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第30話 ヴァルト。

 その人の目は澄んだ空の色で、私は一目でクリスだと思った。

 手を差し伸べようとすると、ユーリが止めた。震える手で私の服を引っ張って、ふるふると首を振る。私にはユーリがそうすることの意味が分からず、クリスそっくりな人の目の前で手を振る。すると、何度か瞬きをした。反応があるということは見えてるということだ。私は何だか嬉しくなってきた。ユーリはそんな私の手引いて逃げようと言う。

 何故逃げなくてはならないだろう。一瞬でも救われたと思ったのがいけなかっただろうか。


「ダメだよ、アル。行こう。今すぐここを離れよう」

「何故だい。倒れている人がいるのに、見捨ててはいけないよ」

「でも、おかしいもん。絶対おかしいもん。行こう。この人に関わっちゃいけないよ」

「ユーリ、どうしたんだい。本当に、ユーリらしくないよ」

「僕らしくなくてもいいから、そんなことどうでもいいから、ここを離れなきゃ」


 ユーリは泣きながらそう言った。

 けれど、何故ユーリが泣いているのか、私にはよく分からない。手を伸ばしてクリスそっくりな青年の肩を叩くと虚ろな目でわたしを見た。空色の瞳に捉えられ、きゅっと胸が締め付けられるようだ。あまりに似ていて目眩がする。


「大丈夫ですか?」


 声をかけると、上半身を起こして辺りを見回した。それから、何度か首を傾げる。何かあったのだろうか、まさか幻を見ているのか。それとも、体に傷があったりするのだろうか。私は何度も大丈夫ですかと声をかける。聞こえていないのか、反応はしない。正面に回って両肩をつかんで揺する。それでも反応はない。痛がったりしないところを見ると、体に傷はないのか。腕や足に傷がないかも確かめる。左腕にだけ少し傷があった。


「大丈夫ですか。腕以外に痛いところはないですか?」


 取り敢えず、聞こえているのか少し反応があった。何度か同じ言葉を繰り返すと、大丈夫と言った。腕以外に傷はないようなので、軽く回復魔法をかけることにする。傷に手をかざすと、魔力を集中させる。

 あれ、どうしたのだろう。魔力を上手く集中させることが出来ない。いくら頑張ってみても、回復魔法は発動しなかった。


「あ、貴方は?」


 初めて、青年が口を開いた。


「私はここを通りかかった者で、アルベルト・リンドロースと言います。こっちはユリウス・ペルトネン。貴方はここで倒れていたのですが、何かありましたか」

「俺がここを通ったら魔がいて、そのうちぼうっとして。あとは覚えていないんだ。助けてくれてありがとう。魔がいないけど、どうなってるんだ」

「魔は倒しましたよ。ところで、どこへ行こうとしてたんです?」


 青年は何か言おうとして、頭を抱えた。首を振ったり、頭を叩いたりしている。そして、口を真一文字に結んで俯いた。何かあったのか。

 青年はどこへ向かっていたのか分からないようだった。ヴェステリネンの村はすぐ近くなので、そちらに向かっていたのなら送っていけるのだが。どうしたものかとユーリを見ると、完全に背を向けてしまっている。こんなことは初めてなので、戸惑った。いや、今はユーリよりこの青年だ。


「名前は分かりますか?」

「名前、か。名前、名前」


 まさか、名前も覚えていないというのだろうか。


「ヴァルト。名前はヴァルト・マースコラだ。で、どこに向かってたかな。それは思い出せない」


 この記憶障害が魔と出会う前からのものなのか、空間の歪みの空気の所為なのかが分からないのでどうしようもない。空間の歪みの空気の所為ならば対処のしようもあるが、その前からだと私に何も出来ない。

