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第28話 確かめる

 ノートルディアの町を出て二か月近くが経った頃。

 途中で何度か足の速い馬車を借りることができたこともあり、俺たちは既に国境を越えて帝国の領土内にある街のひとつに辿り着いていた。当初は馬車を何度も借りられるほどの資金は稼げない想定だったので、二か月どころかその倍以上の期間が掛かることも覚悟していたぐらいだが、蓋を開けてみれば想定以上に順調な道のりだ。ここまでくれば、目的地の帝都まではあと一週間ぐらいという話なのだから。


 この結果を見ると、冗談抜きでトレントに遭遇したのは良かったんだと思う。あの戦いがなければ、道中の魔物退治による資金稼ぎで自分たちがどこまでやれるのか手探り状態が長く続き、大して稼げない日々が続いただろうし、ここまで旅を短縮できなかったはずだ。まあ、自分たちの限界値を探る相手として、大樹クラスのトレントはいきなり強敵すぎたなとは思うが。


 ちなみに旅の道中、リリアから魔力や魔法の扱い方を聞いて、それらを応用するイメージでちょこちょこ時間を作って魔眼の制御を試してはいるものの、一向にコントロールできるようになる気配はなかった。この調子だとやはり自力で制御できるようになるより、帝都の大婆様から知恵を借りる方が魔眼問題の解決には早そうだ。


 そして夜、街で借りた宿の一室にて。

 リリアは俺の部屋に来て例の丸薬をくれた後、そのまま脇にあるベッドに座って感慨深げに言った。


「もうそろそろ、この旅も終わりますね……」


「そうだな……」


 俺はベッドの隣に立って、窓の外に見える星空を見上げながら、ふと疑問に思った。


 あれ……今、雰囲気に流されて同意したけど、帝都に着いたらこの旅って本当に終わるのか?

 それを改めてリリアに質問すると、彼女はどこか寂しげな表情で答えた。


「ええ……大婆様は本当にすごい魔女です。彼女の力を借りることができれば、ほぼ間違いなくシルヴィに掛かった魔眼の効果は解けるでしょう」


「そんなにか」


「そんなにです。こと魔法に関して言えば、不可能はないのではないかと思うぐらい。ただ、少しばかり癖が強いお方なので、力を貸してくれるかどうかはわかりません。一応ノートルディアの町を出るときに、こちらの事情説明とお願いの手紙を送ってはおきましたが……」


「マジか。でも大婆様ってことは、リリアの血縁なんだよな?」


「はい。詳しいことはわかりませんが……」


「詳しいことはわからない……?」


 思わず首を傾げる。

 どういうことだ?


「教えてもらえないんです。血縁であることは間違いないそうなのですが、聞くところによると私の母も、祖母も、一族は代々ずっと大婆様のことを大婆様と呼んでいるのですが、彼女のことや年齢に関して聞くとはぐらかされるらしく、どれぐらいの血縁関係なのかわからないんです」


「えぇ……?」


「曾祖母ぐらいまでは教えてもらっていたようなのですが、祖母ぐらいの頃から大婆様が『恥ずかしいから聞くな、言うな』と言い始めたらしく……」


 魔法がある世界とはいえ、大婆様どれだけ長生きしてるんだ。

 っていうかそれだけ長生きしてて、何がどう恥ずかしいんだろうか。

 個人的には悠久の時を生きているって聞くと、感情とか色々と摩耗しそうなイメージがあるんだけど。


「それはともかくとして、やはり大婆様に力を借りることができなければ、魔眼の問題を解決することは難しいと思います。旅をしている最中も色々と解決法は考えていましたし、できる範囲で試してもみましたが」


「わかった。なら全力で大婆様の攻略に当たるか」


 力を借りれるか確実じゃなくても可能性が一番高いなら、まずはその道一本で進めるべきだろう。ダメだったらダメだったで、それはそのとき考えるしかない。


「それで、大婆様っていうのはどんな人なんだ?」


「どんな人……?」


 リリアは自分の記憶を振り返るように視線を上にあげると、しばらく沈黙してから、「うーん……」と唸り始めた。なんだろう、そんな悩むようなことだろうか。


「別に大まかなことでいいんだけどな。外見とか性格でパッと思いつくこととか」


「外見は……悠久の時を生きているとは思えないぐらい、若々しかったです。そうですね……今から10年近く前になりますが、そのときは私の母と同じぐらいに見えました。あ、ちなみに私の母は昔からずっと20代後半に見えます」


