「狩人の男。貴様は残れ」
「……俺、ですか?」
唐突に呼び止められて思わず聞き返す。
今まで空気に徹してたから、残れと言われた理由がまったくわからない。
「貴様以外に誰がいる」
「ちょっと兄貴、なんのつもり?」
一度部屋を出たシルヴィが戻って、俺の前に立つ。
「いくつかこれまでの経緯を確認するだけだ」
「あのさ、一応この人は命の恩人で、案内の途中なんだけど。確認ってなんの話?」
「長兄からの頼みだ。お前は知らなくていい」
「えっ、マジ……?」
シルヴィはなぜか回れ右してドアの方を向き、すれ違いざま俺に小声で言った。
「なんの話かは知らないけど……目だけ合わさないように気を付けて。あたしは先に出る」
「それは構わないけど……」
さっきまでは俺が残るのを嫌そうにしていたのに、いいのだろうか。
そんな疑問を察したのか、シルヴィは小さく首を振って答えた。
「無理無理。話すだけ無駄だもん。こうなったら兄貴は絶対に引かないから。それじゃ」
シルヴィは一方的に答えると、部屋から出てドアを閉めた。
結局、なんのことだかよくわからなかったな……。
「狩人の男。ケイ、といったか。いくつか確認させてもらう」
領主様は執務机の引き出しから何やら紙を取り出すと、俺に質問を始めた。
出身地や、今までの拠点にしていた場所、シルヴィやリリアと出会ったタイミングや、二人を魔物から助けたときの出来事など。
「そうか……やはり間違いなさそうだな」
領主様はそう言って眼鏡を中指で持ち上げると、机の上にあるベルを鳴らした。
するとドアの向こう側にいたであろう誰かが立ち去る足音が聞こえてくる。
おそらく、じいやと呼ばれていたあの老人だろう。
……今のベルはなんの合図だ?
そしてあの老人は何をしに行った?
「あの……」
「私には不良な妹の他に、不真面目な兄がいてな」
俺が問い掛けようとしたとき、領主様はそれを遮って何やら語り始めた。
「不真面目で遊んでばかりのくせに、長男というだけで家を継ぐことが決まっていたものだから、昔は随分と疎んだものだが……ある日、私はその兄に命を救われた。そして兄は私を救った代償に、すべてを失い家を追放された」
領主様は昔を思い出し、懐かしさに浸るように話を続けた。
情感を込めてゆっくりと……まるで、時間稼ぎでもしているかのように。
「皮肉なものだ」
「……あの、お話がそれだけでしたら、俺はこれで失礼します」
領主様を前にして本当に失礼かもしれないが、嫌な予感がするので帰りたい。
「待て。普段であれば私もこんな不可解な依頼など聞かん。だが、富も名誉も受け取らぬ長兄の珍しい頼みだ。しばし……いや、間に合ったようだな」
ガチャリ、とドアを開けて部屋に入ってきたのは——
「失礼しやす、領主様。狩人の兄ちゃんも、さっきぶりだな」
「……どうも」
——ここに来る前リリアの家を訪ねてきた舞台監督だった。
「悪いなぁ兄ちゃん。素材屋でも言ったが、領主様の身内には逆らえねえからよ」
舞台監督はニカッと笑うと、ドアを開きながら横にずれて、次の入室者に声を掛けた。
「アンファングさん、この兄ちゃんで合ってますかね?」
「おう、合ってる合ってる。まさかこんな早く見つかるとはな。助かったぜ」
ベテラン狩人の中年男性であり、俺の師匠でもあるアンファングさんは舞台監督を労うように軽く背中を叩いた。
「そりゃもう。うちの劇団はお二人に食わせてもらってるようなもんですから」
舞台監督がそう言うと、アンファングさんの後ろから更にもう一人、女性が歩いてきて会話に加わる。
「それって劇の話ですか? だとしたらあれ、恥ずかしいからやめてほしいのですが……近頃、話もだいぶ変わってるみたいですし」
「いやー、最近は商会長も乗り気でして、『いいぞもっとやれ』と……」
「お父様が? ハァ……」
長い茶髪を後ろで纏めたアンファングさんの妻である女性、ジエナさんは小さくため息をつくと、俺の方を向いてニッコリと笑った。
「お久しぶりです、ケイさん」
「ジエナ、まだ二日しか経ってないぞ」
「あら、そうだったかしら。随分長く感じたわ」
呆れたように言うアンファングさんに、ジエナさんは肩をすくめて微笑んだ。
……なんだこれ。突然の再会に頭が混乱している。
「お二人とも……なぜここに?」
「それはまあ、ここで話すのはちょっとな」
アンファングさんは領主様の方を見やると、気安く声を掛けた。
「セリュー、応接間を借りていいか?」
「もちろん。本来であれば長兄の館だ。好きに使ってくれ」
「はは……いやまあ、ありがたい話だな。ってことでケイ、ついて来てくれ」
状況的に断れるわけもない。
部屋を出るアンファングさんの後ろについていく。
俺の背後にはジエナさんがついてきており、背中にまるで見張るかのような視線を感じる……ような気がした。実際、逃げ出さないか見ている可能性は高い。最初の村を無言で旅立った前科があるからな。
