町に戻ってトレントの魔石を冒険者ギルドの査定に出した後。
男女別で宿を二部屋取り、俺が自室のベッドに座って一息ついていると、木の桶と白い布を持ってリリアがやってきた。
「夜分遅くにすみません、ケガの具合はいかがですか?」
「随分良くなったよ。もうかなり傷は塞がってる気がする」
「本当ですか……?」
「多分」
加護が強まっているのか、ジエナさんに手をナイフで刺されたときよりも治癒速度が明らかに上がっている。トレントを蹴りまくって激痛が走っていた足も、シルヴィを背負っていたから普通であれば悪化するはずなのに、町へ戻る頃には痛みが和らいでいたぐらいだ。
「だとしても、傷周りはちゃんと綺麗にしないとダメですからね。お湯と布を貰ってきたので、服を脱いでください。拭いますから」
「それくれたら自分でやるよ」
「正面でも自分では見えにくい部分ですし、背中側なんて絶対見えないでしょう? それぐらいやらせてください。今回、私はまったく役に立ちませんでしたから」
「リリアがあのタイミングで剣をくれなかったら死んでたから、役に立ってないってことはないと思うけど……そこまで言うなら頼もうかな」
善意を無下にすることはない。
確かに背中とかは見えないから、血の拭い残しとかあったら少し気になるもんな。
「はい。では服を……きゃ!?」
服を脱いでベッドの横にある台の上に置くと、リリアが驚いた声を上げて両手で顔を覆った。いや、驚いたのはこっちだよ。
「服は脱いだけど……どうしたの?」
「い、いえ、すみません、急に服を脱がれたのでビックリしました」
「森ではそっちからいきなり脱がせてきたのに、今さらじゃない?」
「あ、あのときは緊急事態だったので何も考えてませんでしたが、今はその……あ、いえ、なんでもありません。気にしないでください」
リリアはお湯につけた布を絞って持ち、俺の前に立った。
「では拭きますね。痛かったら言ってください」
そう言って彼女は傷口に直接触れないよう、その周りにこびりついた血を拭っていく。お湯で湿らせた布が温かくて気持ちがいい。
「そういえば、なんでトレントの攻撃をシルヴィの代わりに受けたんですか? シルヴィを突き飛ばせば良かったのに」
リリアが傷口の周りを拭きながら、不思議そうに聞いてくる。
ああ……あのときシルヴィは仰向けに近い状態かつ足が俺の方に向いてたから、やむを得ず俺が直接身体でトレントの攻撃を受け止めた件か。リリアからは状況がよく見えなかったのだろうか?
多分、説明すれば納得してもらえるだろうけど……改めて考えると、『やむを得ず』って理由は微妙だな。万が一シルヴィが聞いたら責任を感じてしまうかもしれない。
「ケイさん?」
「ええと……ほら、シルヴィには指一本触れないって、約束しただろ?」
「え……そんな理由で、身代わりに?」
「いや、まあ、実際は特に何も考えてなかったかも。……シルヴィには内緒な。かっこ悪いから」
人差し指を口の前に立てて言うと、リリアは少しの間キョトンとした表情で止まった後、クスクスと笑った。
「わかりました。内緒にしておきます」
リリアはどこか上機嫌で応じると、再び傷口の周りを拭き始めた。
「それにしても、ケイさんの身体って……まるで彫刻みたいに綺麗ですね。これも女神様からの特典ですか?」
「あー……まあそうかも。でも、筋肉自体は元の身体の方があったよ。この身体は俺からしてみればガリガリでちょっと頼りないかな」
「え!? これで!?」
「もちろん見た目だけの話で、実際の能力は加護がある分こっちの身体の方が断然強いけどね」
前世の俺は元々の体格がデカかったうえに筋トレが趣味みたいなところがあったからな。顔がいかつくて怖かったから、半ばやけくそで鍛えまくってた気もする。一応、警備会社から現場に派遣されてた警備員だったから、トレーニングは推奨されてたし。
まあ筋肉を鍛えたところで仕事中、役に立つことなんてほぼなかったけど。
他の同僚がたまに揉め事で人を取り押さえたって話を聞く中、俺はそういう事件に遭遇すること自体がほぼなかったから、というのもあるかもしれない。
不審者とか変人に出会うことはたまにあったが、なんでか俺が話すとみんな静かになることが多かったんだよな。
「この身体も鍛えたらもっと強くなるかも……筋トレしてみようかな?」
「えっ!? そんな……今でもう十分すぎるほどお強いですし、筋肉もすごくありますから大丈夫ですよ」
「そうかな?」
「そうです。せっかく女神様からいただいた身体の形を変えるなんて、もったいないです。罰が当たりますよ。……前は綺麗になりましたね。次は後ろです」
リリアはそう言いながら靴を脱いでベッドに上がり、背中側の傷口周りを拭い始めた。
「罰ねぇ……だいぶ雑にサクッと転生させられたし、あの感じだと女神様はもう俺のことなんて見てない気がするけど」
