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第31話 生後半年

 俺はアミリさんの自白を聞いて確信した。

 この人、バケモノのお母さんだ。


「アミリさん、あなた……バケモノのお母さんですね?」


「あ~、リリアちゃんはかわいいでちゅね~! ……え? バケモノ?」


「間違えました。アミリさん、あなた……リリアのお母さんですね?」


 リリアを抱いてデレデレしていたアミリさんは俺の指摘にハッと目を見開き、ゆっくりと顔を上げた。そして濡れた髪を耳に掛けると、女性の魅力を感じさせる妖艶な笑みを浮かべ喋り出す。


「あら……なんのことかしら?」


「いや、今さっき言ってたでしょ、ウチの子って」


 しかも世界一かわいいって親バカしてた。

 バリバリ自白しておいて、今さらシリアスっぽい空気を出されても困る。


「目的はなんですか? どうしてこんなことをしてるんですか?」


「何を仰ってるのか、わたしにはわかりませんね。リリアちゃん、わかる?」


「ママ―! ママー!」


「そうだよねぇ~! リリアちゃんにもわからないよねぇ~! べろべろばぁ~!」


「キャッキャ!」


 ダメだ……リリアはもう5歳児どころか赤ちゃんにまで幼児退行して、とんでもなく……はしゃいでいる。どれぐらいはしゃいでいるかというと、それはもう近くでこちらを見ている幼女までドン引きするぐらい。


「シルヴィ! シルヴィは……くっ!」


 頼みの綱だったシルヴィは、未だにボーっとしており空想の世界へ旅立っているようだった。

 まだ余韻に浸ってるのか……長すぎるだろ。


「あらあら……うふふ、どうやら正気なのはケイさんだけのようですね」


「……仕方ない」


 使いたくはなかったが、こうなったら禁断のブツを使うしかない。

 犠牲を覚悟して懐に手を入れ、小さな巾着袋を取り出す。

 そしてその中にある黒い丸薬を指先で摘み上げ、素早くリリアに近づき口の中に入れた。


「リリア、飲むなよ。噛め」


「まんま……?」


 リリアが不思議そうな顔で、口の中に入った丸薬を噛む。

 次の瞬間、俺はリリアの口を全力で押さえた。


「吐くな! 味わえ!」


「っ!!!???」


 リリアが全力で自分の口を塞ぐ手を剥がそうとする。

 だが力で敵うはずもなく、俺の手は微動だにしない。


「リリアちゃん!? この……やめなさい!」


 アミリさんのビンタを後ろに下がって避ける。


「安心してください。人体に害があるものじゃありませんよ」


 リリアに噛ませ、味わわせた黒い丸薬……それは俺が彼女から貰った男性用の抑制剤だ。男性用なので女性が飲んでも効果はないが、特に害もないらしい。


 ただこの薬は少し舐めただけでも、目ん玉が飛び出るぐらい苦い。

 ましてや噛んで味わったりなんかした日には……想像するだに恐ろしい衝撃に襲われるだろう。


 リリアは耐えきれない羞恥とアミリさんの意趣返しによる衝撃で幼児退行した。

 ならばそれを超える衝撃で、正気を取り戻させる——!


