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第8話 花の町クレメラ。

 具合が悪い。

 目眩に吐き気、寒気に耳鳴り頭痛までする。

 これだから空間転移は嫌いなのだ。

 本当はすぐにでも情報収集をするべきなのだろうが、少し休んでからでないと無理そうだ。取り敢えず、宿を取ってベッドに横になった。

 ユーリは外の様子が気になるようなので、私が休んでいる間町を散策してくるようだ。私はユーリが用意してくれた水を一口飲んで、大きく息を吐き出す。

 宿はクリスと来たときと同じ宿で、建物の造りも置いてある家具も昔と何も変わっていない。少しだけ開いた窓からふんわりと花の香りが漂ってくる。

 この町は前と同じように花で溢れているのだろうか。転移所からここまで歩いてきたが、具合が悪すぎて何も見ることが出来なかった。窓から覗くくらいは出来るかと体を起こしたが、吐き気がこみ上げる。重症だ。

 その時、小さくノックの音がした。

 起き上がったついでだからと、唸るような返事を一つしてドアを開ける。


「お客さん、空間転移酔いだって金髪の子が言っていたんで薬を持ってきたよ。水はあるかい?」

「ええ、あります。お気遣いありがとうございます」

「早く良くなって明日からの花祭りを見て欲しいからね。今年は丘の桜が最後だから、お兄さんも見ていっておくれよ」

「ありがとうございました」


 宿のふくよかな女将さんはすぐに飲むんだよと念を押して去っていった。私はドアを閉めるとすぐに薬を飲んだ。この具合の悪さは耐え難いものがある。これで収まるのならば飲もう。独特の匂いのする粉薬を飲み下すとベッドに横たわった。

 薬が効いてくれることを祈りつつ目を閉じる。体が軽くなったり、重くなったり。また、横揺れをしたり縦揺れをしたり。吐き気をこらえているうちに眠りについていた。




「アルー。アルってば、もうそろそろ起きてよ」




 何だろう。ユーリの声がする。ああ、散歩から戻ってきたのか。起きなければ。けれど、起きなくてはいけないのに体が重い。ベッドに体が沈んでいくようだ。

 ユーリが私の体を揺らしている。分かっている、もう起きる。起きるから、寝かせてくれ。


「もう、アルは本当に寝起きが悪いなあ。もうお昼過ぎたんだよ。お腹が空いたよ。ご飯食べに行こうよ」


 ご飯、ご飯か。私も食べたい。


「いい加減にしないと怒るよ!」


 私は上半身を少し起こして、温かな布団から滑りおりるようにして出た。意識がはっきりするまでには少し時間がかかる。ぼんやりとした視界の中で、ユーリはピンクのリボンのついた小さな花束を持って嬉しそうにしていた。


──ああ、明日から花祭りなのだ。


 ユーリは私の目の前で花束を振る。少しずつ、目の前のものがはっきり見えて来た。この寝起きの悪さはどうにかならないものだろうか。いつもユーリに叱られてしまう。


「アル、やっと目が覚めたかな。具合はどう?」


 具合、具合は。

 そうだ、私は空間転移酔いで寝ていたのだ。女将さんのくれた薬のおかげだろうか、目眩も寒気も吐き気も耳鳴りも頭痛も全て治っていた。こんな特効薬が存在するならば空間転移も怖くはない。

 いや、やはり怖いか。


「ごめん、ユーリ。お腹が空いてるよね。ご飯食べに行こうか」

「うん。町を歩いているときに何軒かご飯屋さん見つけたよ」

「この町には知っているお店があるんだ。そこに行こうか。とても美味しいんだよ」

「そこもお兄ちゃんといったの?」

「うん、そうだよ」

「いいね、そこに行こう」


 私は思い出の店にユーリを連れて行くことにした。

 宿を出ると太陽の光が眩しくて、思わず目を細める。

 宿の前の広場の噴水、観光客に花を配って回る子どもたち。そこには数年前と変わらない花祭り前の景色があった。こんな美しい町が魔の脅威に晒されているなんて。

 私は家を見上げた。窓辺にたくさんの植木鉢が並べてあって、色とりどりの花が咲いている。どこも花だらけだ。

 どこの家にも花があるのはコンテストが行われて、優勝者には来年の公園の花時計のデザインをする権利が与えられるからだ。花時計は町のシンボル。それをデザインするのは大変名誉なことである。だから、皆綺麗に花を飾るのだ。

