翌日、早々にこの城を発とうとしたら、ユーリが体調を崩した。
元気そうに振る舞ってはいたが、やはり、クリスの幻やエリサさんのことで、精神的に負担が大きかったのだろう。大人の私でもかなりの負担だったのだ、ユーリの精神への負担はどのくらいだったのか。幸い倒れたのが城を発つ寸前だったため、すぐに部屋に運んで休ませることが出来た。
青白い顔に白い唇、白い手。すっかり血の気が引いている。やわらかい金色の髪を撫でると、ユーリは水が飲みたいという。私はユーリの体を起こし、枕元のグラスに水を注いで渡す。
「ごめんね。具合が悪くなっちゃって。アルに迷惑かけちゃうね」
「迷惑なんて思わなくていいんだよ。ゆっくり体を休めよう」
「何だか、どう体を休めていいのか分からなくて」
「眠るのもいいと思うよ」
「それが、眠れないんだ。お兄ちゃんやエリサさんの夢を見てしまって」
「それで眠れないのかい。眠るのも辛いんだね」
「ねえ、アル。エリサさんはどうなったのかな」
「無事だと思おう。あちらの世界でどうなったのか、私たちには知りようがないから」
ユーリはそうだよねと言って俯く。あの時、咄嗟にあちらの世界に行かせることしか考えつかなかった。あちらの世界に行った後のことは、何も考えずに。もしかしたら、エリサさんがあちらの世界に行くのは危険だったかもしれない。そう思い至ったのはつい先ほどのことである。すぐに治療してもらえない可能性を、私は考えもしなかった。
私は水を飲んだユーリを寝かせようとしたが、少し起きていたいという。もう起きていられるのだろうか。少し心配だったが、黙って隣に腰を下ろす。
お昼の鐘が鳴った。
「ユーリ、ご飯は食べられそうかい」
「うーん、ちょっと無理かもしれない。食欲がなくて」
「吐き気がするとか、そう言うことではないのかい?」
「うん、吐き気はしないよ。頭も痛くないし、目眩もしない。痛いところも苦しいところもないけど、何だか辛いんだ」
「どうしたものだろうね」
食欲がないらしい。食べなければ弱ってしまうが、強制的に食べさせるわけにもいかない。困ったものだ。しかし、こればかりは自分で乗り越えるしかないのだろう。私に何か出来ることがあればいいのだけれど、私の手助けをユーリは望んでいない。ユーリは私の手を握る。不安なのかと思ったら、私を心配しているようだった。
「アル、無理はしないでね。アルだってお兄ちゃんやエリサさんのこと、気になっているでしょう」
「私は大丈夫だよ。ユーリの方が心配だよ」
「僕はすぐによくなるよ。大丈夫。アルは自分で辛いことは皆我慢しちゃうから心配なんだよ」
「我慢はしてないよ。だから安心して」
そういうと、ユーリは心配なんだよねと苦笑する。私はそんなに色々と我慢しているだろうか。そういう自覚はないが、ユーリの目からするとそう見えるらしい。いつも何かある度に心配させていたんだろうか。申し訳なく思っていると、ユーリは私の手を離してベッドを下りた。
ご飯を食べよう。
ユーリはそう言った。具合が悪くてご飯を食べたくないのではなかったのか。すると、自分が食べないと私も食べないだろうからと言う。確かにそうだ。ユーリが食べないなら、私も食べずにいようと思っていた。具合の悪いユーリの前で食事をするのも何だし、それに私もあまり食べる気はしない。
私たちはメイドにお願いをして、軽い食事を用意してもらうことにした。
しばらくして、サンドイッチが運ばれてきた。ユーリはこれなら食べられそうだよと笑うが、無理をしているのは見え見えだ。止めても食べるのだろうから、私はユーリの気遣いに甘えることにした。
サンドイッチを頬張ったユーリがむせる。
やはり、無理なのではないだろうか。ユーリはごめんごめんと言って、涙目で食事を続けた。
「ねえ、次はどこへ向かうつもりなの。出発まで迷ってるみたいだったけど」
「もう少し北へ行こうと思っていたよ」