「わっ、なんてこと言うんですか! ダメですよ、あの森で私たちが生き延びられたのはケイさんのお陰ですが、ケイさんが活躍できたのは女神様のお陰なんですから。感謝しないと」
「内心じゃ結構感謝してるけどね。でもリリア、前までは女神様の話はもちろん、加護のことすら信じてなかったのに」
「そうですね……実のところ今までは信心深くなかったのもあって、まったくと言っていいほど信じてなかったのですが、ケイさんの非常識さを見れば見るほど、女神様の存在を疑うことができなくなりました」
「非常識さか……それって、加護のことだよな?」
「考え方や行動も全部含めて、です」
リリアはクスクスと笑いながら傷口の周りを拭っていく。
むむ……これは聞き捨てならないな。
アンファングさん夫妻と一緒に暮らす中で、割とこの世界の文化には馴染んだと思っていたのだが。
「俺、そんな非常識なことしてた……?」
「悪い意味じゃないですよ? それに気が付かないところも、ケイさんの良いところです」
「んん……?」
いや、マジでわからない。本当に心当たりがない。
でもここでしつこく聞くのはダメなんだろうなってことぐらいは、対女性コミュニケーション経験の乏しい俺でもわかる。
「いいんですよ、ケイさんはそのままでいてください。……これで、綺麗になりましたね」
リリアは呟くように言うと、俺の背中にそっと触れた。
「本当に、綺麗……」
「うっ!?」
背筋を指でツゥ、と撫でられ、くすぐったくて身をよじる。
「あ、あの……リリア?」
「っ! ご、ごめんなさい! 私、なんてはしたない真似を……あ、いえ、違うんです! そんな、いかがわしいことを考えていたわけではなく、その、純粋に芸術品を愛でるような気持ちでして、決して不純な気持ちでは……!」
リリアはベッドの上で膝立ちになり、顔を真っ赤にしながら否定していた。
かなり必死でちょっと面白い。
……背筋を指で撫でられるなんて割とビックリしたから、こっちも仕返ししてやろう。
「リリア……」
「ななななな、なんですか?」
リリアが激しくどもりながら膝立ちで後ずさる。
少し雰囲気出して名前を呼んだだけで、どれだけ動揺するんだよ。
思わず笑ってしまいそうになるが、笑うとドッキリがバレるので我慢する。
「リリア……」
「あっ……だ、ダメです、いけません……はっ!?」
リリアは後ろがベッドの端であることに気が付き、方向転換して枕の方に後ずさった。……いや、そのままベッドの横から降りれば良かったのに、なんでわざわざ枕側に?
ドッキリを仕掛けているはずが少し混乱しながら、じりじりと後ずさるリリアに迫る。
「あぁ……そんな、隣の部屋にはシルヴィがいるのに……」
とうとう壁際まで後ずさったリリアは、顔を蒸気が出るかと思うほどに真っ赤にしながら、小さく首を左右に振った。
「でも私じゃ、抵抗できない……ごめんなさい、シルヴィ……これは不可抗力……」
「…………」
「あの……私、経験がないので、その……優しくしてください……あと、シルヴィには内緒に……」
「…………」
俺が腕一本分ほどの距離で止まり、一人でブツブツ言っているリリアを眺めていると、そのうち彼女は頭をやや上に向けて目をつむり、唇を前に突き出した。
「んっ……」
「いや、『んっ』じゃないが」
リリアが壁際まで後ずさったぐらいから俺はもう距離を詰めてないし、何も言ってないし、なんなら真顔である。途中からはずっとリリアの一人舞台だった。比喩ではなく、そのままの意味で。
「え?」
「え? じゃなくて。冗談だから。背筋を撫でられたお返し」
最初から手を出す気など欠片もない。
シルヴィが魔眼の魅了に掛かってしまっている裏で、その親友に手を出すとかクズ過ぎる。それにもし手を出したら、たった三人の共通した目的を持つ仲間なのに人間関係がメチャクチャだ。そんなバカな真似するわけがない。
「あっ……あぁ……あは、あはは……」
リリアは再び顔を真っ赤にして、ぎこちなく笑いそっぽを向きながら、暑そうに手のひらで自分を扇いだ。
「も、もちろん知っていましたよ? ただ私はあえて……あえて! 流れに乗ることで、その……ケイさんがこれ幸いと道を踏み外さないか、試していたのです! 実際に手を出してきたら、往復ビンタのうえ糾弾して、朝まで説教コースでした!」
「なるほど……」
目が泳いでるし、汗ダラダラでなんか早口だけど、リリアがそう言うならそうなんだろう。……そう思うことにしておく。
「ケイさんは誠実で素晴らしいですね! これが大衆向けの劇だったら、ここからドロッドロの三角関係に入っ……いえ、なんでもありません、とにかく合格です、合格!」
リリアはベッドから降りて素早く桶と布を回収した。
「ではお疲れ様です! お大事に! おやすみなさい!」
そう一方的に言って、リリアは慌ただしくバタバタと部屋から出て行った。