一週間後。俺たちはとうとう、リリア母の師匠である大婆様がいるという帝都に辿り着いた。
帝都は大陸で一番栄えているというだけあって、今まで見たどんな街よりも大きな建物が立ち並んでいる。建物はレンガ造りが多く、前世の近代ビル群には遠く及ばないものの、人通りが多く空を見上げて歩いていたら誰かと肩がぶつかりそうな人口密度は、大都市と呼んで差し支えない規模だろう。
「すごいな……」
「そうですね……私も帝都に来たのは初めてですが、ここまで栄えているとは思いませんでした。以前、大婆様と会ったときは、大婆様の方から私と母のところへ来てくださったので」
リリアと二人で辺境からきた田舎者らしく、巨大な建物群を見上げながら話していると、本来であればこんなとき一番騒いでいそうなシルヴィが全然、はしゃいでいないことに気が付いた。
……この一週間、シルヴィは毎晩のように帝都行きを中止するよう、俺を説得していたからな。結局、自分の要望はまったく通らずここまで来てしまった身として、複雑な気持ちなのだろう。
もしくは、説得のたびに途中から色仕掛けみたいな流れになって、最終的には俺が半ば無理やり朝まで模擬戦に付き合わせるから、疲れ果てていて元気がないのかもしれない。目の下、クマがすごいことになってるし。
そんなことを考えながらシルヴィを見ていると、彼女は俺に気が付いて不機嫌そうにそっぽを向いた。
ふてくされてるなぁ……非常にわかりやすい。
リリアはそんなシルヴィを見て何か言いたそうにしていたが、逡巡した末に何も言わないことを選択したようだ。
こういうとき今までの彼女であれば、迷ったとしてもシルヴィに対して最後は気持ちを口に出していたことが多い印象なので、やはりリリアもシルヴィには何か思うところがあるのだろう。どこか遠慮がちになっているのが見て取れた。
心なしか、場の空気も重く感じる……っていうか、あれ?
「なんかさ……空気、重くない?」
「え……えぇ!? そ、そそそそうですか? そうでもないような……!」
「ああいや、雰囲気的なものじゃなくて、物理的に重くない?」
「物理的に……?」
リリアはピンときていないようで、小さく首を傾げた。かわいい。
じゃなくて、この『重さ』を感じてるのは俺だけか。
……うーん、言い出し方が悪かったせいか、実際に雰囲気まで重くというか、気まずくなっちゃったな。
「それで、ここからどうするんだっけ?」
気まずい雰囲気を打破するように話題を振る。
「ええと……まずは帝都の冒険者ギルドに行きます。ノートルディアの町を出るときに出した手紙の返事を冒険者ギルドに預けてくれるよう、手紙に書いておきましたので」
リリアは大婆様が帝都にいること自体は知っているが、今どこに住んでいるかまでは知らないらしい。
だから手紙で大婆様に協力のお願いに加え、大婆様に会うには帝都のどこに向かえばいいか聞いて、その返事を冒険者ギルドで受け取る形にしたとのこと。
ちなみに、住所がわからないのになんで大婆様に手紙が出せたんだ? と思ったら、帝都の冒険者ギルドに人探しの要領で依頼して、届けてもらったとのこと。大婆様は有名人かつ大物なので、人探しといっても大した金額は掛からなかったらしい。
「ケイさん、帝都の冒険者ギルドはあちらの道をまっすぐ行けばいいそうです」
リリアが通りすがりのお婆さんに道を聞いて教えてくれた。
彼女はこういうとき率先して動いてくれるから助かる。俺がフードを目深に被った不審者スタイルで、シルヴィは魔眼の影響で不安定になりがちだから、というのもあるだろうけど。
「ありがとう。それじゃ、行こう……ん?」
シルヴィが示した方向へ進むため、足を踏み出そうとしたその時。
ふと、視界の端に映った小さな女の子が気になった。
「どうしたんですか?」
「いや……」
馬車がまるで自動車のように絶えず走っている大通りの向こう側で、幼女が黒いワンピースの裾を両手で握りながら立ち尽くしていた。歳は5か6ぐらいだろうか。ピンクの髪と同色の瞳、頭のてっぺんにつけた大きな赤いリボンが印象的な女の子だ。
心なしかその目は、何かのタイミングを計っているように見える。
「……あの子、親はどこにいるのかな」
「あの子? ……あの、赤いリボンをつけた女の子ですか?」
リリアが俺と同じく大通りの向こう側にいる幼女を見て、首を傾げる。
「ああ。周りに誰もいないように見えるけど……」
「近くのお店に入っているのかもしれませんね。それがどうかしましたか?」
彼女は俺が何を気にしているのか、わからないようだった。
個人的には、あのぐらい小さな女の子のそばに親がいないのはあり得ないというか、すごく危ない気がして落ち着かないんだが……この世界的にはそこまで気にならないのだろうか。
いや、これは俺が前世で警備員をやっていた関係で気にし過ぎているのかもしれない。迷子の子供を保護するのも仕事のうちだったからな。
「ん……ちょっと気になっただけで……っておい、まさか……」
幼女が大通りの左右を見て、ゆっくりと前に出る。
まさか、あの馬車がいくつも絶えず走っている大通りを、横断するつもりか……?
大人はたまにタイミングを見計らって横断してたりするが、あんな小さな子が渡るのはどう考えても危ない。親は何をしているんだ?
