やはり、酔った。
空間転移酔いというものは、この世からなくなってくれないだろうか。
ラヴィネン城の一室のベッドで私は横になっていた。薬はもう飲んだが、具合がよくなるまでには、もう少し時間がかかりそうだ。酔い止めが出来ればいいのになあと思いながら天井を見つめる。
今の薬と違って、酔い止めならば具合が悪くならなくてすむ。船の酔い止めはあるのに、何故空間転移酔いの酔い止めは出来ないのか疑問である。それでも、よく効く薬があるだけでもマシなのだ。だが、より楽になる方をと思ってしまう。人間とは欲張りなものだ。
本当に、空間転移酔いは質が悪い。目眩が止まらない。
天井はカールレラ城と違って、綺麗に装飾が施されている。家具も白を基調とした上品なもので華やかだ。そして、そんな華やかな部屋の中で、私は吐き気をこらえている。情けない。
「アル、大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
「お城の人には空間転移酔いで具合が悪いので休ませて下さいって言ってあるよ」
「ありがとう、ユーリ」
急いで来て欲しいと言われたのに、何故私は寝ているんだろう。吐き気は少し治まりつつあるので、何とか起き上がった。この薬は本当に怖いくらいによく効く。この分でいくと、すぐに立ち上がれそうだ。
静かな部屋にノックの音が響く。
入ってきたのは六十代くらいの白髪で小太りの男性だった。メイドを一人連れている。私が立ち上がろうとすると男性はそのままでと言って、部屋の真ん中にあったイスを引きずってくる。ベッドの近くまで来ると、男性は座って笑顔を見せた。
「空間転移酔いですな。あれは辛いものです。私は仕事上、よく空間転移の術を使いますが、いつも寝込みますよ」
「あの、貴方は?」
「私はラヴィネン王国で大臣をしているヘルレヴィというものです。空間転移酔いするのに、急ぎで呼び出して申し訳ない」
「いいえ、もうよくなってきたので大丈夫です」
「おや。相当具合が悪そうだと聞いていたのですが、もうよくなりましたか」
「よく効く薬があるので」
「よく効く薬ですと」
ヘルレヴィさんは目を丸くした。
どうやら、あの薬はクレメラ周辺で飲まれているだけのもののようだ。王都にもああいう薬はないらしい。空間転移酔いの研究はされているようなのだが、まだ薬の開発には至っていないそうだ。
ヘルレヴィさんは腕を組んでうんと唸った。クレメラは観光地で空間転移酔いの人が多く出るため開発されたのではないだろうかという。そういう事情もあるだろうが、それならば条件としては王都もたくさんの人が訪れるので変わりはないだろう。
「クレメラから薬を取り寄せて研究すれば、酔うメカニズムを解明する手がかりになるかもしれませんなあ。うんうん。それが出来れば、酔い止めの開発も出来る。いい情報をありがとうございます。早速、クレメラに人をやりましょう」
ヘルレヴィさんは満足そうな笑みを浮かべた。
これで薬が開発されて、一般に普及されることを祈る。話をしているうちに、私の空間転移酔いはすっかり治まっていた。そう言うと、ヘルレヴィさんは本当によく効きますなと喜んだ。
ふと、ユーリを見やると俯いて何か言いたげにしている。
「どうしたんだい、ユーリ」
「いや、あ、あの。ヘルレヴィさん、カイ・ヘルレヴィって名前に覚えはないですか?」
「カイ・ヘルレヴィですか。それは離れて暮らす弟の名前ですなあ。十年以上会っていないですが。何故、弟の名前を?」
「カイおじさんはお兄ちゃんが旅に出ている間、僕を預かってくれていた人です。本当の家族みたいに接してくれて、すごく大事にしてくれました。何となく似ているし、ヘルレヴィという名前が珍しかったので、もしかして親戚とかかなって」
「貴方の名前はユリウス・ペルトネンでしたね。そうですそうです。弟からの手紙に貴方の名がありました。子どものいない私たちにとっては宝物のような子だと。貴方があのユリウスだったのですね」
