トレントとの死闘を経て、一週間後の朝。
俺はシルヴィを背中に背負い、街道を
「はぁ……まさか、お金があっても馬車が手配できないとは思いませんでしたね……」
隣を歩くリリアが小さくため息をつきながら言う。
そうなのだ。正確にはノートルディア方面に向かう馬車はいくつかあったものの、帝国方面に向かう馬車はもう全部出た後で、しかも次に来る時期が未定となっており、手配できなかったのだ。
しかも俺は加護のお陰でほぼ全快したものの、シルヴィの足は骨にヒビが入っていたのかまだ治らなかった。そういった理由があり、トレントを倒した後と同じように俺がシルヴィを背負って先へ進むことになったのだ。
予定より旅の進行が随分と遅れているからな。
いつ来るかどうかもわからない馬車を待つより、歩いた方が早いという判断である。
「まあ、今までも徒歩の方が多かったし。お金を節約できたと思えばいいんじゃないかな」
「でも、ケイさんの負担が大き過ぎます。シルヴィ、重くないですか?」
「全然。逆に軽くて心配になるぐらいだな。シルヴィはもっと食べたほうがいい」
「あはは……だそうですよ、シルヴィ?」
リリアが声を掛けると、俺に背負われたシルヴィは気だるげにボソッと返事をした。
「……うん」
「シルヴィ……元気なさそうだけど、大丈夫か?」
「大丈夫、元気……」
シルヴィはハァハァと、やや息を荒げながら答える。
だが彼女は風邪を引いているわけではない。
それはもうとっくのとうに確かめた。
「ハァ、ハァ……」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が場を支配する中、俺とリリアの目が合う。
リリアは平静を装っているが、明らかに動揺している。
俺だってそうだ。もうこれ以上、どうしたらいいかわからない。
さっきから何度もシルヴィに話を振ったり、体調を気遣ったりしているが、それでも彼女は止まらない……いや、止められないのだ。
「ハァ、ハァ……」
シルヴィはさっきからずっと、腰を動かしていた。
話題の中心になっても、話を俺たちに振られても。
まるで熱に浮かされているかのように。
俺の背中に……こすりつけるように。
何をとは言えない。そこは察してほしい。
ただ……気付かれていないとでも思っているのだろうか?
いや、そんなことを考える余裕すらないに違いない。
だってもし気が付かれていると知ったうえでの行動だったら、もう極まり過ぎててド変態の域だ。
「……今日はシルヴィ、薬とか飲んでないんだっけ?」
「ハァ、ハァ……」
もはや話に反応すらしなくなった。
いや、これは俺の話し方が悪かったか?
確かにリリア相手の話だと思ってもおかしくない話し方かもしれない。
そこで空気を読んだリリアが、あたかも自分に話し掛けられたかのように返事をした。
「えっと……はい。当分、薬は嫌だと……」
「そっか……」
一週間前、薬であれだけ暴走したんだから無理もないが……今のシルヴィを見ると、当時の彼女が魔眼の症状を抑えるために薬を欲した理由がよくわかる気がした。もはや理性で抑えられる段階を超えてきているのだ。
「ハァ、ハァ……」
「…………」
心なしか背中が濡……いや、考えるのはよそう。
とにかく、シルヴィ自身にはなんの罪もない。
シルヴィが悪くない以上、俺たちは彼女の行為を直接咎めることはできない。
俺たちができることは一生懸命、会話をしてシルヴィの行為に気が付いていないフリをすることぐらいだ。
〇
シルヴィを背負って進めるだけの距離を進んで、夜。
俺たちは街道脇で野宿していた。
「シルヴィは?」
「寝たみたいです」
リリアが俺の隣に座って、小声で答える。
彼女たちと出会った日の夜と同じようにまずはリリアと俺で見張りをし、シルヴィが仮眠を取っている形だ。
「あの……ケイさん、ごめんなさい」
「ん? 何が?」
「昼間、その……シルヴィを、止められなくて」
リリアがモジモジしながら言う。
月明かりに照らされたその顔は真っ赤である。
ということはつまり、シルヴィ腰振り事件についての言及だ。
