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第27話 解せぬ

「ねぇ、ケイ」


 思考停止している俺に、シルヴィは何気ない感じで言った。


「リリアに手、出した?」


「ん? ……は!?」


 気が付けば、シルヴィがジト目で俺のことを見つめていた。


「手、出してたんだ……」


「いや出してないけど!?」


 唐突な濡れ衣に焦る。さっきから話が飛びすぎだろ。

 弓矢の練習中なのに、話題が弓矢とまったく関係ない。


「出してないの? 最近なんか二人とも怪しいと思ったんだけど」


「出してない出してない! リリアには指一本触れてない……あ」


 そういえば、以前リリアと会話している最中『シルヴィには指一本触れない』って約束してた。

 ケガしたシルヴィを背負ってたときは仕方ないっていう暗黙の了解があったが、今の状況ってリリアから見るとよろしくないかも。傍から見たら密着してるように見えるし。かなり今さらだけど。


 嫌な予感がして恐る恐る後方を見ると……そこには、馬車の近くで半身になってこちらへと振り向き、無表情で俺を見つめるリリアがいた。


 ひぇっ……こ、こわぁっ!

 少し遠いけど身体能力向上に伴い視力も上がってるから、俺にはわかる。

 目が据わってるよ。夜中に包丁持って刺しに来るような目してる……!


 俺が恐怖に慄いていると、リリアは無表情のまま、何事もなかったのかのように俺たちとは逆方向へ向き直った。反対側を警戒するって言ってたのに……いつから見てたんだろう。


「なに、どうしたの?」


「あ、いや……な、なんでもない……」


 俺はそう言いながらシルヴィの両手からそれぞれ手を離し、少し距離を取った。

 そういや、ここまでしばらく弓矢とまったく関係ない話をしてたから、別に彼女の両手を触ってる必要はなかったんだよな。弓矢の構えを教えてる途中でシルヴィが唐突に話題を振ってきたから、そのままになってたけど。よくよく考えると二人して弓矢を構えながら長々と雑談してるとか意味不明だ。


「え、なんで距離取ったの? っていうか、なんでもないって絶対ウソだよね。メッチャ動揺してるし。全然なんでもあるじゃん。で、なんなの? 隠し事とかされるの、すごく嫌なんだけど」


 シルヴィが露骨に機嫌を悪くして問い詰めてくる。

 ダメだこれ……下手に誤魔化すともっと機嫌が悪くなるぞ。

 ここは正直に話すしかない。


「実は……前、リリアに『シルヴィには指一本触れない』って約束してたの、完全に忘れててさ……それを今思い出したんだよ」


「え……そんな約束してたの? っていうか、それ今さらじゃない? ケイって割とあたしに触ってるよね? 背負ってくれてたりしたし」


「あのときはシルヴィがケガしてたし状況的に仕方なかったけど、今回の弓矢で触りながら指導ってのは、別に必須ってわけじゃないから」


 実際、俺がアンファングさんに弓矢を教えてもらっていた頃、彼に指導で触られた覚えは一切ない。

 これに関しては状況とか人が違うので、一概に『指導で触る必要は絶対ない』とは言えないが、少なくとも必須ではないだろう。シルヴィは言葉だけで進めようとしたら、少し大変だったかもしれないけど。


「ふうん……でもさ、『指一本触れない』ってそれ、あたしに手を出さないって意味でしょ? 別にそのあたりが守られてれば、絶対に指一本も触れちゃダメってわけじゃないよね? だってあたしの場合、弓矢を言葉だけで教えてもらうの大変だし」


「それは……まあ、そうかな」


 やっぱりシルヴィ自身も、言葉だけで弓矢を教わるのは大変だと思っていたようだ。そりゃそうだよな。明らかに俺が手で直接、構えを調整した方が早かったし。


「だよね? じゃあ問題ないってことで、教えるの続行で。手取り足取り、教えて?」


「うーん……」


 俺としては別に構わないんだけど、なんだろう……シルヴィから妙な『圧』を感じる。笑顔だけど怒っているような、口では言わないけど不満そうな、そんな感じの気配だ。

 ……なんで?


「リリアに何か言われたら、あたしがちゃんと言っておくから。大丈夫、本人が良いって言ってるんだから。ね?」


「わ、わかった……じゃあ、続けようか」


 リリアには夜、弁明が必要だな。

 そんなことを考えながら、シルヴィの構えを改めて見る。

 ……ん? さっきは問題なかった部分まで、なんか妙に構えが崩れてるな。


「ちょっと上体を反りすぎてるかな。あと手の位置はそれぞれ……このあたり」


 シルヴィの背後から、彼女の右手と左手をそれぞれ掴んで正しい位置に持っていく。あとは姿勢を正しくすれば完璧だ。


「反りすぎかぁ……じゃあ、これでどう?」


 シルヴィは反った上体を前に倒し、背後にいる俺に尻を押し付けてきた。

 俺が男にしては背が低めで、シルヴィとそこまで身長差がない関係上、割と危うい場所に接触している。

 ……この子は何をやってるんだ?


