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第5話 マイヤ。

 マイヤの家で食事をしていて気がついたことがある。

 魔の気配が先ほどより近い。

 この近くに魔がいるようだ。

 先ほどより近いといっても、場所が特定出来るほどの強さではなく、私は混乱していた。近いような遠いようなという状態が続いている。こんなに居場所を掴みにくいことがあっただろうか。

 アイラクシネン村の森も魔の気配を掴みにくかったが、あれは森自体の持つ独特なエネルギーや空気の所為もあったと思う。が、ここは町のど真ん中。森のようなカモフラージュはきかないはずだ。

 何故だろう。

 まだ、はっきりするほどの距離ではないのか。それにしては気配は町中を覆っている。不思議だ。


「マイヤさん、お姉さんたちを探してるの?」

「うん。シルヴァお姉ちゃんとミルヴァお姉ちゃんたちが三日前から帰ってないの」

「ふうん。三人暮らしだったんだ」

「ううん、お母さんも一緒だったわ」

「四人家族?」

「そう。でもお母さんは大分前にいなくなってしまったの。お姉ちゃんたちみたいに」


 それは、魔に殺されてしまったのではないだろうか。

 恐らく、ユーリも同じことを思っただろう。

 けれど、マイヤはそんなことは頭にないようで、食後のお茶を入れてくれた。真っ白いティーカップを満たすそれは、消化を促すお茶なのだそうだ。マイヤはお茶を口にして、早く帰ってきて欲しいなと呟いた。

 こんな純粋に帰りを待っているのに、魔の所為だろうとはいえない。大体、魔の所為だと決まったわけでもない。


「お母さんも、お姉さんたちも、早く戻ってくるといいね」

「うん。きっとどこかで元気にしているわ。私が探してあげないと、悲しんでしまう」


 マイヤはそういって目を伏せた。なんだろう。この子、少し変ではないだろうか。普通町に魔が出ていて、母親と姉がいなくなっていたら、まず魔を疑うだろう。

 けれど、マイヤはそれを疑ってはいない。

 すぽんと魔のことが抜け落ちているみたいだ。

 私はユーリと話すマイヤの目をよく見てみた。すると、ちょうど空間の歪みの空気にやられた人のように、時々少しだけ焦点が合わなくなることがある。

 この子は幻に包まれている可能性が高い。

 この町は魔の気配はするけれど、空間の歪みの空気は感じられない。魔は空間の歪みから現れては人を喰らうという性質から、空間の歪みからそう遠くへは行けないといわれている。

 なのに、この町には確実に魔がいて、けれど空間の歪みの空気は感じられないという状態だ。わけが分からない。


「ここの町の人は随分長い間閉じこもっているのかい?」

「うん、もう大分経つわ。最低限、食材や日用品は売っていたりするけれど、それも不定期だし高いし。お金ももうすぐ尽きるわ。働かなきゃと思うけど、働くところもないの」

「魔が現れてから生活が変わってしまったんだね」

「そうね、変わってしまったわ。環境も人も。そんなことより、二人はどうして旅をしているの?」

「僕たちは魔を倒す旅をしているんだよ」

「そう、なんだ」


 マイヤの表情が一瞬曇ったのを私は見逃さなかった。

 旅についての話をユーリが続けているが、マイヤの瞳は虚ろになっていく。幻を見ているのだろうか。

 しかし、空間の歪みは感じられない。

 何なんだろう。この違和感は。

 魔が移動するとかいうことがあるとでもいうのだろうか。確かに、魔が空間歪みごと移動するなら、色々説明も付くのだけれど。


「ユーリ、そろそろ行こうか」

「え、まだゆっくりしていてもいいのに。一人での食事はつまらないわ」

「マイヤもゆっくりはしていられないでしょう。お姉さんを探している途中だったんだよね。私たちは魔を探さなければならないから」

「ねえ、この町にはまだ魔がいるのかしら」

「いるよ。だから、注意して」

「アル、今日はどこに泊まるの?」

「ここに泊まればいいと思うけど、そうはいかないのね」

「女性の家だからね、遠慮するよ。宿はないのかい?」

「こっそり受け入れているところはあるわ。連れて行ってあげる。どうせ私もそっちに向かうつもりだったし」


 マイヤの家を出て、向かったのは広場だった。

 静まりかえった広場の真ん中に来ると、マイヤは西側のメインストリートを指差す。この奥にこっそり営業している宿があるという。

 何でこっそりなんだろうねとユーリは聞いた。

 それは多分、人が集まれば魔の目に付きやすいと思われているからではないだろうか。静まっている中、人が出入りするところがあれば狙われると。それと、皆静かにしてるんだから静かにしなければという気持ちの問題もあるだろう。

 そう説明するとユーリは納得したようだった。

 私たちはマイヤに別れを告げて、一旦宿に行こうとした。が、急に空間の歪みの空気が溢れ、魔の気配が強くなる。

 どういうことなのかと振り返ると、マイヤの体が宙に浮いていた。

 まさか、空間の歪みはマイヤの体内にあったのか。魔が人間に寄生するなんて聞いたことがない。でも、それ以外に説明のしようがない。


「ユーリ、門の外へ!」

「でも、アルが。アル一人でどうするの!」

「いいから、行くんだ」


 走り出したユーリに、こちらを見て硬直する兵士たち。

 私は三人を庇うようにして立った。

 マイヤは異様な気を放っていて、右手を前に突き出す。私はすぐに天に左手を掲げ、月光の杖を受け取った。放たれた気の塊を杖の力でそらす。攻撃をよけながら思う。

 魔が寄生している場合、倒した後はどうなってしまうのか。マイヤはどうなる。すでに幻を見ている状態だから、心が喰われてしまっている恐れがある。

 だとしたら、もう人間として生きることは出来ない。分かってはいるけれど、攻撃をするのがどうしても躊躇われる。


「その子のお母さんやお姉さんたちを殺したのもお前か」

『そうだ。居心地のよい体だった』

「そうか」


 母親や姉たちもこの魔に体を乗っ取られたようだ。

 恐らく、母親が最初だっただろう。

 母親の姿で町の人間を喰っていったのだ。見知った人間が近づいてきたと思ったら、魔に襲われるという恐怖。町の人たちが頑なに外へ出ないのは誰が魔に憑りつかれているか分からないからなのか。


「私はお前を許さない」

『お前には殺せない。この少女を見て殺せるか?』

「殺せるよ。殺しておかないと、また次の犠牲者が出てしまう」


 私は杖を構え、大地を突こうとした。

 その時。


『アルベルトさん、助けて!』


 マイヤの声だった。

 体が硬直すると同時に、私の右腕を光が掠めた。鋭い痛みが走り、血が吹き出す。右腕には力が入らなくなった。こんな卑怯な手を使ってくるなんて、許し難い。私は左手に意識を集中する。


『助けて、助けて、アルベルトさん』


 マイヤの声が響く。


『助けて、お願い。殺して』


 マイヤの意識は残っている。私は魔の攻撃を弾くと、大地を突いた。

 私の体をのみこむほどの大きな光の球体が魔に向かっていき、包み込んで発光する。溢れる光に魔の断末魔が響く。

 マイヤは救われたのか。

 それに混じって微かに、マイヤの声でありがとうと聞こえた気がした。これでよかったのかは分からないが、私に出来る精一杯だ。光が引いた後、マイヤの体は跡形もなく消え去っていた。


「アル、避けて!」


 ほっとした私の後頭部を衝撃が襲う。

 最後に見たのは駆け寄ってくるユーリと、木の棒を持った兵士の姿だった。

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