「ガッテン!? なんじゃそれは!?」
「なんでもないですー!!」
背後から聞こえてくる大婆様の問い掛けに、全力で走りながら答える。
異世界とはいえ、どうしてこうスルーしてほしいときにピンポイントで意味が通じないのだろうか。大婆様とか一番通じそうなのに。謎すぎる。
改めて『合点承知とは?』って聞かれると恥ずかしいよ。
今の十代とか下手したら聞いたことないだろ。
これ強化魔法で異様な精神状態になってなかったら普段は絶対に言わない言葉だぞ。俺自身どちらかといえば昭和に近い平成生まれだけど、さすがにおっさん扱いされそうで言わない。言えない。いや十代から見たら十分におっさんだろうけど。
そんなしょうもないことを一瞬で考えながら走っていると、前方から凄まじい速さでクラリスさんがこちらに向かってきた。お互い走っているから距離の縮まる速度が半端ない。クラリスさんが走りながらも、両手に持った短剣を胸の前で構える。
それを見て、俺も自分の右手に下げた長剣を意識した。
クラリスさんの相手はしなくていい……と言われてはいるが、襲われたなら迎撃はしないといけないし、その場合なんならこっちから逆に武器破壊ぐらいは狙った方がいいだろう。
そう思い、走りながら腕に力を溜めて、クラリスさんと今まさに接敵するであろう次の瞬間。
前方の上空に突如として現れた無数の光球がこちら目掛けて飛んできた。
それらの光球を上体を動かして避け、横跳びで交わし、無理そうなものは剣の腹で滑らせるように受けて回避する。
「……すれ違ったか」
そうこうしている間に、どうやらクラリスさんは足を止めずに俺を通り過ぎ、大婆様たちがいる後衛陣営へと向かっているようだ。
絶好のチャンスだったのにまったく攻撃してこなかった。ということは十中八九、最初から俺を無視するようテオドラに言われていたのだろう。
「ケイ! そなたの相手は余だろう! よそ見していないで早くこい!」
前方ではテオドラが宙に浮かびながら、周囲に次々と新たな光球を生み出していた。
その新たに生み出した光球は遠く後方、大婆様やミリアさん目掛けて放たれているようで、こちらには一切放ってこない。恐らく大婆様やミリアさんが大魔法を準備する隙を、細かい魔法で潰しているのだろう。世界一の魔法使いという割には意外と堅実な攻撃をしているように見える。
「わかったよ! わかったから降りてこい! 剣で戦おうぜ!」
「いいだろう!」
「いいのかよ!?」
そんな問答をしている間にも走っていたら、あっという間にテオドラの前に辿り着いた。それはそうだ。50メートル近くも距離を開けたとはいえ、走っている最中、クラリスさんのちょっとした支援程度にしか魔法攻撃をされなかったんだから。
「大婆様も言ってたけど、随分と余裕だな。世界一の魔法使いなんだろ?」
「世界一の魔法使い? ああ、そういえば婆が言っていたな」
テオドラは宙から地面に降り立つと、両腕を胸の前で組みながら小さく笑った。
「フッ……婆がいつも世界一の魔女を自称しているからあまり意識したことはなかったが、そうだな、確かに攻撃魔法だけを考えたら余が世界一かもしれん。だが、余の戦いにおける本分は魔法ではない」
「魔法じゃないって……それじゃなんだ?」
「魔法剣だ」
「あ、そっちか……って、今回それもハンデで使用禁止じゃなかったっけ?」
「そうだな。しかし、魔法抜きの剣士としてだけでも、余は十分に自信がある」
「へぇ、そりゃすごい……あれ?」
そういえば、テオドラは両腕を組んで立っている。
腰に剣を下げているわけでもない。
「テオドラ、剣は?」
「やれやれ……気が付くのが遅いな」
テオドラが肩をすくめて首を左右に振る。
直後、俺の首に冷たくて硬い金属らしきものがそっと触れた。
「え……」
「フフフ……実戦だったら死んでいたな」
ふと気が付けば、自分の右肩に背後から伸びた長剣の先が添えられていた。
ゆっくりとその剣から身体を離して、後ろを見る。
すると先ほどまで俺の頭があった場所付近に小さな黒い穴が開いており、長剣はそこから出ていることがわかった。
テオドラは俺のすぐ後ろの空間に穴を開けて、そこから剣を伸ばしたのだ。
「こんなことできるのか……っていうか、これ使用禁止の魔法剣じゃないか?」
「そんな大層なものじゃないが、魔法を使って剣を動かしているから魔法剣と言えば魔法剣だな。もちろんここからは使わんさ。ただの挨拶代わりだ」
「趣味のいい挨拶だなぁ……」
「フフ、気が引き締まっただろう?」
テオドラが胸の前で組んだ右手を下げると、ちょうどそこに黒い穴が開いて剣の持ち手が出てくる。彼女はそれを掴み取ると、流れるような動作でこちらに向けて上段からの斬り落としを放ってきた。
普通に軌道が見えているので当然、手に持った剣でその一振りを防ぐ。
「これも挨拶か?」
「そうだな。まずは小手調べだ。いきなり全力でやって即死されては敵わん」
「それはありがたい……な、と」
防いだ剣を押し返して、今度はこちらも上段からの斬り落としを放つ。
テオドラはそれをまるで約束事のように、自分の剣で受けた。
「フフ、器用だな。余が放った剣より少しだけ速く、少しだけ強い」
「こっちも大婆様から強化魔法を掛けられて、普段と勝手が違うからな。試運転ってことで」
「いいな。楽しめそうだ。……と、その前に」
テオドラは俺の剣を弾いて距離を取ると、空いた左手で指を鳴らした。
一拍置いて、後方から空気を切り裂くような雷鳴が響き渡る。
「うわっ!? なんだなんだ!?」
「なに、婆が面倒そうな魔法を放つ気配があったのでな。待機させておいた魔法で邪魔をした」
テオドラはそう言って再び剣を構え、こちらに下から弧を描くような斬撃を放ってきた。それを剣で防ぎながら内心で驚く。
待機させておいた魔法って……いつの間に?