「いや、これでどうって……それじゃ前かがみだから」


「ダメかぁ……じゃあ、これは?」


 シルヴィがぐいぐいと、更に強く尻を押し付けてくる。

 ……なるほど。これは、からかわれてるな。もしくは挑発されてる。


 俺は極めて冷静に、脳内で般若波羅蜜多心経を唱えながら、シルヴィの両手からそれぞれ手を離し、後ろへと下がった。


「シルヴィ。真面目にやる気がないなら、もう教えないからな」


「ふうん……逃げるんだ?」


「ああ、逃げる」


 俺は大人だからな。

 子供の挑発には乗らない。


「女の子がここまでやってるのに逃げちゃうとか、ヘタレだねぇ」


「ヘタレだよ」


 でなきゃいくら強面で巨体だったからといって、前世でこじらせ続けてない。

 どんなに外見にハンデがあっても、やることやってる人間はいくらでもいるのだ。


 それができなかった時点で俺はヘタレだし、今世でもそれは変わらない。

 もちろん今世では女神様のお陰で容姿に恵まれた以上、前世と違ってチャンスはものにできると信じている。

 だがしかし、それは今じゃない。今じゃないのだ。


 っていうかそもそも真昼間の平原で、チャンスもへったくれもあったもんじゃない。こんなところで手を出したらチャンスどころかピンチだろ。どっちにしろ手なんか出さないけど。


「臆病、意気地なし、小心者」


 挑発には乗らない。

 乗らないぞ。俺は大人だ。


「逃げ腰、根性なし、腑抜け、卑怯者」


 乗らない。

 乗らないけど……卑怯者は違くないか?


「チキン、ビビり、よわよわ」


 くっ……俺は、大人……だ。

 挑発には乗ら……ない。


「ざぁこ」


「上等だメスガキ。そこまで言うなら受けて立つ」


 大人の前に俺は男だ。

 男として、雑魚呼ばわりされてそのままじゃあ、沽券に関わる。


「受けて立つんだ? じゃあ、こっちきてよ。あたしの両手、さっきみたいに掴んで」


「わかった」


 近づいて、こちらに背を向けるシルヴィの両手を後ろからそれぞれ掴みながら、思った。

 あれ……弓矢を教えるって話が、どうしてこんなことに……?

 そんな風に困惑してると、シルヴィが先ほどと同じように前かがみになって、俺に尻をぐいぐいと押し付け始めた。


「くっ……!」


 襲い来る刺激に一瞬で敗北を悟り、後ろへと下がる。

 するとシルヴィが尻を突き出したままこちらに振り返った。

 そして手を口に当て、わざとらしく笑いながら言う。


「クスクスクス……あれ~? 早くない? どうしたの? 我慢できなくなっちゃったぁ?」


「…………」


 冷静に戦況を分析した俺は、ひとつの結論を出した。

 うん、勝てないわ。勝てるわけがない。どう考えても俺に不利すぎる。


 だがこのまま引き下がったら、シルヴィが調子に乗るのは目に見えている。そうなれば下手すれば今後、抑制剤の効果が薄れた頃あたりに、とんでもないことをする『種』になりかねない。それが過激な挑発ぐらいならまだしも、俺の寝込みを襲って自由を奪い、好き勝手する……なんてことになったら目も当てられない。

 ……仕方ない。これは半ば反則に近いが、奥の手を使うしかないか。


 俺はシルヴィに背を向け、懐から小さな巾着袋を取り出した。そしてその中にある黒い丸薬を指先で摘み上げ、素早く口の中に入れ飲み込んで、目をつぶり精神を集中する。

 頼む俺の胃。即行で薬を溶かしてくれ……!


 ……いや、ってか薬、苦ぁ!!

 すぐ飲み込んだのに目ん玉飛び出るぐらい苦いぞ!?

 リリアから『噛んだらすごく苦いから注意してください』とは言われてたけど、噛んでなくても超絶苦い……!!


「あれあれ~? どうしたの? 負け、認めちゃう感じ~?」


「っ…………」


 薬の苦みとシルヴィの挑発に耐え、時間を稼ぐ。

 奥の手……それはリリアが俺に作った男性用の抑制剤だ。

 リリア曰く『即効性がある』とのことだが、とはいえ一瞬で効果が出ることはないだろう。

 薬の効果が出るまで少しの間だけ時間を稼げば……俺の勝ちだ。


「ねぇねぇ……もうやる気ない感じ?」


「…………」


「なぁんだ、つまんないの……じゃあ、ここはあたしの勝ちってことで……」


 シルヴィが勝利宣言をする。

 そんな中、俺はカッと目を見開いて拳を握った。

 感覚でわかる。——整った。


「そう逸るな。勝負はまだ終わっちゃいない」


 踵を返してシルヴィの元へと向かう。

 そして彼女の両手をそれぞれ持って、先ほどと同じ体勢を再現した。


「へぇ……あたしに勝てると思ってるんだ?」


「さぁね。それはわからない。この勝負は俺に不利すぎるからな。だからと言っちゃなんだが……もし俺が勝ったら、今後はこういう挑発はやめるように」


「いいよ。全然、負ける気しないから」


 ここから先は、一方的な勝負だった。

 詳細を語るのは野暮なのでやめておくが、もちろん勝ったのは俺だ。

 お陰でシルヴィには今後、こういった挑発はしないよう約束させることができた。


 しかしこの日の夜。

 大人の男VSメスガキの雌雄を決する戦い、その一部始終を遠目で見ていたらしいリリアに、シルヴィと二人で密着してゴソゴソしていた理由を問い詰められた。言い訳のしようがなかったので正直に事情を話すと、頭のおかしい人間を見るかのような目でドン引きされた後、「貴重な薬をバカなことに使わないでください」と延々に説教されてしまった。


 ……解せぬ。

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