「あの、ケイさん? いったい……えっ!?」
幼女が大通りを横断しようと動き出した瞬間、俺も反対側から幼女に向かって駆け出した。
大人でさえ割と危なげに見える大通りの横断を、あんな小さな子が問題なくできるとは思えない。幼女の歩幅と大人の歩幅は全然違うし、距離やタイミングを計る能力だって違う。杞憂であればいいが、もし俺の予想が当たってしまったら、悲惨な事故が起こってしまう。
「っ! 危ない!」
そして案の定、幼女の行く先には今まさに馬車が猛スピードで迫っていた。
瞬時に加速して距離を詰め、幼女に手を伸ばしながら跳躍する。
次の瞬間、馬車の車輪がすぐ横を通り過ぎ、御者の怒声が遠ざかりながら聞こえてきた。
「あ、危なかった……」
幼女を抱きかかえ、なんとか大通りの脇に退避したが……危機一髪だったな。
ギリギリ過ぎて心臓が止まるかと思った。
「ふぅ……大丈夫? ケガしてない?」
幼女を離して地面に片膝をつき、フードを目深に被り直しながら聞く。
すると彼女は不機嫌そうな声で言った。
「アンタのせいでケガしそうだった」
「………………ん?」
あれ、聞き間違いかな……?
俺、この子が馬車に轢かれそうなところを助けたはずなんだけど……。
「アンタが飛び掛かってきたせいで、ケガしそうだった」
「……………………」
おい、ウソだろ……聞き間違いじゃなかったんだけど……。
っていうか、この子あれか、轢かれそうになっていたのに気が付いてなかったってことか。つまり俺は彼女が大通りを横断していたら、いきなり横から飛び掛かってきた不審者、ってこと……?
「変質者さんなの? 私に興奮してるってこと? 衛兵さん呼ぶよ?」
当たっちゃったよ。っていうか不審者を通り越して変質者にされちゃったよ。
しかもこの子、見た目が幼い割にメッチャしっかりしてるし。
このままだと人助けをしたのにも関わらず、濡れ衣を着せられてしまう。
「あ、いや、違くてね……俺は君が馬車に轢かれそうだったから、助けようと思って……」
「下手なウソつかないで。わかったわ。詰所、行きましょ」
「え? 詰所って?」
幼女はため息をつくと、大げさに肩をすくめながら言った。
「大人なのにそんなことも知らないの? 衛兵さんがいるところよ。さぁ行きましょ、変質者さん」
「あっ……いや、ちょっと待って、誤解なんだよ。俺は本当に君を助けようと……」
弁明もむなしく、幼女は俺の左小指を掴んで引っ張り始めた。
ただもちろん力が弱いし微動だにしない。
「ケイさん! 大丈夫ですか!?」
「……ケイ、何やってるの?」
リリアとシルヴィが俺の後を追って、大通りを渡ってきた。
ちょうどいいので二人にも事情を説明し、幼女が馬車に轢かれそうだったことを証言してもらう。
やっぱり第三者から見ても幼女は馬車に轢かれそうだったようだ。
俺の妄想じゃなくて良かった。
「ふーん……」
幼女はリリアとシルヴィの証言を聞くと、腕を組んでしばらく黙った後、両手を腰に当てて言った。
「でも、アンタたちって、身内よね?」
「身内? ……ええ、まあ、旅の仲間ですね」
「身内が身内をかばうのは、あたりまえ。信用できない。そんなこともわからないの? 大人のくせに……」
幼女は再びため息をつくと、両手のひらを上にして、大げさに肩をすくめた。
命を助けられておいてこの態度、この言葉……いや、本人は助けられたと思っていないのかもしれないが、それにしたってすごい。あまりに生意気すぎてビックリする。もはや狙っているのではないかと思うぐらいだ。
個人的にはそんな感想が先に立って、怒ったりとか苛立ったりという感情はないのだが、リリアとシルヴィは違ったらしい。相手が子供だからか笑顔ではあるのだが、額に青筋を立てて明らかに怒っている。
「ごめんなさい、大人のくせに物分かりが悪くて……ちなみに、親御さんはどちらにいるのですか?」
「はぁ? そんなこと、アンタたちに言う必要ある?」
「ありませんね。失礼しました」
リリアは幼女に背を向け、自分の胸に手を当てて大きく深呼吸した。
それから俺の方に向き直って、満面の笑顔で言う。
「ケイさん、特にケガはなさそうですね。安心しました。では、ギルドに向かいましょうか」
「え……いや、でも……」
チラリと幼女の方に視線を向ける。結局、彼女の周囲に親御さんらしき人物はいない。
見た目の割に受け答えはかなりしっかりしていることはわかったが、それでも今さっき馬車に轢かれそうになっていたあたり、身体能力は年相応だ。そんな彼女を一人で置いていくのは不安なのだが。
そんな俺の考えを悟ったのか、リリアは微笑みながらこちらに近づき、小さな声で耳打ちした。
「大丈夫ですよ。彼女はすごくしっかりしてます。さっきので、この大通りが危ないということはわかったでしょう。もう無茶なことはしませんよ」
リリアはそう言って俺から少し離れると、至近距離でウインクした。
メチャクチャかわいい。
「そうかな……」
「そうですよ。ケイさんの善意が彼女に伝わらなかったのは残念ですが、それは仕方ありません。ケイさんの良さは私たちがわかっていれば……はっ!?」
何かに気が付いた様子のリリアが、ゆっくりと後ろを振り向く。
するとそこには……無表情で目を大きく見開き、俺たちを凝視するシルヴィの姿があった。