「わたしの、負けね……」
コツコツと足音を立てて近づいてくる影を見上げる。
「アミリさん……?」
「リリアの母で、ミリアといいます。……娘を庇ってくれてありがとうございます。ケイさん」
さっきまでアミリと名乗っていた彼女はいつの間にか白いワンピースが、リリアに似た魔女らしい黒いローブ姿に変わっていた。だがそれだけじゃない。
身長や胸が大きくなり、顔つきも変わり、声も変わっている。さっきまでとはまるで別人だ。変わっていないのは長い黒髪ぐらいか。
「いえ、庇ったつもりはないんですが……」
「うふふ……謙虚なのね」
謙虚とかじゃなくて、ミリアさんの放った水魔法に巻き込まれた形なので、実際リリアを庇えてはいない。壁の衝突は身代わりみたいな感じになったが、それも偶然だ。
もちろん巻き込まれない軌道だったら即座に動いて、自分からリリアのクッションになっただろうけど。
「あらあら、大変……リリアちゃん、肋骨が折れてるわ。早く治さないと」
ミリアさんはリリアの身体に手を当てながら、全然大変じゃなさそうな感じでおっとり呟いた。
リリア、お前……肋骨が折れてたのに、さっき口の中が苦いって訴えてたのか。もっと先に主張することあるだろ。
「うっ……お母、さん……?」
「リリアちゃん、どう? 一応、回復魔法は全身に掛けたけど……意識はハッキリしてる? 身体は痛くない?」
「痛く……ない、です」
リリアがよろよろと立ち上がり、ミリアさんを睨みつける。
「それで、お母さん……なんでこんなことをしてるのか、教えていただきましょうか」
「それはもちろん。だけど、その前に……」
ミリアさんはびしょ濡れなローブの裾を摘み、持ち上げて苦笑した。
「お風呂、入りましょう? わたしたち三人とも、このままじゃ風邪引いちゃうわ」
〇
リリア、ミリアさん、俺の順番で風呂に入った後。
幼女を加えた俺たち四人は再びダイニングに集まり、長テーブルについてミリアさんが淹れてくれた紅茶を飲んでいた。
ちなみに濡れた服はミリアさんが熱風魔法で乾かしておいてくれたらしく、サラサラで快適だ。
「まったく……だからワシは言ったんじゃ。ミリアが加わったら絶対にバレると」
「えぇ~、でも途中までは割といけそうでしたよ?」
「いや、全然いけそうになかったわ。普通に途中からバレてたじゃろ。はぁ……見知らぬ幼女を装って、色々とケイの本性を探っていく作戦が全部無駄になったわい。準備するの大変だったのに……」
幼女がミリアさんに向かってクドクドと文句を言う。
もはやなんとなく正体はわかるが、ここは一応聞いておかないと。
「あの、説明してもらってもいいです? あと、あなたが誰なのかも」
「ふん……まあ、いいじゃろ。ワシはルナリス・ロジェスティラ。一族の者には大婆様と呼ばれとる。無論、ワシとミリアにはおぬしの魔眼は効かぬから安心せい」
「こら、ルナちゃん。テーブルに足上げない。お行儀悪いでしょ」
「ごめんなさいお姉ちゃ……っていつまでロールプレイしとるんじゃ!」
「あら……うふふ、ごめんなさい。大婆様がその姿だと、つい」
ミリアさんが口に手を当ててクスクスと笑う。
そんな二人を見てリリアが顔を引きつらせながら疑問を口にした。
「私が以前見たときの大婆様とは、似ても似つかないのですが……」
「最近は幼女にハマっておっての。ここ数年はずっとこの姿じゃ。幼女はいいぞ。誰もが優しいし、そうでない場合でも悪人を簡単に見分けられるから掃除もしやすい。もちろん幻覚のたぐいではなく、肉体を直接変化させておる。幻覚の魔法を使い続けるのは面倒じゃからな」
幼女な大婆様はドヤ顔でフンスと鼻息を荒くした。
肉体を直接変化って……純粋にすごいな。リリアが以前、彼女に関して『こと魔法に関して言えば、不可能はないのではないかと思うぐらい』と言っていただけはある。
まあその記憶があったからこそ、大通りで俺と接した彼女の態度を途中から怪しんでいたのだが。
今思えば、見知らぬ幼女として振舞っていたあのときの彼女は、明らかに俺を怒らせようとしていた。まるで何かを試すように。もし俺になんの心当たりもなかったら、誰か知らない人間に指示されて彼女がそういう演技をさせられているのかと思ったかもしれない。それぐらい彼女の態度は不自然だった。
ただ……俺たちは大婆様に会いに行くところだったからな。
何かを試されてる? なんのために? 誰が? という話になったら、そりゃ他に候補がいないんだから、『もしかして……大婆様?』という発想も出る。試される理由とか動機も正確にはわからないが、少なくとも見知らぬ誰かよりはなんとなく想像がつくし。
