トレントの解体作業を始め、しばらく経った後。
「あった……」
トレントの胴体、その中心部辺りからバスケットボール並みに大きい琥珀色の魔石を取り出した。すると短い枝を微かに揺らしていたトレントがゆっくりと動きを止め、やがて完全に動かなくなった。
「……もう無理」
魔石を抱えながらトレントから降りて、その残骸に背中を預けガックリとうなだれる。死ぬほど疲れた……っていうか、加護とかなかったら絶対に死んでるな。明らかに出血多量だし。むしろ生きてるのがおかしいレベルだ。
「ケイさん!」
少し離れた場所で見守っていたリリアが駆け寄ってきたかと思うと、俺の上着を脱がし始める。
「寒っ……え、なに?」
「止血です! 今すぐ傷口を……」
リリアが俺の左肩辺りを見て固まる。
「血が、止まってる……?」
「そうか……よかった」
「いえ、こんな大きな傷口の血が、そんな簡単に止まるはずが……」
そんな傷口大きいのか。
もう自分の肩を見る気力すらない。
「俺、加護があるから……それよりリリア、干し肉と水、荷物から取ってきてくれない? ちょっと、死にそうで動けなくて……」
「わ、わかりました!」
リリアは慌てて荷物から干し肉と水を取ってくると、俺に手渡しながら言った。
「あの……持ってきましたが、死にそうな状態で固形物を食べるのは、あまり……」
「大丈夫……加護が、あるから……」
無理やりにでも栄養を入れれば、治癒能力で回復する……はず。
多分。そうであってほしい。そうでなきゃ困る。でないと死ぬ。
脱いだ服を改めて着ている間、リリアに干し肉を細かくナイフで切ってもらい、小さくなったその破片を水で流し込むように食べていく。
そんな俺を離れた場所から見つめる視線に気が付いた。
シルヴィだ。足を崩して座っている状態でこちらを見ている。
あの場所から動いていない……ということは、トレントに足払いをされたとき足を痛めたのだろうか。
「ケイさん、大丈夫ですか? 意識は……」
「大丈夫。意識もハッキリしてる。だいぶ回復してきた」
「本当ですか……?」
「もちろん。ほら、この通り」
剣を持って立ち上がり、自分の背後に振り向きながら横一閃の斬撃を放つ。
直後、後ろから俺を襲おうとしていたサル型魔物の首が刎ねられ宙に飛んだ。
本音を言えばこのまま安静にして寝たいぐらいの体調ではあるが、森の中は危険だ。リリアも例の魔法でかなり魔力を消費したし、シルヴィも万全じゃない以上、早く街道に戻るべきだろう。まあ全快には程遠いが多少なりとも回復してきたのは事実だから、なんとかなるはず。
「すごい……よく後ろも見ずにわかりましたね」
「最近、自分に向けられる殺気みたいなのがわかるようになってさ」
「な、なるほど……? なんだか、本格的に達人ですね……頼りになりま……きゃ!?」
植物のツルに掴まって振り子のように移動してきたサル型魔物が突然、リリアを抱えて反対側の木に乗り移る。さっきのヤツとは別個体の魔物だ。
……ドヤ顔で語った直後に襲撃を見逃してしまった。
「キーッキッキッキ! キキィ!」
サル型魔物はこちらに振り返って嘲笑うかのような鳴き声を上げた。
次の瞬間、サル型魔物がツルで移動していた最中に着地点を予測して放っておいた俺の矢が、ヤツの頭を貫く。
「ギィ!?」
「わっ……きゃあぁ!?」
サル型魔物がリリアを巻き添えにして落ちていく。
そして矢を放った時点で駆け出していた俺は落下予測地点で待ち構え、リリアだけをお姫様抱っこ的な形で受け止めた。
「ごめん。もう一匹いたの見逃してた」
「えっ!? あっ……あわ、あわわ……!」
リリアは驚いて俺を見たと思うと、今度は顔を真っ赤にして両手をわきわき動かし始めた。メッチャ混乱してるっぽい。なんかひっくり返されたカメみたいで癒されるな。ずっと見ていたい気持ちになるが、ちょっと可哀想なのでゆっくりと地面に立たせてやる。
