら俺を狙ってくる――でも、その構えは見たことある!
「とうっ!」
俺は少しだけ下がり、靴の魔法を発動。
そのままアイさんと同じように跳躍して、地面から足を離す。
「ちっ……!」
拳が地面に叩きつけられた瞬間――ズン、と地響きが響いた。
周囲の地面がバキバキと割れ、亀裂が走る。
「やっぱり、【地割れ】」
出す前のモーションと、挙動は完全に【地割れ】。
でも――理屈が違う。
基礎だけは共通だけど、魔力なしで撃ってる?
あの師匠が教えなかった“裏技”が、まだあったって事?
「【魂抜き】!」
「くっ……【空歩】!」
「だと思ったぞ!」
「な……!?」
技の精度も知識量も、俺のほうが劣る。
空中でできるのは【空歩】くらい。アイさんには完全に読まれてた。
「くっそ!」
咄嗟に腕で顔を庇った――が。
「吹き飛べ!【地獄蹴り】!」
蹴りがガードした腕を叩き落とし、俺の体は空中で回転しながら墜ちていく。
地面が迫る。くそ、顔だけは守らないと……!
無理やり態勢を立て直し、後頭部を庇いながら背中から地面に叩きつけられた。
「……アニメの世界じゃないんだぞ……
こんなドラゴン○ールみたいなクレーター、自分で作るなんて……」
「はぁぁあ!」
「あぶねっ!」
アイさんが空中から、そのまま俺の顔を潰しに来た――それをギリギリでかわし、俺は転がるようにして立ち上がった。
なんだよ……本気で殺しにきてんじゃねぇか……!
段々と、【怒り』が抑えきれなくなってくる。
こっちは話し合いで終わらせようとしてんのに……!
そもそも――!
「そっちが魔王のところなんかに行くから、こうなったんだろ!」
「……!?」
「あ、やべ……」
声に出てしまっていた。
「違う!お前たちが来たからだ!」
……は?
その言葉が引き金になった。
胸の奥から、何かが一気に溢れ出す……これは――【怒り』
声に出した瞬間、抑えていた壺の蓋が吹き飛んだ。
ドロドロと、黒く濁った感情が、俺の中でとめどなく垂れ流されていく――。
「何が違うの?ねぇ?」
俺の声と顔――その異様さに気づいたのか、アイさんは構えを取り、こちらの出方を伺い始めた。
「お……お前たちが来たから……私の、幸せが……」
「僕たちが来なくても、それは――偽物の幸せだよね?」
「にせ……もの?」
「だって、キングさんはいない。本人じゃない。
まだ、キングさんを忘れて諦めて……違う男を選んだほうが、よっぽど“本当の幸せ”なんじゃない?」
「貴様に……何がわかるッ!!私の、何がッ!!」
アイさんが踏み込んで拳を振るう。
俺はその拳を、片手で受け止めた。
――なんだ、この湧き出る『力』は。
「わかるわけないよ。『僕』はお前じゃないんだから」
「っ!?」
……キャハッ。
伝わってくる、この女の――動揺。そして、恐怖。
食べたい。
「真実を見るのって、そんなに怖い?でもさ、これは現実だよ。
夢って、いつか覚めるもんなんだよ。……その時が来ただけ。わかってたでしょ?」
「くっ……!黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れえええっ!!」
「……」
「しまった!」
暴力でしか感情を処理できないこの鬱陶しい女の手首を、私は【糸】で拘束した。
考えなしに攻撃してくるから、そんなに隙だらけなんだよ。
「あのさ、君、師匠の孫だよね?……なんで、あの人を見習わなかったの?」
「アイツも裏切り者だッ!!
神聖なる道場に人間を紛れ込ませていた!
しかも、獣人になれる魔皮紙なんか使って……私たちを騙してたんだッ!くっ、この糸を……ほどけッ!」
「あっそ♪」
私は、静かに“獣人化”を解いた。
「お、お前……」
「ざ〜んねんでした♡ 私も“その中の一人の人間”で〜す……キャハッ♪」
「おおぉまぁぁあえええぇぇぇっ!!」
無理やり腕を動かそうとしたせいで、拘束の糸が食い込み、血が滲んでくる。
「君が、どんな目に遭って、人間をここまで嫌いになったかは知らないよ?
でもさ、“悪だ悪だ”って自分にとって都合の悪いもの全部ぶん殴って、自分だけが正しいって信じ込んで……それが“正義”? ねぇ?」
「っ……!」
……ムカつく。
何様のつもりなんだよ、この女。
――バチンッ!
目の前の“正義ヅラしたクソ女”を、思いっきりぶん殴った。
「正義って、何? 悪って、何?
何を基準に、何がリミット?
【神】が正義? 『女神』が悪? それって誰が決めたの?
何百年も前に人間に害を与えたから“悪”? それに『私』が関係あるわけ?」
「な、何を言って……」
「ほら、わかんないでしょ?
漫画とかゲームとかでよくいるよね?『私のことわかるわけない!』って言うやつ。
――当たり前だろ。わかるかボケ。
自分を理解できるのは、“自分”だけ。
泣き喚く前に、とっとと起き上がって、現実と向き合えよ!!」
――あああああああああああああぁぁぁああああ!!!