「幻覚の魔法といえば……お母さんの変化は、私の水魔法で解けませんでした。あれはなぜです?」
「おぬしが自分で言っておったじゃろ。ミリア自身に掛けているわけではなく、見ている相手の五感に直接働きかける魔法だったからじゃ。だからミリアの胸を揉むという暴挙に出たおぬしの行動は正解じゃったぞ。普通の術者であれば直接触れた際の感覚、しかも大きいものを小さく感じさせるなんてことは至難の業じゃからな。まあ、ワシは普通の術者じゃないから余裕じゃったが!」
大婆様が再びドヤ顔でフンスする。
あれ……? でもリリアがミリアさんの胸を触る直前ぐらいに、メッチャ慌てて登場してリリアの頭をスリッパ的なもので叩いてたから、よくよく考えると全然余裕ではなさそうだったな。
もしかするとあのままリリアがミリアさんの胸を揉み続けていたら、水魔法で吹き飛ばされるとか痛い思いをしなくても正体を看破できたのかもしれない。……絵面が相当ヤバいけど。
「五感に直接働きかける魔法……いつの間に掛けたのですか? 全然気が付きませんでした」
「修業が甘いの。おぬしらが大通りにくる前にはもう掛けておった」
「あっ……もしかして、ケイさんが『物理的に空気が重い』と仰っていたときでしょうか?」
リリアが手を叩きながらこちらを見てくる。
確かにそんなこともあった。気のせいかと思うぐらい微かな感覚だったのに、あれだけでかなり強めな幻覚魔法を掛けられていたとか……とんでもないな。
「私はまったく気が付きませんでした……」
「おぬしはワシのペンダントを身に着けているからの。常にワシの魔力を纏っているようなものじゃから、特に掛けやすかったぞ」
「…………」
「待て待て、ペンダントを外そうとするでない。こっちの小僧の魔眼に掛かったらどうする。面倒じゃぞ」
「俺の魔眼のこと知ってるんですか?」
「当然じゃ。その目は我がいも……ゲフンゲフン。何を言っとる。手紙に事情を書いておったじゃろ」
大婆様が呆れた目で見てくる。
そういえばリリアが先に手紙で事情を伝えている、と言ってたのをすっかり忘れていた。
……でもその前に何か言いかけてなかったか?
この魔眼について、元から何か知ってるのだろうか。ちょっと気になるな。
「まあ、それだけじゃないがな。おぬしらの旅の道中、一通り見させてもらったぞ」
「わたしも見てたわよ~。ケイちゃんがトレントを倒したときは感動しちゃった」
なんかいつの間に、ミリアさんから『ちゃん』呼びされてる。
っていうか待てよ……その辺りから見られてたってことは、つまりシルヴィや、リリアとの色んなあれやこれも、全部……?
「しかしまあ、おぬしは無駄に良い顔しとるくせに、ウダウダと……結局どっちなんじゃ? シルヴィとリリア、どっちに決めるつもりなんじゃ? それともやはり両方か?」
「ちょ、何を言ってるんですか。どっちとかそんなのないですよ。こんな状況で……見ていたなら知ってるでしょう?」
「ほう? ならば今はまだ、心に決めた相手はいないと?」
「当然です」
まずはシルヴィの魅了を解いてから、大婆様に魔眼の制御方法や解き方を教えてもらう。そしたら次にアンファングさん夫妻の魅了を解きに行く、というのが当面の最優先事項であり、彼ら彼女らに現在進行形で多大な迷惑を掛けている俺の責務だ。心に決めた相手うんぬんとか、そういう話はそれらが全部終わってからの話だろう。
「ふむ……ならば、問題はないな。しかし、懐かしいのぉ……」
「はい?」
「いや、こっちの話じゃ。それで、手紙にも書いてあったが……おぬしらはワシの力を借りたいのじゃろう?」
「はい。お願いできますか? 俺にできることなら、なんでもします」
「殊勝な心がけじゃの。リリアと行動を共にしているとはいえ、図々しく頼んできたら断ってやろうと思っとったが……まあ、力を貸してやらんこともない。見知らぬ幼女に対しても優しかったしの」
「あ……ありがとうございます」
都合よく何もしないで力を借りるつもりはなかったが、下手に出て頼んで良かった。
あと、やっぱり大通りのときは俺がどう反応するか、試されてたのか……怒ったりとかしなくて良かったな。幼女に対してだけじゃなく、普段から人の態度で怒ることなんて基本ないから、大丈夫だったとは思うけど。
「ただし、条件がある」
大婆様はそう言って人差し指を立て、ニヤリと笑った。