この館の構造を知っているのか、アンファングさんは迷いなく二階から一階におりて、少し廊下を進んだ先にある部屋のドアを開け入っていった。
「ここでいいだろ」
アンファングさんは低めのテーブルを挟んで二つあるソファのうち、手前側にジエナさんと座って、俺にはその向かいに座るよう促した。
「んで、オレたちがなんでここにいるのかって話だが……」
俺がソファに座った後。
アンファングさんはまず自分が領主の兄であり、ジエナさんはミルラン商会長の娘だと言うことを話した。
今までの会話と流れで薄々、その辺りには気が付いていたが……ということは、つまり。
「もしかして……『ノートルディアの星降る夜』の、悪徳領主を倒す弱小貴族とミルラン商会の少女って……お二人のことです?」
「うわ、それ知ってんのか。キッツイな。あれ実際の話を元にしてるって言ってる割には結構な部分が作り話なんだぜ?」
「そもそも、私たちは死んでませんからね」
アンファングさん曰く、彼はどうしても家を継ぎたくなくて当時の彼女だったジエナさんと結託し、『領主の不正とか暴露して、そのあと暗殺を避ける為って理由で家を出れば、合法的に当主を回避できる』という考えで色々と不正の証拠などを集めていたらしい。
「そしたらセリュー……オレの弟が、領主一族が集まる狩猟会でよりにもよって領主の馬に矢を当てちまってな」
その結果、当時の領主は落馬して腕を折ってしまった。
「んで、領主が暗殺未遂だって大騒ぎしてなぁ……木々を挟んで遠距離からの矢だったから、弟が放った矢だとすぐにはわからなかったんだが、そのとき森にいたのは領主家一族と護衛だけだったからな。聞き取りをしていけば、オレらのところから放たれた矢だってバレるのは時間の問題だった」
アンファングさんは焦ったらしい。
いくら領主家一族とはいえ分家で、しかも暗殺未遂と言われては弟の処刑は免れない。弟が処刑されたら、アンファングさんが領主の不正を暴露して雲隠れした後、家を継ぐ人間がいない。
「だから領主の馬に矢を放ったのはオレだってことにして、でも処刑されたら困るんで捕まる前に計画を早めて、ジエナと一緒に集めた領主の不正書類を一族中にバラまいて……」
変なタイミングで暴露したから相当グダグダした展開になったらしいが、おかげで処刑されるのは免れ、対外的には『貴族としての身分を失い町から追放』という形で、概ね当初の計画通りアンファングさんは家を出ることに成功したらしい。
領主の不正を暴いた立役者として罪を帳消しにという話もあったらしいが、そこは『人を傷つけたのは事実』とアンファングさんが責任を取る形で押し切ったという。
「そんなわけで、オレとジエナは自分たちのやりたいようにやっただけなんだが……周りからは随分と持て囃されてな。家を継ぐどころか本家から領主を継いだ弟からは恩人扱いだし、ジエナはミルラン商会の評判をガッツリ上げた功労者扱いだしで、色々とこの辺りじゃ顔が利くんだよ」
さっきの舞台監督が所属しているノートルディア劇団もそのひとつだそうだ。
劇団の人間は顔が広く、しかもそこはミルラン商会が経営元だそうなので、ジエナさんの伝手でまっさきに失踪した俺の情報が伝わったらしい。
出会った当初から舞台監督の言葉がやたらと意味深だったのは、既に俺のことを手配書で知っていたからだったのだろうか。
「でも、情報が伝わるの早すぎません……?」
「すぐ早馬を走らせたからな。というか、本当だったらそれでケイが見つかると思ったんだぜ? 街道は一本道だしな。お前、途中で寄り道とかしたか?」
「寄り道? ……あっ」
そういえば、リリアとシルヴィを魔物から助けたときだけは街道から外れて森の中に入ってた。もしかしてあのときに早馬が通り過ぎてたのか。
「心当たりがあるみたいだな」
「実は……」
リリアとシルヴィを助けたときの出来事を説明する。
加えて、この際なのでシルヴィが誤って俺の魔眼を見てしまい、今はそれを治すために奔走しているという事情も話した。
アンファングさんとジエナさんは俺の魔眼について知っている……どころか当事者だ。しかもアンファングさんに至ってはシルヴィの肉親。黙っておいていいわけがない。
「おいおい、マジかよ……ケイがうちの妹と行動を共にしてるって報告を聞いたときは、なんの因果かと思ったもんだが……魔眼まで……」
「すみません……」
「いや、どうせうちの妹が無理やり見たんだろ? ケイは多分そのフードを被って、目を合わせないようにしてたんだろうからな」
アンファングさんは手のひらを額に当て、大きくため息をついた。
すごいな……実際は寝起きの事故だけど、ほぼ正解に近い予想だ。
「なんだか、よくわからんことになってきたなぁ……って、ああそうだ、オレたちがなんでここにいるのかって話をまだしてなかったな」
確かに、アンファングさんとジエナさんが『俺を見つけることができた理由』については聞いたものの、動機については聞いてなかった。
……正直、聞くのは怖いけど。