「ちょっと……何ですか?」
「リリアさ、お兄さんのこと警戒してるでしょ」
シルヴィが小さな声でリリアに話し掛ける。
距離的に普通だったら聞こえない音量だと思うが、この身体になってからやたら耳がよくなっているせいか、余裕で聞こえていた。
「別に、私は……」
「隠さなくてもいいって。まぁわかるよ? 相手はよく知らない男の人だし、あたしら美少女だし?」
シルヴィが赤髪をサッとかき上げて言う。
角度的に顔は見えないけど、ドヤ顔してるのが目に浮かぶようだ。
「でもさ、あの人があたしらをどうにかしようと思ったら、とっくにどうにかなってると思うよ。弓矢とかナイフどころか、素手でも魔物を撲殺するような人だよ?」
「それは、そうですが……」
「でしょ? だから変に遠慮して印象悪くするより、素直に甘えた方がよくない? 悪い人じゃなさそうだしさ」
「……別に私も悪い人だとは思っていませんが、根拠は?」
「あたしの勘」
シルヴィが言い切ると、リリアは小さくため息をついた。
「言いたいことはわかりましたし、リリアの話も全部が違うというわけじゃありませんが、私はそれだけの理由で二人一組の見張りを提案してるわけじゃないので」
「じゃあどんな理由?」
「もう、さっき言ったでしょう? 一人だと万が一、寝てしまったとき大変なことになるって。あの人だって私たちと比べたら見た目は元気ですが、あれだけ戦って疲れてないはずないんですから」
「えー、そうかなぁ? 全然疲れてなさそうに見えるけど」
シルヴィが少し離れた場所の俺にチラリと視線を向けてきたので、慌てて目を伏せる。
実際、俺は全然疲れてないので、これに関してはシルヴィの方が正しい。
「でも、リリアがそう言うなら、そうしよっかな」
「ありがとうございます。……あと、前から思っていましたが、シルヴィは初対面の人にあんまり馴れ馴れしくしすぎない方がいいと思います。男の人には特に」
「あれ~? もしかして嫉妬してる? 大丈夫だよ、あたしはリリア一筋だから」
シルヴィがリリアの肩を抱いて頬を指で突く。
するとリリアは顔を赤くしながらその指を掴み上げた。
「真面目に聞いてください。私が言ってるのは……」
「いたた……わかってるってば。前、勘違いした冒険者の人がいたもんね。ん~、難しいなぁ。家を出るまで男の人と話すことってあんまりなかったから」
「貴族の付き合いでさんざん話していたのでは? 男の人の話がつまらなすぎて死ぬって嘆いてたでしょう」
「あれは人の会話じゃないから。定型句があって、それに沿って話さないと怒られるっていう苦行だから」
「そんな大げさな……って、話が逸れてますね。とにかく気を付けて。あと最初の見張りは私とあの人でやりますから、シルヴィは寝ててください。もう限界でしょう?」
「自分も限界のくせに、強がっちゃって~」
「そういうのはいいですから」
そうして話が一区切りついた後。
最初に話していた通り結局、見張りは二人一組でやることになり、初めは俺とリリアがすることになった。
暗い街道の脇で横になっているシルヴィのすぐ近く、森側で俺とリリアは並んで座る。ただ死角をカバーするため、俺は森の方を向き、リリアはシルヴィが寝ている街道の方を向いていた。ちなみに火を見ると魔物が寄ってくる可能性があるため、焚火などはしていない。
「…………」
「…………」
案の定、リリアとはまったく会話がなかった。
なんか思ったよりも本格的に見張りって感じだし、仮眠を取ってる人間がすぐ近くにいるっていう理由がちゃんとあるから、話さなくても個人的には気まずくない。
ただ……さすがに一言、二言ぐらいは会話した方がいいか?
