数日歩いて、私たちは王都のすぐ北に位置するライティラ領に入っていた。
空間転移の術での移動も考えたが、小さな村や町を見ておきたいし、何より具合が悪くなるのでやめておく。薬は持っているものの、飲まずにすむならそうしたい。
最初に通りかかった村は魔の気配もしないのに、荒れた上にゴーストタウンと化していた。何とか見つけた村人の話だと、以前村には魔が出たのだそうだ。そして、片っ端から村人を喰ってしまい、今では住むものが殆どいないのだという。
どうも、ラヴィネン王国は魔が多い。それとも、世界的に魔が増えているのか。その可能性もないわけではない。いつか、空間の歪みの空気に満ちた、魔だらけの世界になってしまうのかもしれない。私はそう考えて、背筋が凍る思いだった。けれど、そのために杖があるのだ。私が頑張れば少しは世界の役に立つかもしれない。
村を通り越し、街道沿いのヤロヴィーナの町へ向かう。この調子で歩いていけば日が暮れる前につけるだろう。ユーリを見やると何やら考え事をしているようだ。エリサさんも少し心配そうな顔をしている。
「どうしたんだい、ユーリ。難しい顔しているけど、何か困っていることでもあるのかい、不安なこととか」
「困ってるわけじゃないんだけど。ねえ、アル。シュルヴェステルって魔のこと知ってるの。ラヴィネン城で倒れたのって、その名前が出たすぐ後だったと思うんだよね。それが気になって」
やっぱり、気になっていたのか。しかし、これにはなんて答えたものだろう。クリスが死んですぐにユーリに会いに行ったのだけれど、その時にクリスを殺したのは魔だと、私はそれを見ていただけだとはっきり言っている。だから、おおよそ私の答えは分かっているのだと思う。もう、真実を言わなければならない状況だ。あとは、どう言うかの問題。ストレートに言うのか、オブラートに包んで言うのか。私は前者を選んだ。
「シュルヴェステルはクリスを殺した魔の名前だよ」
「お兄ちゃんを殺した魔の名前が、シュルヴェステルなの」
「シュ、シュルヴェステル」
エリサさんの顔色が変わった。何か気になることを言っただろうか。その顔を見ると、すぐに元の表情に戻っていた。何だったのだろう。
それより今はユーリだ。ユーリは私の言葉に大きく反応はしていなかった。想像が付いていたと言うところか。けれど、名前を聞くというのは結構ショッキングではないだろうか。
今まではぼんやりと魔でしかなかった存在が、名前を知ることによって具体的な魔になるのだ。姿形は分からなくても、名前だけでその存在は確かなものになる。
「うん。何となくそうじゃないかなあって思ってた。でも、アルは今まで魔に殺されたとは言っていたけど、それ以上の情報は言わなかった。名前も知らないんじゃないかって思ってたんだ。けど、シュルヴェステルって名前を聞いて倒れたでしょ。流石におかしいと思うよ」
「ごめん。言えなかったんだ。ユーリが傷つくからとか、ユーリのためとか、そういうことじゃなくて完全に私のわがままだよ。思い出したくなかったんだ。あの時のことは」
「責めてるわけじゃないよ。ただ、倒れる前に言って欲しかった。僕は相棒としてそんなに頼りない?」
「そうじゃないけど。言う勇気がなかったんだ。怖いなんて、あの魔が怖いなんていったら、ユーリがいなくなるような気がして」
「僕、そんなに信用されてなかったんだ。ちょっとショック」
ユーリは俯いて歩き出した。
言うと傷を付けるとは思っていたけれど、言わないことで傷つけてしまうこともあるのだ。私は浅はかだった。ユーリはそれから目も合わせてくれなくなった。シュルヴェステルの名を聞いた時と同じくらいショックだ。目も合わせてくれないなんてことはなかったから。