「お、おお……」


 大婆様はもちろんだけど、リリア母もすごいな。

 今まで見聞きしたこの世界の常識からして、魔法使いだからといって無条件に寿命が延びたりするというわけではないようなので、恐らく大婆様やリリア母などが特別枠なのだろう。


「性格は……大人のような、子供のような……寛容だけど、我儘のような……優しいけど、厳しいような……とにかく、なんか癖があったなぁ、という印象でした。……すみません、あまり具体的なことが言えなくて」


「いやいや、10年近く前の話なんだったら十分すぎるぐらいだよ」


 俺だって10年前に会った親戚の性格を具体的に言えるかといえば、多分言えない。よほど何度も会ってて絡みのある人だったらともかく、リリアの口ぶりだとそこまで頻繁に会っていたわけでもなさそうだし。


「まあ大婆様には正攻法で、誠心誠意頼むしかないな」


「はい。それで、もし大婆様に力を借りることができて、魔眼のことが解決したらなんですが……ケイさんは、どうされますか?」


「魔眼のことが解決したら、か……」


 それについては旅の最中、何度か考えた。

 考えたうえで特に何も思いつかないというか、ほぼノープランなのだが、ひとつだけ決まっていることがある。


「基本的には、ほぼ何も決めてないよ。けど、もし魔眼の効果が解けた後もシルヴィが俺を求めるなら……俺は責任を取ろうと思ってる」


 アンファングさん夫妻と違い、シルヴィは魅了の魔眼に掛かってからずっと、対象者である俺のそばで多大な負担を強いられてきた。

 それはもしかしたら元の彼女の性格を強制的に歪め、変えてしまうような、取り返しがつかないぐらいの影響を与えてしまったかもしれない。だとしたら、その責任は俺にある。


「もちろん魔眼の効果が解けた後、ある程度の冷却期間は置くつもりだけど」


「そう……ですね。でないと、熱に浮かされた状態でシルヴィが責任を取れ、って言いかねません」


 リリアがそう言いながらクスクスと笑う。

 その笑い声はどこか、ぎこちなく感じた。


「ケイさんは……」


「うん?」


 リリアは逡巡するように目を伏せた後、こちらを見上げ神妙な面持ちで言った。


「シルヴィのことが……好きなんですか?」


「それは……」


 魔眼で魅了を掛けてしまっている俺が、彼女のことを好きだの嫌いだの言う資格はない。今の彼女は言わば状態異常・魅了であり、本当のシルヴィではないからだ。


 けど、それはそれとして彼女のことは好きだ。

 一緒に旅をして情が移っているというのもあるが、屈託なく笑う彼女も、無邪気に挑発してくる彼女も、突然不機嫌になって絡んでくる彼女も、好ましく思う。

 適当なように見えて意外と責任感が強かったり、傷つくことも厭わず勇敢に前衛で戦ったり、弓矢を練習してサポートにも回れるように努力していたりする部分にも、好感を持っている。

 だがもちろん、それを口にすることはない。


「……今の俺にそれを言う資格はないよ」


「魔眼で魅了を掛けている状態だから……ですか?」


「ああ」


「それなら……」


 リリアは少しの間、ためらうように目を泳がせた後、意を決したように俺を見つめ続きの言葉を口にした。


「私のことは……どう思っていますか?」


「…………」


 俺はリリアの真剣な問い掛けを受けて、言葉を失った。

 彼女はこういった場面で冗談を言うような子じゃない。ということは、本気だ。

 シルヴィに対して責任を取るという意識があるため、リリアに対しては今まであえて考えないようにしていたが……聞かれたからには考えざるを得ない。


 どう思っているか、と聞かれれば……それはもちろん、好ましく思っている。

 リリアとは波長が合う、とでもいうのだろうか。話していて心地好い。

 接していて細かな気配りや優しさが伝わる一方、どこか天然っぽい部分もあって、一緒にいると癒される。魔女ということもあってか知識が豊富で、話していると勉強になるし、旅の計画から資金管理、薬の調合に戦闘での火力役や補助役までこなす、非常に多才で頼れる女の子だ。

 料理も上手いし、彼女みたいな子と結婚する男は間違いなく幸せだろうな、と思う。


 しかも彼女は魅了に掛かっていない状態で、俺に好意を……と、そこまで考えたところで、慌てて首を振る。

 いやいやいや、俺は何を考えているんだ?