「どんなところかなあ。楽しみだね」
北へ。すぐ北にはヴェステリネンの村がある。そこはクリスの眠る地にほど近い。連れて行くべきかどうか、私はまだ迷っていた。エリサさんに相談をした時には連れて行った方がいいと言われたが、ユーリは行きたいのだろうか。クリスの幻を見て、これだけショックを受けているのを見てしまっては、行こうとも言いにくい。
「どうしたの。北には行きたくないの。そんな顔をしてる」
「行きたくないわけじゃないよ」
「行ったことあるの。それで、迷っているの?」
行ったことがあると言うと、ユーリは俯いて少し考える。私は正直行きたくないのだ。クリスが眠る地。クリスを見殺しにしてしまった地だ。ユーリがどうこういう以前に、私が行きたくない。
けれど、ユーリには行く権利がある。兄の墓参りをする権利が。私が邪魔をするわけにはいかない。せっかく、近くまで来たのだし、行くのが自然だ。今を逃したら次はいつこられるのか分からない。
「もしかしてだけど、お兄ちゃんに関わること?」
「うん、そうだね」
「アルが眉間にしわを寄せて迷うのって、大体お兄ちゃんのことだよね。僕はショック受けたりしないから、話して」
「体の具合が良くなってから」
「今、話してよ。消化不良で寝てられないよ。僕は大丈夫だから、話して。次に行くところがどんなところなのか」
真っ直ぐ見つめてくるユーリに、私は視線をそらした。もう言わなければならないのだろう。言う時がきたのだ。クリスの墓へ連れて行くと。いつまでもクリスの眠る場所を黙っているわけにもいかないし、避け続けるわけにもいかないだろう。
「この先にあるヴェステリネンの村近くの山に、クリスが眠っているんだ」
「お兄ちゃんのお墓があるの?」
「そうだよ。今まで黙っていてごめん」
「僕はアルが何も言わないから、お墓なんてないんだと思っていたよ。まさか、僕に教えるか教えないかで延々悩んでたとか言わないよね」
「もう少し大人になってから言おうと思っていたよ」
「僕はアルから見ると、まだ子どもだもんね。悩むよね。でも、僕は行きたいよ、お兄ちゃんの眠る場所に。アルと二人で。連れて行ってよ、お兄ちゃんのところに」
私は無言で頷いた。ユーリは根菜のスープを飲んでうっすらと笑った。何故伝えなかっただろう。ユーリがこんなに望むのに。私は自分ことしか考えていないのだと痛感した。
そこへ、ノックの音が響き、クラウスさんが入ってきた。クラウスさんは私たちが食事中なので出直すと言うのをユーリが止めた。食事はちょうど終わったところだと。ね、と言われて私は頷いた。
「ユリウス君、大丈夫か。ご飯は食べたようだな」
「大丈夫です。明日には発てます」
「ユーリ、まだ旅は無理だよ」
「大丈夫だよ、心配性だなあ、アルは」
「アルベルトさん、ユリウス君をもう一度医者に診せて、許可が出たら旅立つというのはどうだ。それなら、アルベルトさんも安心だろうし、ユリウス君も納得だろう」
私もユーリもクラウスさんの意見に賛成だった。医者に診せてからなら旅立っても大丈夫だ。連れて行くのはまだ心配なのだけれど。少し心は重いが、ユーリが行きたいというのだから連れて行かねばなるまい。私の勝手で封印していい場所ではない。
クラウスさんは膳を下げ、医者を呼ぶように言った。一人のメイドが膳を下げ、もう一人が医者を呼びに行く。
私は、クラウスさんに聞きたいことがあった。
「クラウスさん、ヴェステリネン村の桜は咲いているでしょうか」
「ヴェステリネン村か。今はどうだろう。もう終わる頃ではないかな」
「山の八重桜はどうですか」
「ああ、あのあたりの八重桜なら見頃はこれからだろう」
「よかった。今度は八重桜が見られるよ、ユーリ」
「八重桜って?」
「見てのお楽しみだよ」
私は満開の桜の下のクリスを想った。
あの場所に、こんなに早く行くことになろうとは。
取り敢えず、今日はユーリを休ませよう。