「カイおじさんが手紙を?」
「そうですよ。ついこの間も手紙が来ていて、たまに顔が見たいといっていました。三年近くも会っていないから淋しいと」
ユーリは涙を流した。
ユーリは両親を幼い頃に亡くしていて、その顔を覚えていない。兄のクリスと身を寄せ合って暮らしていたが、その時助けてくれたのがカイさん夫婦だった。
クリスが魔を倒すため旅をしている間は、ユーリを預かっていてくれたのだそうだ。すごく大切にしてくれたんだよとユーリは語る。私は一度だけカイさんに会ったことがあるが、非常に温厚でいい人だった。
「久し振りに弟に会いたくなりました。今度休暇が取れたらクレメラの薬を手に入れて、空間転移で会いに行ってみようかと思います。その時に、ユリウス君が元気にしていたと伝えましょう」
「ありがとうございます、ヘルレヴィさん」
「いえいえ、こちらこそ感謝しなければなりません。ユリウス君が話をしてくれなければ、弟に会いに行こうなどとは思わなかったわけですから」
ヘルレヴィさんはにこやかにユーリの頭を撫でて抱きしめた。見ている私の心まで温まるようだ。
そこで、ヘルレヴィさんは一度腰を浮かせて姿勢を正す。それから、立ち上がると窓の方へ行き、外を見た。私はついさっきまで具合が悪くて寝ていたから、外の様子を知らない。ユーリも恐らく知らない。
くるりとこちらを向いたヘルレヴィさんの顔からは笑顔が消えていた。どうやら本題に入るらしい。
「正式に国王陛下からの依頼です。城下町に巣食う魔を倒して欲しいと」
「城下町に魔が出るのですか?」
「そうです。もうかなりの被害者が出ています。杖を持つ者が現れるのを待っていました。クレメラの魔を倒した者がいると噂に聞き、カールレラ領主に連絡をしました。そこで貴方たちを紹介されたのです」
「もう、長いこと出ているのでしょうか」
「そうですね、結構前からになります。隠していたので知らない人が多いです。一国の王都が魔に占拠されていると知れば、他国は放っておかないでしょう。戦乱の世の中ではありませんが、いつ攻め込まれるか分からないですからね。王都に魔が出るという情報は外に漏れないようにしたのです。いくら気をつけても多少は漏れるのですが」
確かに、アイラクシネンの村長に話を聞いた時も、ラヴィネン王国が傾くようなという話ではあったが、王都に魔が出るとは言っていなかった。情報を聞いたのはアイラクシネンまで来てからのことなので、そんなに情報が漏れているという感じでもない。
話が漏れないように苦労したのだろう。
杖を持つ者はそう多くないらしい。私も杖を手にしたのはユーリくらいの年のことで、それまでは存在すら知らなかった。
また、自分以外で杖を持っているのはクリスしか知らない。魔の存在についても謎が多いが、杖についての謎も多い。研究もしているのだろうが進んでいないのが現状と思われる。
「魔を倒せばいいのですね」
「そうですね。それと、もう一つお願いがあります。魔の対応に当たっていた大魔道士カレルヴォの行方が分からなくなっているんです。杖を持つ人間が常時いない以上、その場しのぎでも魔道士の力は必要です。探していただけませんか。最悪の事態ならば、それはそれでいいので、何か情報を」
「分かりました。大魔道士カレルヴォを探すのですね」
「取り敢えず、今日は休んで下さい。空間転移酔いのあとは体もキツいですから。明日、万全の体調になってからお願いします」
「それでは今日はゆっくり休ませていただきます」
「身の回りの世話をする者をつけましょう。エリサ」
「はい」
「しっかりお世話をして下さい」
エリサと呼ばれたのはヘルレヴィさんと一緒に入ってきたメイドである。銀髪に赤い目をした綺麗な女性だ。しかし、銀髪に赤い目だとは。嫌なことばかり思い出してしまう。
私と目のあったエリサという女性は、真っ直ぐに見つめてくる。何だろう。私は何となく違和感を感じていた。