シルヴィも寝息が聞こえ始めてからそこそこ経つし、小声なら起きたりはしないだろう。
そう思いながらチラリと隣のリリアを見る。
「……っ、……っ」
頭がゆっくり下がって……ガクッとなって起きて、下がって……ガクッとなって起きて。リリアは今にも寝落ちしそうになっていた。
……あれだけ『万が一、寝ちゃったとき大変なことに~』って言ってた本人が寝そうになってる。
いや、自分が寝てしまうかもしれない自覚があったからこその提案だったのかもしれない。実際シルヴィと同じく、彼女も疲労が限界だったのだろう。
俺は全然眠くないし、これはそっとしておいた方がいいな。
〇
そして早朝。
小鳥の鳴き声が聞こえ始めてきた頃。
「寝てしまってごめんなさい!!」
「いやいや、俺も全然眠くならなかったから」
自然に起きてきたリリアに謝られたが、問題ないと手を振る。
「いえ、そういうわけにはいきません。遅くなりましたが、今から寝てください」
「俺ならこのまま進んで大丈夫だよ。あと一日ぐらいなら歩き続けられるぐらい余裕」
強がりではなく、本当にそんな感じがする。
前世では一晩寝ないだけで極端にパフォーマンスが下がる体質だったので、本当に変わったものだ。
「ダメです! せめて仮眠は取ってください」
「そうだよ~お兄さん。グッスリ寝かせてくれたのは嬉しいしありがたいけど、でもその代わりお兄さんが一晩寝てないってなると、ちょっとねぇ……大丈夫かどうかは別として気になるから、今からでも仮眠は取ってほしいかなぁ」
断固とした態度のリリアに加え、シルヴィも柔らかだが強めの要請を出してくる。体調は本当に大丈夫なんだが……こうなると、断る方が無粋だろう。
「ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えて少しだけ仮眠を取ろうかな」
日が出ているので森側に近づき、木陰に入ってから枯葉の上で横になる。
枯葉が敷き詰められて地面が見えないぐらいだから、土汚れを気にしなくていいのは助かるな。
そんなことを考えながらフードを目深に被り、目を閉じると、すぐに眠気がやってきた。今さっきまで全然眠気はなかったのだが、自分で思っていたよりも疲れていたのかもしれない。
〇
「リリア、それは……」
「大丈夫、大丈夫。一晩起きてたんだから、そんな簡単には起きないって」
「そういう問題じゃないです……」
どれくらい時間が経っただろうか。
目深に被ったフードで暗くなっていた目元が、若干明るくなっているような気がした。
「どれどれ、ご尊顔を……って、なんだ、普通……っていうかむしろ美形じゃん。額に痣でもあるかと思ったのに」
「リリア、失礼ですよ……」
「そう言いながらリリアもバッチリ見てるし。なに、こういう顔が好きなの?」
微睡みの中から、意識が浮上していく。
ゆっくりと目を開け始めると、赤髪が視界に入った。
次の瞬間、ハッと気が付く。
視界が広い。フードの裾が掴み上げられている。
このまま完全にまぶたを開けると、恐らく正面の人物と目が合い、魔眼が発動してしまう。
一秒にも満たない刹那の時間でそう判断すると、俺は顔を横に向けた。
すると正面ではなく、そちら側に立っていた人物の綺麗な碧眼と目が合った。
あっ……やってしまった。
いったん目をつぶるか、起き上がってフードを目深に被ればよかったのに。
完全に寝ぼけてた。
次の瞬間、訪れるであろう変化に身を硬くしていると、目が合った相手である黒髪碧眼の魔法使い、リリアは申し訳なさそうな顔で口を開いた。
「ごめんなさい、起こしてしまったようで……」
「……ん?」
今までにあった、衝撃と共に目を見開くような感じや、態度の変化が見られない。
「あれ、なんとも……ない?」
「はい? 何がですか?」
キョトンとした顔で首を傾げるリリア。
なんだこの子、かわいいな……じゃなくて。
魔眼が効いていない。なんでだ?
俺側の要因か、それとも彼女側の要因か。
予想外の展開に思考を巡らせていると、俺と彼女の間にシルヴィが割り込んできた。
「なんだ~人の目、見れてるじゃん。なら次あたし……」
まるで宝石のような光彩の紅眼と目が合う。
直後、赤髪の少女剣士シルヴィは目を見開き、何か衝撃を受けたように身を震わせた後、硬直した。
例の如く、銃で撃ちぬかれたような感じ。
そこで俺は自分の迂闊さを思い知ると同時に、悟った。
なるほど……リリアに関しては彼女側の要因で効いてないっぽい。
俺の魔眼自体は健在だ、これ。