俺の蹴りで胴体の一部を凹まされたトレントは、この世のものとは思えない金切り声のような叫びを上げ、こちらに向かって木の枝を打ち下ろしてきた。
それを最小限のステップで回避しつつ、この後の展開を考える。
そう簡単には逃げられず、戦うしかないとはいえ、相手は大樹にまで育ったトレントだ。全力で蹴ってみた限り、素手だと攻撃がまったく効かないというわけじゃない。
だが、にしたって倒し切るのは無理がある。
得意の弓矢も木の魔物であるコイツにはどう見たって相性が悪い。
ここはある程度の攻撃で俺を狙うように挑発し、その間にシルヴィを逃がすべきだろう。薬で精彩を欠いたシルヴィが逃げられたら次は俺の番だ。
「う、らああぁああぁ!!」
勢いを増して次々と降ってくる木の枝を避け、腕で弾き、隙を見てトレントの胴体に一撃を食らわせる。
……よし、今のところ計画通りシルヴィの方には見向きもしてない。
「シルヴィ! 今のうちに逃げてくれ!」
「で、でも……」
「俺一人ならいくらでも逃げられるから! 早く!」
シルヴィが気兼ねなく逃げられるよう、キツめの言い方で暗に邪魔だと伝える。
するとこちらの意図が伝わったのか、彼女は恐る恐る立ち上がり、ゆっくりとトレントから離れだした。
いいぞ……トレントは俺に夢中で離れだしたシルヴィにまだ気が付いていない。
この調子でいけば逃げられる。
そう思った次の瞬間。
トレントに空いた奈落のような目が、ギョロリと動いたような気がした。
「っ、シルヴィ! 走っ……」
嫌な予感がして、シルヴィに走って逃げるよう叫ぼうとする。
だがその途中でトレントから一本の枝が鞭のように振るわれた。
「きゃあ!?」
振るわれたその枝がシルヴィの足元を薙ぎ払って、彼女を横転させる。
勢い余って仰向けに倒され、完全な無防備状態だ。このままだと狙われる。
「——お前の相手は俺だろうが!!」
「ギィィィィィ!?」
渾身の力を込めて、叩き折るつもりでトレントの胴体に横蹴りを食らわせる。
お陰でトレントの攻撃対象は再び俺になった。
しかしこんな方法でトレントの気を引く戦法も長くは続けられない。
なぜならトレントがメチャクチャ硬いからだ。
さっきまでは最初より威力を加減して蹴ることで誤魔化していたが、再び全力で蹴りを入れたことにより俺の足はもう限界に近い。たぶん骨にヒビ入ってる。
それでもなんとか気合でトレントの攻撃を避けることはできるが、もう牽制ですら蹴りを放つことはできないだろう。
どうする。どうすればいい。
こんなときにリリアの魔法があれば……!
「炎よ!」
背後から簡易詠唱が聞こえ、炎の渦がトレントを襲う。
「リリア!」
「遅れてすみません! 大丈夫ですか……え?」
リリアが放った炎の渦はトレントに当たり、一瞬燃え広がったかのように見えたが、すぐに消えてしまった。トレントはまったくの無傷で、多少の焦げ付きすらない。
今のはリリアが簡易詠唱で放てる最高威力の魔法だ。
術式を刻んだ自前の杖があればすぐ放てる代わりに消費魔力が非常に激しく、普段使いにはまったく向かないが、単純な威力だけなら同レベルの詠唱魔法に匹敵する。
それが完全に無効化されたということは……つまり、彼女の魔法がほとんど通用しないということに他ならない。
「マジか……」
物理防御が高くて、魔法防御も高いとか……そんなのアリか?
絶体絶命の二人がリリアを含めて三人になっただけなのか?
このままじゃ三人とも逃げれない。最悪の結末が頭をよぎる。
打開策が見つからず身動きできずにいると、目の前のトレントがニヤリ、と笑った気がした。
直後、トレントの周囲で無数に蠢いていた枝のうち一本が鋭利に尖り、起き上がろうとするシルヴィに向かって放たれる。
「シルヴィ!」
全力で駆け出しシルヴィの元へ向かう。
彼女は自分を呼んだ俺を見ている。
上から迫りくるトレントの攻撃に気が付いていない。
今から気が付いても避けられるか怪しい。
突き飛ばして攻撃を回避させようかと思ったが、シルヴィの態勢は仰向けに近い。しかも足の向きが俺の方に向いている。だとするとここは——!
