ヴァルトとは夜中まで話して、自分の部屋に戻ったら急に不安になった。ヴァルトが幻のように消えてしまうのではないかと。せっかく許されたと思ったのに、私はまた罪人になってしまう。それは嫌だった。
朝起きて、階下の食堂へ向かうとヴァルトの姿があり、私はもうそれだけで幸せな気分になれた。ヴァルトが手を振ったので、私は駆け寄って正面に座る。ユーリはあとから私の隣に座った。
「おはよう、アルベルト、ユリウス君。昨日の夜は楽しかったな」
「おはよう、ヴァルト。結構遅くまで話していたけれど、眠くはないかい」
「ああ、あのあとすぐに寝たから、大丈夫だ」
「よかった。ユーリ、挨拶は?」
「おはよう」
ユーリは朝から不機嫌そうに挨拶をした。どうしたのだろう。いつもはこんなことはないのに。ユーリは何故ヴァルトといると不機嫌になるのか、私には全く分からない。クリスといるような気分にはならないのだろうか。やはり、兄弟だと違うのか。私のようには喜べないものなのか。
若干の疑問を残したまま、私たちは朝食をとることにした。朝から海魚の焼き物のついた定食を頼む。ユーリやヴァルトも同じものを頼んだ。サンドイッチやパンが多かったため、ご飯がいとおしい。私はこの近くの生まれだから、ご飯食になじみがある。昔は朝はパン、夕ご飯は白いご飯と大体決まっていたものだ。
「これ美味いな。この魚。臭みが全然ない」
「ん、ヴァルトは内陸の生まれ育ちかな。海魚は初めてみたいだけれど」
「そうかもしれないな。俺が食べてきた魚は川魚だったような気がする。海魚は多分初めてだ。そうか、内陸の生まれなのか、俺」
「あと、他に気づいたことはない?」
「さあ、何か肌寒いくらいかな」
「南の地方の生まれなのかな。この辺の生まれだったら、この気温は結構暖かく感じるはず。ユーリと近い地方の生まれだったりして」
そういうと、ユーリは心底嫌そうな顔をした。何も話さずに一つため息を吐いて、また食事を続ける。何とか仲良くなれないものだろうかと、色々話しかけてみたりするのだが、ユーリの反応は冷たかった。
二人はとてもそっくりで、今他の人からはユーリとヴァルトは兄弟に見えていることだろう。それなのに、ユーリはヴァルトを受け入れない。何か理由があるのだろうか。聞いてみたいけれど、ユーリは話してくれないような気がする。
「ヴァルトは今日どうするんだい?」
「うーん。名前以外は全然思い出せないから、村の中を歩き回ってみようかと思ってる。もしかしたら、何か思い出せるかもしれないしな。思い出せなくても、村を歩き回れば楽しいだろ」
「それはいいね」
「アルベルトたちはどうするんだ。桜ってやつを見に行くのか」
「観光客ではないから、真っ直ぐ桜を見に行くことはないけど。今日は休もうかなあ。昨日遅かった所為か眠いよ」
「俺も少しは眠い。でも、早く思い出したいからなあ」
ご飯を食べたヴァルトは村を見てくるよといって食堂を出て行った。私とユーリは部屋に戻る。部屋に戻っても、ユーリに機嫌は斜めのままだった。ユーリも難しい年頃になってきたのだろうか。
しばらくして、ようやくユーリが口を開く。
「今日は休むの」
「うん。ここには魔もいないようだし、たまにはゆっくりしよう。それとも、山に行ってみるかい?」
「いいよ。アルに合わせる。ここ最近あちこち行って疲れていたし、ちょうどいいね」
「私は部屋でのんびりするけれど、ユーリは見たいところがあったら見てきていいよ。たまには気分転換も必要だからね」
「僕は山にしか用がないから、村を見て回るのはやめておくよ。今日は僕もゆっくりする」
そう言って、ユーリはベッドに腰をかけた。私も隣のベッドに腰をかける。何だか、ユーリとのこの何気ないやりとりが、酷く懐かしく思える。ヴァルトと出会ってから、ユーリはずっと様子がおかしい。機嫌の悪い原因はいったい何なのか。それを知りたいけれど、どうして機嫌が悪いの、とは聞きにくい。