止まらない。
【怒り】が、止まらない。
なんだよその目。
さっきまでお前が怒ってたくせに……今は怖がってるの?
怒れよ。もっと、怒れよ!!
「――いいこと、教えてあげよっか?キャハッ……
“キング”の本物は、もうこの世にいないよ?」
「ど、どういうこと……キング様は、どこかで……人間の奴隷に――」
「違う違う。
そのキングを殺したのは――“私”だから♡」
ブチッ。
何かが、音を立てて、壊れた。
クソ女の中で、大事に抱えていた“何か”が……完全に、千切れた音だった。
「ぎぃぃぃぃざぁぁあまぁぁあ!!!」
――斬ったのだ。
自分の手首を、拘束の糸を起点に、無理やり。
【糸】は切れない。だから、抜け出そうとすれば――斬れるのは、“肉”のほう。
当然だ。強度の違いは歴然。
その結果――骨が露出した腕で、
その女は、私の顔面を――殴ってきた。
グシャッ
「!?」
「……? どうしたの?そんな顔して。もしかして――」
「『私』が、避けるとでも思った?」
クソ女の拳を――私は、避けなかった。
剥き出しになったその腕の骨は、
私の眼球を貫通し、そのまま奥へと突き刺さっていた。
「く……狂ってる……」
「え? 狂ってる? 何が?
君が攻撃して、『私』が受けた。……ねぇ、それの、どこが“狂ってる”の?」
私は笑顔で、クソ女の腕を掴んだ。
――そして、自分の眼窩に突き刺さった骨を、そのまま掻き回す。
「……ぁ、っ……キヒッ……キャハハハハハ! 気持ちいいぃぃぃ!」
グチュ、グチュ、と。
自分の中を、骨で――掻き回す。
きっと、手首のないその先から、私のナカの温もりも、感触も、全部伝わってる。
「ねぇ、裸だからわかるよ?
……ほら、鳥肌、立ってるよ?」
「っ!? !?!?」
「……安心したよ。あなたの“怒り”、収まったみたいで♪」
「ひ、ひぃ……お、お前は……本当に、狂ってる……!」
「うん♡ 狂ってるよ。狂ってなきゃ、やってられないじゃん。
……ということで、返すね――この“痛み”を」
「え……?」
私は、ズブ、と腕を引き抜き、アイをそっと押した。
力なんていらない。
彼女は抵抗もできず、尻餅をついて地面に崩れ落ちた。
怯えきった目で、私を見上げてくる。
ああ、その目、いいね。潰したくなっちゃう。
「――《イミティエレン》」
「っっ……わ、私も……傷つけなきゃ……同じように、しないと……あ、あぁ……」
その時だった。
クソ女は、自分の剥き出しの骨で――自分の片目を、突いた。
「ぁ、ぁぁぁぁああああああああ!! いた、ぃ……いたいぃぃぃぃぃ!!」
「キャハッ……キャハハハハハハハ!!!」
あぁ、面白い……!
《イミティエレン》。
それは“女神の呪い魔法”――
“私が受けたダメージと同じ苦痛を、自ら受けなければならない”
――そう、無意識に、そう“思わされる”。
そして相手が感じる『痛み』『恐怖』『混乱』。
それらはすべて――私の“魔力”となって吸い取られ、
私は、傷一つなく、完全に回復していく。
「あ、ががっ……目を……目の奥をもっと……ぁぁああああああ!!」
――目が、再生した。
私は完全に回復していた。
あぁ……たまらない。
女が苦しむ姿って、なんでこんなに楽しいんだろ。
楽しい……楽しい……ざまぁみろ。ざまぁ。
「キャハハハハハ! ごめんねぇ?
私は“痛覚”を“快感”に変えてたから、気持ちよかったけど――
あなたは直に“痛み”だもんね? ねぇ、痛いよね? 痛いよねぇ?」
「こ……殺してくれ……いたい……いたい……!」
「ふふっ、あらそう? じゃあ――
私は“優しい”から、望み通り殺してあげるね♡」
私は装備の中から、クナイを取り出した。
シビレ薬がたっぷり塗られた、切れ味抜群のクナイ。
「…………」
……ん?
なんで、シビレ薬なんて塗ってあるんだっけ?
…………そうだ。
“殺さないため”だ。
でも――どうして?
殺さないために、って……?
……違う。
“殺す”ってこと自体が、間違ってる。
そんな風に、どこかで思っていたんだ。
――なんだ……?
段々、意識が――スッキリしてくる。
「この感覚……“もう一人の『僕』”――か」
黙って首を差し出すように震えてうつむくアイさんを見ても……
さっきまでの怒りも、興奮も、何も感じなかった。
……俺の中の『怒り』は、一瞬で――食われて、消えていた。
「……その、ごめんなさい。【魂抜き】」
トン、と。
アイさんの首筋を軽く叩き、彼女を気絶させた。
「今回も……ある意味、“僕”に助けられたな……」
アイさんに回復用の魔皮紙を当て、俺はすぐに――ルカの元へ向かって駆け出した。