「あっ……す、すみません、ごめんなさい! 助けてくれてありがとうございます! ケガは大丈夫ですか!?」
「俺は大丈夫」
軽く手を振って答える。
これは強がりではなく本当で、思ったよりも体調の回復が早い。
ケガはそこそこ痛むが普通に動ける。神様の加護マジでチートだ。
まあもう一回さっきのトレントと戦えと言われたら無理だけど。
「ただみんな体調が万全じゃないし、この近辺で野宿は危ない。キツイけど、街道を通って今日までいた町に戻らないか? このトレントの魔石を売れば滞在費用と馬車代を払っても十分なおつりが出ると思うからさ」
「はい、町に戻るのは私も賛成です。ただ……」
リリアが少し離れた場所に座っているシルヴィを見る。
シルヴィはどう見ても町まで自力じゃ歩けなさそうだが、この中で一番非力なリリアじゃ彼女を背負って進めない。
「シルヴィは俺が背負っていくよ」
「それは……いくらケイさんに加護があるといっても、今の状態では……」
「いや、本当に回復してきてるから。シルヴィひとり背負うのぐらい余裕だよ。さっきもリリアを受け止めてみせただろ?」
「あっ……そ、そうですね……」
顔を真っ赤にしてモジモジするリリア。
かわいい……って、そんなこと考えている場合じゃない。
「シルヴィ、森から出よう」
俺はシルヴィのところまで行くと、彼女に手を差し伸べて言った。
「背負うから掴まってくれ」
「…………置いてって」
「え?」
「全部、あたしのせいだから……あたしのことなんか、放っておいて」
しばらく放置されていた間でネガティブ思考に陥ったのか、彼女は首から下げた星形のペンダントを握りしめながら、涙目でそっぽを向いた。
ヘラってるなぁ……気持ちはわからないでもないが、今回の件は大部分が薬のせいで、それに頼らなきゃいけない原因を作ったのは元々俺なんだから、気にしないでいいのに。
なんて言っても今の彼女は納得しないだろうし、問答してる時間もないのでサクッと運ぶか。
「わかった。じゃあ勝手に持つけど、セクハラって言うなよ?」
「せくはら……ってなに? わっ、ちょっと!?」
背中を向け、シルヴィの両太ももを腕で抱えて持ち上げると、彼女は慌てて俺の首に両手を回してしがみ付いてきた。
「あぶなっ……もう、強引すぎ!」
「ここに残ってる方が危ないからな。早くしないと」
「……正論やめて」
シルヴィを背負ってリリアと一緒に森の中を抜け、街道に戻る。
それから更に来た道を戻って町を目指した。
しばらく歩いていると、背中のシルヴィからぐすぐすと、小さくすすり泣く声が聞こえてきた。ネガティブ思考が再発したようだ。今までこんな彼女は見たことがないから、これも薬の副作用なのかもしれない。
「まあ……色々とあったけど、でも最後はこれだけ大きな魔石も手に入ったし、結果的には良かったかもな。徒歩を選んだのも路銀が少なかったからだし。魔石を売って馬車を借りれたら、町に戻る時間を考えても十分に……いたぁ!?」
俺の左肩にある背中側の傷口が刺激され、激痛が走る。
多分シルヴィが指か何かでつついたのだろう。
……なんで?
「あ、あのさ……傷口触るのは勘弁してくれない? 加護があるって言っても、痛いのは変わらないから……」
「……なんで」
シルヴィが俺の背中越しに、涙声で言う。
「なんで……逃げないの? こんな、大変な思いして……あたしのことなんて放っておいて、逃げちゃえばいいのに……」
「逃げないよ。リリアとシルヴィには魔眼の効果を解除するっていう共通の目的があるし。それに言っただろ? 責任取るって」
「責任……? そんなこと、言った?」
あれ……シルヴィには心当たりがないっぽい。
ってことは、俺が自分で勝手にそう思ってただけか?