ユーリはベッドに大の字になって寝転んだ。
「ねえ、アル。ヴァルトさんのことどう思う?」
「いい人だと思うよ。記憶がないのが気がかりだけど、今日は村を見て回るって言うし、もしかしたら何か思い出すかもしれないし」
「それはそうなんだけど、僕はお兄ちゃんにそっくりだっていうのが気がかりだよ。僕たちは何かに惑わされているんじゃないかって思ってしまうんだ。アルはそう考えてないのかな」
「確かにクリスにそっくりっていうのは気になるけれど、そんなに大きな問題でもないかな。似ている人くらいいるよ。魔の気配はしないし、惑わされているっていう心配はしなくていいと思うよ」
「アルはそう考えているんだね」
ユーリは自分が惑わされていると思っていたのか。ヴァルトは幻ではないかと疑っていたから、不機嫌そうに見えたのだ。何故あんなに機嫌が悪かったのか不思議だったけれど、これでようやく納得出来た。
ユーリは上半身を起こして、がしがしと頭をかく。まだ、ユーリは何かが引っかかっているのか、しきりに首をひねる。これ以上、何が引っかかっているのだろうか。私には全く分からない。ユーリは私とは視点が違うということか。
「ユーリはクリスといるようで嬉しくなったりはしないのかい」
「どうだろう。ヴァルトはお兄ちゃんとよく似ているけど、僕がはっきり覚えてるのは十代前半のお兄ちゃんだし、急に大人になってる気がしてよく分からないよ」
「そうか。ヴァルトの年齢は分からないけれど、どう見ても二十歳前後だもんね」
「思うことと言えば、あのくらいの年で死んだのかなってくらいだし、僕にとっては違和感でしかないよ」
クリスは私と旅をしてから殆ど家に帰ってはいない。年に一度くらい帰ればいい方だった。私は邪魔にならないように、いつも転移所のある隣町で待っていたから、ユーリとクリスの兄弟がどういう関係性だったのかは分からない。私が思っているよりも兄弟の距離は遠かったのかもしれない。
それから、しばらく言葉を交わさずにいると、ドアがノックされてヴァルトが顔を出す。村の探索は終わったのだろうか。ヴァルトはにっこりと笑って昼飯の時間だと言った。
もうそんな時間になっていたとは。
まだそんなにお腹も空いていないのだが、ヴァルトが行こうというので、私とユーリも一緒に食堂へ向かう。ユーリはやっぱり嫌そうだ。階下の食堂は結構人が入っている。私たちは壁際の席に座り、それぞれ好きなものを注文する。
私は海魚の煮付けとご飯とサラダ、スープを頼んだ。お腹があまり空いていない割に結構な量になった。ユーリは肉料理と麺料理と野菜炒め、ヴァルトは肉料理とご飯にスープを頼んでいた。
「ヴァルト、村を回ってみてどうだった?」
「記憶の手がかりになるようなものはなかったな。村人に話を聞いても、俺を知っている人はいなかったし。この村には来ていなかったということだけは分かったよ」
「それは残念だったね。で、昼からは何をするんだい?」
「もう一度村を回るよ。見落としがあるかもしれないし、話を聞けなかった人もいるから」
「どうして記憶がないのか分かればいいんだけどね」
「本当にそう思うよ」
私とヴァルトは楽しく会話をしながら食事をしたが、ユーリが話の輪に加わることはなかった。ヴァルトは少し寂しそうにしていたが、ユーリは黙々と食べ、終わるとすぐに部屋へ戻る。残された私たちは微妙な気分になる。ヴァルトは追加注文したデザートを食べると、嫌われたなあと笑った。
それから、ヴァルトはまた村人に話を聞くと言って出て行った。
私は食べ過ぎた所為か具合が悪くなってしまった。
食あたりだろうか。