「——ぐあぁあ!?」
「ケイ!?」
驚くシルヴィに覆い被さり、トレントの枝による刺突を背中から受ける。
幸い、枝は左肩辺りを少し貫通して止まったようだ。
激痛で泣き叫びたい気持ちになるが、急所ではない。
「ぐっ……おぉ!?」
左肩辺りを貫通した枝が釣り針のように曲がり、そのまま俺を引っ張って持ち上げる。痛い痛い痛いメチャクチャ痛いぞバカ!
「ふざける……なぁ!」
持ち上げられ宙に浮かんだまま、強引に身を捻って傷口を刺している枝に思い切り手刀を叩きつける。さすがにトレントの胴体と比べたら細いので問題なく叩き折れたのだが、衝撃で傷口から枝が抜けて血が噴き出す。
おいこれ出血多量で死ぬぞ、と思いながら落下していたら、今度は俺の足首に他の枝が巻き付いてきた。ぐるりと上下が逆になり、片足を持たれ宙吊りになってしまう。
手が届かない。足は両方とも限界で蹴りは使えない。
肩からはドクドクと血が流れている。
端的に言ってヤバい。今度こそ絶体絶命か……?
そう思って辺りを見回すと、リリアが持ってきてくれたのだろう、彼女の近くには俺たち全員分の荷物が置かれていた。その中にシルヴィの鞘に入った剣を見つけ、リリアに向かって叫ぶ。
「リリア! その剣を取ってくれ!」
何か魔法の詠唱をしていたリリアはそれを中断し、近くにあった剣を取ってこちらに向かって投げた。俺はそれを空中で掴み、鞘から剣身を抜く。
「これで……!」
逆さに吊られた状態から全身を使って上体を曲げ、足首に巻き付いている枝を剣で切る。スパッ、とまるで紙でも切ったかのような感触が手に伝わり、そのまま落下したので驚愕しつつも態勢を整え地面に着地した。
「この剣、メチャクチャ切れるな!?」
とんでもない名剣だこれ。シルヴィのやつ、普段こんなの使ってたのか。
元々良いとこの貴族子女なだけあって良さそうな剣使ってるなぁとは思ってたけど、性能ヤバすぎだろ。
「ギ……ギィィィィィ!!」
自分の枝を容易く切ったその剣に何か感じるものでもあったのか、先ほどまでニタニタと笑っていたトレントの目が吊り上がり、怒りの形相で無数の枝をしならせ、俺に向かって一斉に振り下ろしてきた。
だが、今さら本気になっても——
「——遅い」
迫りくる無数の枝をすべて切り落としながら加速し、そのままトレントに肉薄する。そしてトレントの胴体目掛け、弧を描くように横一閃の斬撃を食らわせた。
「ギィ……! ギ……」
「倒れろ」
足で強めにトレントを押す。痛い。手で押せば良かった。
そんな風に軽く後悔していると、ベキベキと音を立てながらトレントが倒れだす。俺の斬撃が届かず、残っていた幹部分が自重でへし折れていく形だ。
やがてズドォン、と大きな地響きを立てながら倒れたトレントは、俺の斬撃で短くなった無数の枝を足のように使って動き出した。まるでムカデだ。
「しかもこっち来るのかよ……」
そのまま逃げるのかと思いきやトレントは方向転換し、こちらに向かって頭部分の枝を剣山のように尖らせ、突撃してきた。
「ギィィィィィィ!!」
「しつこいっての」
剣山のような枝が当たる前に跳躍し、突撃してきたトレントの上に乗る。
すぐにトレントが止まり、今まで足に使っていた枝をすべて俺に向けて伸ばしてくるが、それらも当然ながら全部切り落とす。
だが油断はできない。どうやら生命力が異常に強いみたいだからな。
執念深いみたいだし、このまま放置した結果再生でもされて、後から復讐に来られても面倒だ。もっと切り刻んで魔石を取り出す必要がある。
正直もう疲れ果ててるし、頭と肩からの出血でぶっ倒れそうだが……ここが踏ん張りどころだ。
俺は最後の力を振り絞って、身動きが取れないトレントの解体作業に取り掛かった。