「——み、みみみみみ水! 水よ!!」


 リリアが飛び跳ねるように立ち上がり、自分の顔面に向かって手のひらを向け水魔法を放つ。

 彼女はしばらくの間、びしょ濡れになるのも厭わず水魔法をがぶ飲みし続けた。

 それがひと段落つくと、今度は不思議そうに周囲を見回し始める。


「あれ……? 私は、いったい何を……うっ、口の中が、苦い……」


 よかった。どうやら正気に戻ったようだ。

 荒療治で心配だったが、なんとか上手くいったな。


「あらリリアさん、お目覚めかしら?」


「あっ、アミリさん……あ、あの、その……わわわ私、とんでもない勘違いを……」


 正気に戻ったことで直前まで自分が何をしていたのか思い出したのか、リリアは顔を真っ赤にしてうつむいた。目には涙が浮かんでいる。このままだとさっきの二の舞だ。


「リリア!」


「わっ……ケイさん!?」


 リリアの肩を掴んで目を見つめる。

 ここが正念場だ。


「勘違いじゃない。リリアは間違っていない。アミリさんはリリアのお母さんだ」


「で、でも……変化の魔法じゃなくて、五感で確かめても……」


「それでも、彼女はリリアのお母さんだ」


 だって自白してたし。


「信じてくれ。俺を……そして、自分の正しさを」


 俺の言葉にリリアはハッと目を見開くと、真剣な表情になって背後のアミリさんを振り返った。


「ありがとうございます。私、信じます。ケイさんと……自分自身を」


 こちらに背を向けたままそう言ったリリアは、ゆっくりとアミリさんに向かって歩き始めた。

 その姿はさっきまでとは違い、とても頼もしく見える。

 彼女は背中で語っていた。——任せてください、と。


「あら……うふふ、妬けますね。あれだけ不躾に確かめたにもかかわらず、わたしの言うことを信じないでケイさんの言葉を信じるなんて」


「仲間ですから」


「そうですか。でも、どうするのです? どうやってこのわたしを、あなたの母だと証明するのですか? 暴力でも振るうおつもりです?」


「まさか。敬愛する母にそんなことしませんし、できませんよ。ただ——」


 リリアはアミリさんに近づき、その両脇にそれぞれ手を当てた。


「——くすぐり倒します」


「はい? 何を……んふぅ!?」


 アミリさんが何故か急に腰砕けになり、その場に崩れ落ちる。

 リリアはそうなることを知っていたかのように自分もしゃがみ込み、かつ両手はアミリさんの脇の下に入れたままワキワキと動かしていた。


「あぁ、やっぱり。お母さんは、くすぐりにとっても弱いんですよね」


「んふふふふふぅっ! や、やめっ! あは、ははははははははっ!」


「ええ、ええ……覚えてますよ。幼心に、もう二度とお母さんにくすぐりはすまい、と誓ったものです。何しろ死にかけましたから」


 悶え苦しむアミリさんを一心不乱にくすぐり続けるリリアから、不穏な言葉が聞こえてきた。

 ……死にかけたって、それマズくないか?


「ええい、やめんかバカもん!!」


 今まで傍観していた幼女がそう怒鳴ったかと思うと、再びどこからともなく取り出したスリッパでリリアの頭を勢いよく叩いた。しかしリリアは止まらない。幼女の口調が急に変わったのも、なんら気にしていないようだ。


「やめません。止まりません。ここまでのことをしてアミリさんが私のお母さんではなかったら、私はもう恥ずかしくて生きていけません。死んだも同然です。だから……」


 リリアはさっきまでのアミリさんとそっくりな笑い声を上げながら、更にくすぐる両手を激しく動かした。アミリさんはもはや絶叫しているかの如き笑い声を上げている。だがリリアは意に介さない。


「うふふ……死ぬまで、くすぐりますよ……お母さんなら、どうとでもできますよね? でもいいです……お母さんじゃなかったら、このまま、私と一緒に……!」


 目に狂気的な光を浮かべ、笑いながら両手を激しく動かすリリアを見て、俺は思った。

 これ……止めないと死人が出るのでは?

 っていうかアミリさん既に呼吸困難で死にそうになってる気がする。


「リリア! 待て!」


 慌てて駆け出し、リリアを止めるべく手を伸ばす。反対側ではなぜか幼女が手に持つスリッパを光輝かせ、大きく腕を振りかぶっていた。俺と同じく何かしらの手段で止めようとしているっぽいが、あれも割と荒療治な気がする。光り輝くスリッパでぶっ叩かれる前に止めないと。そう思い加速して、リリアの肩に触れようとした次の瞬間。

 アミリさんから人ひとり呑み込むぐらい大きな水柱がリリアに向かって放たれた。するとリリアが水柱に押されて吹っ飛び、すぐ後ろにいた俺へとヒップアタックしてくる。


「ぐはぁ!?」


 油断していた俺は下腹部でリリアを受け止め、くの字になって宙を飛び——部屋の壁に衝突した。背中に激しい痛みが走る。それと同時に全身が木製の壁にめり込んだ。


「くっ……リリア、大丈夫、か……」


 リリアを抱えたまま、めり込んだ壁から床に降りる。

 俺は身体が丈夫だし加護ですぐ治るが、リリアは魔女とはいえ身体能力は普通だ。治癒魔法も使えないし、大きなケガはそのまま致命傷になる。


「うっ……うぅ……」


「どうしたリリア! どこか痛いのか? 内臓か? 骨か?」


「……ち」


「ち?」


「口の中が、苦いぃ……」


「……………………」


 リリア、お前……口の中、まだ苦かったのか。

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