……強くしてくれ、か。
アオイと並んで山道を駆けながら、ふと記憶がよみがえる。
──あの日。
異常個体のメルピグに打ちのめされ、俺の人生が狂い始めた、忌まわしい始まりを。
《数年前》
「……ここは……どこだ」
目を覚ますと、そこはじめじめと湿った闇の中。
土臭い地下空間だった。
手首と足首には鉄製の拘束具がはめられていたが、それ以前に──
「……こんなモン、無くても動けないけどね……」
【限界突破】の反動。そしてメルピグに受けた凄惨なダメージ。
身体のどこを動かしても、激痛が走る。
「……まいったな、生きてるだけマシってわけでもなさそうだ……」
とりあえず、声を出してみる。
「おーい……起きたぞー。誰か、聞こえてるかー?」
拘束されているとはいえ、最低限の治療が施されている。
ここが“捨て場”ではないと信じたかった──
すると、頭の上から魔法音声が響いた。
{目を覚まされましたか、“神に見捨てられし子”よ}
「……は?」
唐突に届いたのは、魔皮紙を通した放送の声。
その呼び名に、思わず眉をひそめた。
{私は『女神の翼』──奴隷商組織の幹部、《レイロウ》と申します}
「なるほど……察するに、35番さんを回収するついでに、ボロボロの俺を拾ったってとこか」
皮肉が漏れる。
あれほど“35番さんを助ける”と宣言した俺が、その身を奴隷に落とすとはな──笑えない話だ。
{あなたの考えていることは解ります。ですが、ご安心を。我々はあなたを奴隷にするつもりはありません}
その言葉に反応するように、手首の拘束が音を立てて外れた。
そして、闇の奥から──
一つの小瓶が、ころん……と床を転がってきた。
「……」
瓶の中には、わずかに透明な液体が入っている。
{それは、どんな傷も瞬時に癒す“神の体液”です}
神の──体液?
まるでこの世界に神が実在し、その血肉を与えたかのような語り口。
──いや、そんなものは詐欺の常套句だ。要は、そういう名前の薬ってだけだろう。
「……」
それでも、今の俺には選択肢がない。
俺は無言で小瓶の蓋を開け、無味無臭の液体を──喉へ流し込んだ。
「……ふぅ……」
骨が繋がっていく感覚。
裂けた内臓が自己再生するように修復される。
まるで自分の身体が時間を巻き戻しているかのような……そんな奇妙な感覚だった。
{どうですか? 楽になりましたか?}
「……はい」
ダイヤランク以上になった事ないので高価な回復薬を買った事ないので俺にとっては初体験の力だった。
{それは良かった。では──こちらを}
再び、目の前に魔法陣が展開される。
そこから転送されてきたのは、装備──武器と防具だ。
「これは……!」
手に取った瞬間に解る。
普段使っていた装備とは比べ物にならないほど、精度も強度も高い。
これは間違いなく、ハイグレードの戦闘用だ。
{それを装備して、正面の扉から進んでください。中でお待ちしております}
「……了解」
どういうつもりだ?
この装備を与えた上で、俺を部屋に通す……逃げようと思えば殺してでも突破できる可能性はあると、俺自身が思うほどに高性能な装備だ。
──それでも、この状況では従っておくのが得策だ。
「…………」
装備を身につけ、指定された扉を開く。
そこに広がっていたのは、だだっ広い無機質な空間だった。
壁に沿って並ぶ檻の中には、複数の魔物。
中には見たことのない種もいた。
「……なるほど。家畜として育てて、肉でも取ってるのか」
奴隷商の実態には疎いが、ここまでの設備となると……
──35番さんの救出も、並の覚悟では無理だな。
「……出来れば、アイツと一緒に……」
脳裏をよぎる、あの時の“相棒”の笑顔。
だが今は考える余裕すらない。
俺は冒険者だ。死と隣り合わせで生きてきた……相棒も同じ。
何が起ころうと、覚悟はできていた。
「来たぞ。何をすればいい? 魔物の世話か?」
{とんでもない。あなたにしてもらうのは──“殺し合い”です}
「殺し合い……? 魔物と?」
{いえ。対戦相手は……こちらです}
ガチャリ、と巨大な鉄の扉が開いた。
重々しい足音とともに、現れたのは──
「ここは……オイドン達の、たまご取ったとこど……?」
獣のような低音で呻きながら現れたのは、
全身を黒い毛に覆われた、大柄な獣人だった。
{奴隷番号、No.5。命令だ。目の前の人間を──殺せ}