「いや、止めないで良かったよ。シルヴィは悪くないんだし、俺だって何か実害があったわけじゃないんだからさ」
「え……でも、嫌じゃなかったですか? その……」
「全然。かわいい女の子に腰を振られて興奮こそすれど、嫌な気持ちになる男はいないよ」
「えっ……?」
「ごめん口が滑った……じゃなくて、なんでもない」
何を言ってるんだ俺は。リリアもドン引きしてるじゃん。
ここまでかなり紳士的に振舞ってきたつもりなのに。台無しだよ。
シルヴィに腰を振られ過ぎて、頭がピンク色になっていた。
いや言い訳だな。俺の修行が足りなかった。反省しなければ。
俺は紳士、俺は紳士、俺は紳士……頭を切り替えよう。
「俺はともかく、このまま症状が進行するとシルヴィ本人が心配だな」
移動中にさんざん腰を振ってある程度は満足したのか、夜になってからのシルヴィは特に異常な行動は見られなかった。変化としてはトレントに襲われる前よりだいぶ大人しく、素直になったぐらいだ。
「そうですね……町に戻った後ぐらいから、ボーっとしていることが増えて気になっていたのですが……今日のシルヴィを見る限り、薬は必須な気がしてきました」
「でもシルヴィは薬を嫌がってるんだろ? あまり本人の意思に反することはさせたくないんだけど……」
「薬は食事に混ぜます。大丈夫、前回の失敗で学びましたので、副作用は最小限に抑えられるはずです」
「……なるほど」
シルヴィに気が付かれず薬で症状を抑えられるなら、そうするに越したことはない。今の調子で症状が進んだら、いずれ取り返しがつかないことになりそうだからな……。
「それでその……ケイさんの方は、大丈夫ですか?」
「俺?」
「はい。えっと……巷で聞く話によると、男の人はその……欲を自制するのが大変、と聞きますから……」
リリアは恥ずかしそうにしながら、上目遣いで言った。
「もし、おつらいようでしたら……私の方でお手伝い、しましょうか?」
「っ!?」
「ケイさん? どうしたんですか? 何か問題でも……はっ!?」
リリアは俺がなぜ驚いたのか察したようで、顔を真っ赤にしながら慌てて弁明した。
「ちちちち違いますよ!? 薬の話です、薬の! ケイさんの分もそういう薬を作りましょうかというお話です! いま薬の話をしていたじゃないですか! そういう話の流れでしたよね!?」
「ご、ごめん、俺なんか溜まってる……じゃなくて、疲れてるみたいだ」
「そ、それは……その……大変、ですね……」
目線を下に向け、こちらの股間を見るリリア。
露骨に見るじゃん……夜で暗いとはいえ、月明かりがあるから普通に目線がどこ向いてるかはわかるんだけど。
「あ……あの……ケイさんが、よければ、なんですが……」
リリアは逡巡するようにモジモジした後、両手で真っ赤な頬を押さえながら言葉を続けた。
「私が……あの……えっと……その……」
「リリア」
俺はリリアの言葉を遮るように名前を呼んで、真剣な表情で彼女を見つめた。
すると彼女は、ハッと何かに気が付いたように俺を見つめ直し、静かに目を閉じて唇を前に突き出した。
「んっ……」
「いや、『んっ』じゃないが」
何をやってるんだこの子は。
俺の意志が揺らぎそうになるからやめてほしい。
「え?」
「え? じゃなくて。さっき言ってた、抑制剤? 的な薬。俺にも作ってくれないかな」
前世では強面と巨体で女の子に怖がられ、こじらせ続けて幾星霜。
鋼の肉体を鍛えると共に精神も鍛えられたと自負し、俺には強靭な自制心があると信じていた。
が、しかし……このままだと、魔眼をどうこうする前に何か間違いを犯してしまいそうだ。
「あっ……わ、わかりました! 作っておきますね!」
リリアは赤面しながら、直前の行為を誤魔化すように声を張り上げ返事をした。
いや声デカいって……シルヴィは割と寝たら起きないタイプみたいだけど、さすがに抑えないと。
俺はリリアに声量を抑えるよう伝えた後、さっきまでのように変な雰囲気にならないよう至極真面目に今後の旅について話し、見張りの時間をやり過ごしていった。