全然気が付かなかった。しかも当然のように無詠唱だし。
リリアは自分の杖にあらかじめ術式を刻んで、ほとんど一発撃ったら終わりぐらいの魔力消費でやっと簡易詠唱ってレベルなのに……テオドラは今さっきの魔法に加え、こうして俺と剣で戦っている間にも上空に無数の光球を出現させて、それを大婆様たちの方へ撃ちまくっている。無詠唱で。
「マルチタスクにも程があるな……」
「まるちたすく? なんだ、褒め言葉か?」
「そうだよ!」
お互い徐々に剣撃の強さと速さを上げながら、攻防を加速させていく。
今のところは俺もまだ少し余裕があるけど……見たところ、テオドラはクラリスさんに腹パンしたときに使った黄金のオーラみたいなの使ってないんだよな。
あれがテオドラの強化魔法的なものだとしたら、つまり彼女は素の状態で大婆様の強化魔法が掛かった俺の剣撃を凌いでるってことになる。
「は……ははっ……ははははは!」
「フフ、どうした? 楽しくなってきたか?」
「ああ、楽しくなってきた! 強い相手と戦うのってこんなに楽しいんだな!」
強化魔法で普段より地味に興奮状態ではあったが、実際にテオドラと攻防を繰り広げることでテンションがより高くなってきた。
「そうか、それは良かった。そなたは優しいからな。嫌々付き合わせているのではないかと心配していたところだ」
「いやいや、あれだけ強引に色々と進めておいて今さらだろっ」
「先ほどまではクラリスや婆が近くにいた手前、手段を選ばん態度を見せたが……余はできるなら穏便に済ませたいと思っているぞ。そもそも今日だって他の連中がやって来なければ、後でケイは密かに解放するつもりだった」
「えぇ? 本当に?」
「もちろんだ。そなたを拘束して監禁するつもりなぞ毛頭ない。余は元々あまり他人に干渉することを好まん。なんなら結婚しても週に一、二回ほどアルカン戦略盤ができれば十分なぐらいだ。むしろ仕事や一人の時間も大事にしたいがゆえに、毎日会いたいと言われても困る。そなたの場合、妻が複数いるからそれでも寂しくはないだろう? 他の人間はどうか知らんが、余にとっては自分が不在中、夫の相手をしてくれる女がいるのは助かる……こら、剣捌きが甘くなっているぞ。何を動揺している」
「つ、妻が複数って……俺はまだ誰とも結婚してないから」
テオドラの連撃を必死に防ぎながら受け答えする。
喋りながら戦うの、難しすぎて手元が狂いそうだ。
「フッ……確かにな。そなたがこの戦いに参加することを否定しなかったのも、魔眼問題を解決してしまえば結婚や第一夫人、第二夫人などの話は後からどうとでも誤魔化せるからだろう? 言ってみればこの戦いの直前、婆が魔眼問題の解決に協力するよう余に約束させた時点で『勝ち』だものな」
「約束させた時点で勝ちって……人聞きが悪いな」
あのままだとテオドラに問答無用で拉致されて、下手したらありとあらゆる要求を呑むまで監禁されると思っていたから、全員で戦う流れを否定しなかったのは意図的だし、戦う前に取り付けたあの約束が一番重要だと考えていたのも確かだ。
けど——
「魔眼の問題を解決するのが最重要だと思っていただけで、シルヴィやリリアの話を誤魔化すつもりはない。ちゃんと向き合って、しっかり答えを出すつもりだ」
「……余は?」
「え?」
「余の話には……ちゃんと向き合って、くれないのか?」
テオドラは急にしおらしい顔で俺を見つめ始めた。
目をうるうるさせて——長剣による怒涛の猛攻を繰り広げながら。
「くっ……おまっ……わざとやってるだろそれ!?」
「なんの話だ? 余、わかんない……」
「やめろ! 頭バグる!!」
皇帝モードで態度を尊大にするならそのまま貫いてくれ!
ただでさえキャラ濃いのにいきなり別キャラ突っ込んでくるな!
お、おいっ! しかも剣の攻撃加速させるな! 悪ふざけも大概にしろ!!