 シルヴィが魅了に掛かってしまっている裏で、その親友に手を出すとかクズ過ぎるって、前にも思ったはずだ。今は手を出しているわけじゃないが、こんなこと考えているだけでダメだろう。


「リリア」


「……ごめんなさい」


 リリアへの好意を隠して、なんとも思っていないと伝えようとした直後、彼女は目を伏せて座っていたベッドから立ち上がった。


「私、最低な女です……全部、忘れてください」


 リリアは声を震わせながらそう言って、部屋から出ていった。

 するとその後すぐ、コンコンコンとノックの音が響いた。


「……入っていいよ」


 入室を許可すると、ドアを開けてシルヴィが入ってきた。

 彼女は険しい表情で俺に詰め寄り、問い掛ける。


「ねぇ……今、リリアがここから出てきたんだけど」


「……うん」


「泣いてたんだけど……何か知ってる?」


「…………」


 言葉に詰まる。なんと言えばいいかわからない。もちろんバカ正直にさっきまでの経緯を話すのは悪手だということはわかるが、代わりに何を言えばいいのか思いつかない。


「もしかして……リリアが告白したけど、それをケイが断ったとか?」


「っ!?」


 一瞬、さっきの会話を聞かれていたのかと驚愕に目を見開くが、すぐ意識して元に戻し、平静を装った。

 違う……会話を聞いていたならこんなことは言わないはず。さっきリリアに気持ちを確かめられはしたが、正確には告白されていないし、断ってもいない。

 これは鎌を掛けられているだけだ。


「やっぱりそうなんだ……」


「……なんのことだか、サッパリわからないな」


「ケイって、本当にウソ下手だよね。じゃあ、違うんだったらなんなの? 言ってみてよ」


「…………」


「ほら、やっぱりそうじゃん」


 ……ダメだ。こうなるとシルヴィは下手な言い分じゃ納得しない。

 リリアには申し訳ないが、『仮に』という体でいったん話を進めるしかない。


「本当に違うけど……もし仮にそうだとしたら?」


「なんで断ったの?」


 断る以前に、そもそもリリアは俺の気持ちを伝える前に出ていったんだけど。

 ややこしいな。


「普通に考えて今、この状況で断らない方がおかしいだろ。告白自体されてないから断ってもないけどさ」


「リリアのこと嫌いなの?」


「そんなわけないだろ」


「だよね。夜、あたしが寝た後いつも二人でイチャイチャしてるもんね」


「し、してないけど?」


 予想外の言葉にビックリしてどもってしまった。本当にそんなことしてないけど。シルヴィが寝た後、毎晩のようにリリアと会話していること自体を揶揄して言ってるんだろうなとは思うが、やましいことをしているように言うのはやめてほしい。


 リリアとは旅の進捗やシルヴィの体調、資金問題や薬の残量など多岐にわたって確認することが多いから毎晩のように話しているだけであって、別に他意はないのだ。

 もちろん雑談もするが、それは普段のコミュニケーションを円滑にするための潤滑油みたいなものだし、邪心は一切ない。本当に。


「なんか浮気がバレたときみたいな顔してる」


「っ……いや、どんな顔だよ。浮気してないし、そもそも付き合ってもないだろ俺らは」


「……そうだね」


 シルヴィが急にしおらしくなって、目を背けた。

 ……そこで傷ついた顔するのは、反則だろ。


「ねぇ……ひとつ、提案があるんだけど」


「なんだ? 次の街に着くまで俺の分のお小遣いを全部よこせ、って言われてもダメだぞ。俺のお小遣いは普段の食事で足りない分の食費みたいなもんだって、この前さんざん……」


「いや、真面目な話だから」


 話を途中でピシャリと打ち切られる。

 こちらは極めて真面目に話していたつもりなので心外なのだが、目が怖いので黙っておく。


「あのさ……帝国に向かうの、もうやめない?」


「……それは、どういう意味だ?」


 女神様曰く、この魔眼は『慣れれば制御が可能なもの』らしいが、現状はその取っ掛かりのようなものすら、まったく掴めていない。今はまだなんとかリリアの薬で症状を抑えられているが、それも徐々に効かなくなっている。

 つまりシルヴィに掛かっている魔眼の魅了を根本的にどうにかする方法は、今のところ帝国にいるリリアの大婆様を頼ることしかないのだ。彼女もそれに関しては理解しているはず。だからこそ、彼女が何を言っているのかよくわからない。


「あたしはもうこのままでいいから……三人で冒険者やりながら、楽しく暮らそうよ。あ、リリアの告白は受け入れること」


「……は?」


「もちろん、あたしの方も責任は取ってよね。第二夫人でいいから」


「…………シルヴィをこのままにしておけるわけないだろ」


 以前シルヴィを背負っていたとき、彼女が人目を憚らず異常な行為を始めたことで確信したが、進行した魔眼の魅了は放置できるような類のものではない。あれが常時続くとしたら、日常生活すらままならないだろう。