 ヴァルトは立ち上がって、土埃を払った。

 ユーリは背を向けたまま、何も言わない。何が気に入らないのだろう。私にユーリの気持ちは分からない。


「どこに向かってたのは思い出せないですか。それじゃあ、近くのヴェステリネンの村まで一緒に行きませんか。いつまでもここにいるわけにもいかないでしょうし」

「そうだな。道は一本だけど、どっちに行っていいか分からないし、お言葉に甘えようかな。で、そっちの子めっちゃ機嫌悪いけど大丈夫?」

「機嫌、悪くないですから。行くなら行きましょう」


 ユーリは機嫌は悪くないと、不機嫌そうに言った。

 ヴァルトさんと三人で街道を歩き出す。

 この街道はラヴィネン王国最北端に続く道。当然、通る者は少ない。ヴェステリネンの村に行って知り合いがいなければ、村の者ではないことが確定する。村の者ではないと分かったら、ヒュヴァリネン城へ向かえばいいだろう。私の提案にヴァルトさんは助けてくれた上に、色々考えてくれてありがとうと頭を下げた。その笑顔がまたクリスによく似ている。


「アルベルトさんはこの先の村の人なのか?」

「いいえ、私たちは訳あって、あちこち旅をしているんです。もしかしたら、ヴァルトさんもこの辺の人ではなく、旅人なのかもしれませんね」

「旅人の可能性もあるのか。それはいいんだけど、俺のことはヴァルトって呼んでくれないか。何かさん付けって慣れなくてさ」

「私もアルベルトでいいですよ」

「それと、丁寧語でなくていいよ」

「そう、だね。ユーリは」

「好きに呼べないいし、好きに話せばいいんじゃない?」


 ユーリは先ほどからご機嫌斜めだ。本当に、何が嫌なのか分からなくて困る。短い間とはいえ、一緒に旅をするのだから仲良くして欲しい。そんな私の心はユーリには分からないのか、ヴァルトに話しかけられても、最低限のことしか話さない。無視しないだけましといった感じだ。

 私は魔を倒す旅をしているのだと話す。特殊な杖を持っているので戦うのだというと、ヴァルトは嬉しそうだった。

 話を聞きながらくるくると猫のように表情を変えるヴァルトは、本物のクリスかと思ってしまう。私はこの人はクリスではないと自分に言い聞かせるのに必死だ。


「桜は綺麗ですよ。この近くの山はそろそろ見頃みたいだし」

「桜かあ。見てみたいなあ。それよりも、自分のことを思い出すのが先だよな。残念、見たかったな」

「見たいなら一緒に行こうよ。どうせ、同じ村に向かうんだし、桜の咲く山はすぐ近くだよ」

「そうなのか。一緒に行きたいけど。連れの子が許してくれるならね」

「ユーリは許してくれるよね。一緒だって気にしないでしょう」

「まあね。ついて来たければ、ついて来ればいいんじゃないの。いちいち、僕に確認とらなくていいよ」


 ユーリの態度の刺々しさは相変わらずだった。

 ヴァルトがクリスに似ているから警戒しているのだろうか。魔の気配はしないから、そんなに警戒する必要もないと思うのだが。似ている人はこの世に三人いると言うくらいだし、そもそもユーリだってクリスにそっくりではないか。

 花が咲く道を微妙な空気で歩く私たち。

 微妙な空気といっても、ユーリ一人が微妙なだけで私は普通だ。ヴァルトはユーリに話を一生懸命ふっては、玉砕している。ユーリは元々初めて会った人に心を開く方ではないが、今回は酷すぎる。最初から心を開く気なんてないみたいだ。


「前に見えてきたのが、ヴェステリネンって村か?」

「そうだね、あれがヴェステリネン。ラヴィネン王国最北端の村だよ」

「少し山があるのな。あそこが桜の咲く山か」

「ちょうど見頃らしいから、楽しみなんだ」


 あの山にはクリスが眠っている。

 クリスの眠る山に咲く八重桜。

 それと、ヴァルト。

 私はもう許された気になっていた。見殺しにしてしまったことも、ユーリを墓参りに連れて来なかったことも。全部、許された気分だ。

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