「……言ってなかったかもしれない。でも、今言ったから」
「なにそれ……」
シルヴィは小さな声で「なにそれ……なにそれ……」と繰り返し始めた。
これ前にも聞いたな。
「まあ……ちょっと言葉が足りなかったかもしれないけど、その分あれだ、行動で証明するから。今日みたいに」
シルヴィには見えてないが、ドヤ顔で言う。
だって俺、今日はかなり頑張ったからな。
自分で言うのもなんだけど、マジで痛みに耐えてよく頑張った。
正直、何度も死ぬかと思ったし実際、何かひとつ間違ってれば死んでたと思う。
そりゃドヤ顔もしたくなるって。
「やめて」
「いやそんな、それほどでも……え?」
褒められてなかった。
むしろ逆っぽかった。
「今日みたいなのはもう……やめて。次にあたしがバカしたら、ちゃんと見捨てて」
「あのな……責任取るって言っただろ。見捨てないって。そんなことより俺たち、トレント倒したんだぞ? もっと喜んでも良くないか?」
大樹まで育ったトレントは一流冒険者のパーティですら、時には苦戦するという強敵らしいからな。魔石を持ち帰って討伐証明ができれば、俺たちは晴れて一流冒険者というわけだ。
それに魔石はもちろん、死体である木片も価値が非常に高いらしいので、冒険者ギルドに依頼して回収してもらえばそっちも良い値段で売れるだろう。
「町に帰るのが今から楽しみだな。懐に余裕ができたら久々に良いメシ食えるかも。そう考えるとシルヴィは逆によくやってくれたまである。干し肉は嫌いじゃないけど、この世界の干し肉は旨味がちょっと足りないんだよなぁ。ただしょっぱいだけっていうか……」
俺が干し肉の味に関して愚痴ると、今まで前を向きながら黙って歩いていたリリアが急にバッとこちらを振り向き、驚いたように言った。
「ケイさん!? 今のはちょっと聞き捨てなりません! 干し肉は他の携帯食料より高いんですよ? 豆類ならもっと安いところを、ケイさんが『肉がないと力が出ない』というから、厳しい予算の中からなんとかやりくりして購入したのに……!」
「あっ……」
ヤバい。うちの財務担当を怒らせてしまった。
これは俺一人じゃ分が悪い。
「いや、それはほら、また別問題というか……シルヴィならわかってくれるよな?」
「……ばか」
「まさかの援護なし!?」
美食家のシルヴィなら同意してくれると思ったのに。
「ばか……ばかばか……」
シルヴィはそう言って俺の背中に頭を押し付けると、少しの間だけ黙った後、普通の人間なら聞こえないぐらいの小さな声で呟いた。
「……………………好き……」
「ん? 今なんか言った?」
「……言ってない」
シルヴィがさっきよりは大きな声で、ボソッと答える。
……加護で耳が異常に良くなってるから、本当は全部聞こえてるんだけど。
彼女が魔眼の魅了に掛かっている以上、まともに好意を受け取るわけにはいかないからな。
しかし、まさか自分がアニメとかでよく見る鈍感系主人公をやることになるとは……いや、この場合は気が付いてはいるから鈍感系じゃなくて、すっとぼけ系とでもいうのだろうか。
やむを得ない事情があるからとはいえ、ちょっと複雑な気分だ。
「——なので、今回のことでお金が稼げたとしても、先のことを考えると余裕は一切……ケイさん! 聞いてるんですか!?」
あっ……マズい、シルヴィの方に意識が行き過ぎて、逆にリリアの話を聞いてなかった。
金銭関係はシルヴィが杜撰で、俺はこの世界の物価に疎いのもあって、ほぼリリアに丸投げしてるからな……ちゃんと彼女の言うことは聞いておかなければ、次の携帯食料が干し肉から豆になってしまう。
俺はリリアの話を一通り聞いてその言葉を全面的に肯定した後、軽率な発言を謝罪し、改めて日頃の感謝を伝えた。
そして干し肉から得られるタンパク質の重要性と、携帯食料が豆になった場合のモチベーション低下によるデメリットを切々と語りつつ、町へ戻るため街道を進むのであった。