「そんなの、毎日ケイがあたしの相手をして高ぶりを静めてくれればいいじゃん。女神様の加護があるんだからいけるでしょ? っていうか、今もう相手してよ。ずっと我慢してたんだから」


「おい……」


 シルヴィは俺を押してベッドに座らせた。

 更にそのまま押し倒そうとしてきたので、彼女の両手首を掴んで止める。


「え、なに、そっちが押し倒したいの? いいよ。あたしは別にどっちでも……」


「わかった。責任は取る。でも、それは帝都でシルヴィに掛かってる魅了を解いてからにしよう」


 そう言うとシルヴィは俯いて、しばらく黙った後に問い掛けてきた。


「……もし、魅了が解けて、あたしがケイを好きじゃなくなったら、どうするの?」


「そうするために旅を続けてきたんだろ? 全部が元に戻るだけだ」


「戻らないよ。だって、リリアとケイは両想いじゃん」


 シルヴィは顔を上げ、涙目で俺を睨みつけながら言葉を続けた。


「でも、あたしは? ケイはあたしが魅了に掛かってるからって、一線を引いてるよね。状態異常に掛かってる人間って風に見てる。まともにあたしを見てない。わかるんだよ、そういうの」


「それは……」


「でもリリアとは魅了なしで好き合ってる。それは自体はいいよ。あたしは今でもリリアのためなら死んでもいいと思えるぐらい、リリアのことが大好きだから。もしあたしが魅了に掛かってなかったら、リリアを奪ったケイを嫉妬に狂って殺してたかもだけど、今はケイのことも大好きだから許せる。むしろ大好きな二人が好き同士なのは嬉しいぐらい。でも……でもさ……」


 シルヴィは声を震わせ、顔を歪めてボロボロと大粒の涙を流していた。

 その右手は首から下げた星形のペンダントを握りしめている。


「そこに……そこにあたしは、いないじゃん……」


「シルヴィ……」


「あたしだけ、のけ者で……ずるいよ……二人とも、置いていかないでよぉ……」


「…………」


「うっ……うぅ……」


 シルヴィは俺の胸に顔をうずめて、静かに泣き始めた。

 その肩をそっと抱いて、しばらくそのまま泣かせた後、彼女を宥めるように言う。


「……シルヴィだけをのけ者になんか、しないよ」


「してるからぁ……あたしが、のけ者にされてるって思ったら……それはもう、されてるのぉ……」


「ごめん。もうこれからは、しない」


「じゃあ……帝都に行くの、やめてくれる?」


「それは聞けない」


 シルヴィは半ば現実逃避しているが、魔眼の問題はこれからどうにするにせよ、俺たちにとって避けられない障害だ。彼女が不安になるのも理解はできるが、帝都に行くのをやめるという選択肢はない。


「この……頑固、強情、意固地、石頭……」


 シルヴィはポカポカと俺を叩きながら不満を口にした後、顔をこちらの胸にうずめて呟いた。


「でも好き……」


「……………………」


 不意打ちでそういうの、やめてくれないかな……俺の中の悪魔が『これもうこのままでいいだろ』って囁いてくる。


「だから……ね? お願い……もう、我慢できない……」


「シルヴィ……?」


 なんだか様子がおかしい。

 そう思ってシルヴィを改めて見ると、彼女は息を荒くしながら俺の身体をまさぐり始めていた。……なるほどな。


「わかった。正直、俺も我慢の限界だったからな」


「っ! ホントに!?」


「ああ。今日はとことんやろう」


 俺は目を輝かせるシルヴィを完全装備で街の外に連れ出し、「そうじゃない」と嫌がる彼女を半ば無理やり模擬戦に付き合わせた。シルヴィは剣を鞘に入れた状態で、素手の俺を相手に戦う形だ。弓矢を使うとさすがに一方的すぎるからな。

 途中、シルヴィがブチギレ始めたので「こっちの身体に一本でも攻撃を当てたら、俺を好きにしていい」という条件にすると、彼女はやる気満々で戦い始めた。


 そして朝。シルヴィはボロボロかつ腰砕けになっていたので、例の如く背負って宿に帰ると、そこにはリリアが仁王立ちで待っていた。

 事情を聞かれたので細かい部分は伏せて「魔眼の症状を抑えるために模擬戦してた」と説明すると、「もっと他にやりようがあったでしょう!?」とさんざん説教された。


 ……言われてみれば、確かにそうだな。

 俺もいろいろ我慢しすぎてどうかしてた。

 今後はボロボロにならない程度に模擬戦することにしよう。

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