エリサさんはこんな私たちを見て呆れているだろうか。その顔を見ると呆れていると言うより、強ばっているようだ。私たちが微妙な空気になっているから、雰囲気が悪いだろうか。私はエリサさんに話しかけてみることにした。
「エリサさん、変なところを見せてすみません。空気、悪いですよね」
「いえ、大丈夫ですよ。ユリウス様は賢い方ですから、頭では分かっていると思います。元凶はシュルヴェステルという支配者でしょう」
「支配者と呼ばれる魔はどう違うんです?」
「基本的には何も変わりません。魔は魔です。ただ違うのは、こちらの世界に干渉出来る立場と言うことです。支配者はあちらの世界では乱立する国の王子だったり、権力者だったりします。彼らの共通の目的はあちらの世界での権力です。そのためには力が必要で、その力を得るためにこちらで人を殺します」
「以前、エリサさんは力のないものはこちらに来たら帰れないと。どうしてですか?」
「高いんです。移動にかかるお金が。権力者や王子は私たちとは使えるお金が違います。私たちでは片道料金が精一杯なのです」
「もし、エリサさんが人を殺したら特別な力は手にはいるのですか?」
「恐らく。種族としては同じなので、私が殺しても支配者たちと同じ効果が得られるでしょう。ただ、私たちは支配者のように人を殺さないので、推測でしかありません」
我ながら、酷い質問だ。人を殺したら、なんて。私はもう喋らない方がいいのかもしれない。エリサさんはうなだれる私の顔を覗き込んで言った。
「気を遣わないで下さい。もっと酷い質問や、酷い言葉をかけられてきていますから、このくらい何ともありません。魔のことで知りたいことがあったら、どんな質問でもして下さいね」
エリサさんは私に笑顔を見せて小さく頭を下げると、前を行くユーリを追いかけた。私はどうしていいか分からず、地面を見た。たまには空を見ろよ、そう言ったいつかのクリスを思い出す。ユーリを頼むと言われたけれど、嫌われてしまったかもしれない。
何だか、気分が落ち込んで一人で宿にでもこもりたい気分だ。
ヤロヴィーナの町に到着した。
もう夕方だったので、宿を決めて食事をとりに食堂へ向かう。宿の隣にある小さな食堂。私たちは食事の最中、一切言葉を交わさなかった。何だか、雰囲気が良くなくてユーリは先に宿へ戻ってしまう。エリサさんと二人、この先の地図を確認してから宿に戻る。
ユーリは寝てしまっており、私は明かりをつけずにベッドへ向かう。
寝るには早いかと思ったが、何もすることがないので寝るしかない。ユーリに声をかけようかと思ったがやめておいた。今は私とは話したくないだろう。
明日の朝は普通に話せるだろうか。
次の町には転移所があるはずだ。そこからヒュヴァリネン領に飛ぶことが出来る。ヒュヴァリネン領にはクリスの眠る場所があって、そこに向かうべきかどうか悩む。一応、向かう準備だけはしておくけれど。
布団が暖まってくると、眠気が襲ってきた。
──桜が咲いている。
南の桜は終わる頃だろうが、北の桜はもう満開だろうか。流石にもう終わりを迎えているのか。そうだ。山に咲く遅咲きの八重桜ならばまだ間に合うのではないだろうか。
山に咲く遅咲きの八重桜。
あそこの桜は今年も咲いているのか。
桜の木に囲まれた私は、あそこの桜を思い出した。美しくて嫌な場所。行きたくはないけれど、いずれ行かなければならない場所。あれ以来、私は一度も行っていない。行くべきなのだろうか。私はどうすればいいんだろう。
うとうとしていた。
桜の夢を見ていたようだ。外はすっかり夜になっていて、私は変な時間に目を覚ましてしまった。夢が気になる。こんなところで桜の夢を見るなんて。呼ばれているのだろうか、桜の花に。
どうしたらいいのだろう。私はあそこへ行くべきなのか、行かない方がいいのか。行ったら一人でパニックを起こしそうだけれど。
──あそこの桜は今年も美しいのだろうか。