 私はメインストリートから一本細い道にはいる。そこを進んでいくと、小さな庭に鮮やかな花を植えた、一軒の食堂がある。小路に入るのでなかなか一般の観光客では気づけないお店だ。

 入り口にも窓にも花。

 店内に入ると、そこも花で溢れている。


「すみません」

「はーい、いらっしゃいませ」


 出てきたのは私より少し年上であろう女性。この人がここの店主で、名をフローラさんという。フローラさんは最初きょとんとしていたが、やがて私に気づいてくれたようだ。私が頭を下げると、花にも劣らぬ笑みを浮かべて席に案内する。


「貴方はいつかの。もう一人の人はどうしたの?」

「彼は三年前に」

「そうだったの。今はこの子が相棒かしら。何でも言って、可愛いからおばさん腕によりをかけて料理を作るから」

「おばさんだなんて、私とそんなに変わらないでしょう」

「あら、貴方はいくつだったかしら」

「二十四ですよ」

「いやね、お世辞言ってもダメよ。今日はこの子にサービスするって決めたんだから」


 私たちは日替わり定食と単品でおかずを二皿、それにデザートを頼んだ。フローラさんはちょっと待っていてねと厨房に消える。奥から調理をする音が聞こえる。

 注文した料理が運ばれてくるまで、私は以前に見た花祭りの話をした。花で埋め尽くされた町での色々なイベントに、丘に咲く桜の老木、それにフィナーレの華やかさ。そして、それを見てはしゃいでいたクリスのこと。

 ユーリは目を輝かせて聞いていた。

 それにしても、町に来たけれど魔の話をあまり聞かない気がする。私は話しながら壁に目をやった。この食堂では新しいニュースは紙に書いて壁に貼られるのだ。魔に気をつけてという文言はあったが、どこでどうという話までは書いていなかった。


「はーい。出来たわよ。たんとお食べ」

「うわあ、美味しそう」

「そういえば、貴方は美味しくなさそうに食べるのよね。一生懸命作ったのに残念だわ」

「すいません、癖というか」

「分かっているわ。さ、食べて。二人とも。デザート一品サービスしておいたから」


 ユーリは手を合わせると、美味しそうに食べ始めた。私は美味しそうに見えるように食べたいけれど、頑張れば頑張るほどフローラさんの顔がひきつるので普通に食べることにした。皿が空になるまでにそう時間はかからなかった。


「ごちそうさま、すっごく美味しかったよ」

「とても美味しかったです」

「それは良かったわ」

「ところで、ここには魔がいると聞いてきたのですが、そういう雰囲気ではありませんね」

「ああ、それで来たのね。雰囲気は花祭りだからと思うわ。魔がいる中でも花祭りを成功させようと運営が必死だから。魔が出るのは丘の上の桜の木の周辺って噂だわ。今まで五人が犠牲になってる」

「丘に近寄らなければ大丈夫ということですか?」

「そうね。けど、あの桜の老木は今年切られることになっていて、魔ではなくて桜の老木の祟りという人もいるわね」


 桜の老木の祟りということはなく、魔が潜んでいるのだろう。

 丘の桜の老木には私も思い入れがある。クリスと一緒に見たから。クリスは桜を見るのが初めてで、その美しさに高揚する気分を抑えられないようだった。そうか、クリスが桜を初めて見たのなら、ユーリも初めてだろうか。魔を倒して安全になったらゆっくり見よう。


「桜、どんな花なのかな」

「桜はクリスの一番好きな花だったんだよ。きっとユーリも好きになるよ」

「じゃあ、魔を倒さないとね」

「よし、ご飯も食べたし、行こうか」

「気をつけて。無理はしないでね。もし、もう少しいるなら、またご飯を食べに来て」


 私たちはフローラさんに頭を下げて店を出て、丘の上の桜の老木に向かう。この町で安全に花祭りを行うために。今年最後の老木の花を見るために。

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