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第32話 体調不良。

 私はご飯を食べてから具合が悪くなり、吐き気に襲われていた。まるで空間転移酔いのような、なかなか激しい吐き気だ。あまりに具合が悪いので、ベッドから動けない。吐く時だけ起きあがる。

 ユーリは私の目が死んでいると言って、医者を呼んできた。食あたりだろうかと思っていたら、医者に言わせると食あたりではないとのことだった。恐らく、過度のストレスか特殊な魔法ではないかという。とにかく、今は安静にしているしかない。医者は吐き気止めを置いて帰って行った。

 私はすぐに吐き気止めを飲む。


「過度なストレスか特殊な魔法だって」

「特にストレスと思うこともなかったけど」

「エリサさんのことがあったでしょ。あとから来たんじゃないの。違うか。だとしたら、特殊な魔法の方。僕はそれ気になるな」

「もしかして、ヴァルトを疑っているのかい」

「疑っていないとは言わないよ。僕はあの人を信用していないから。あの人の所為じゃないなら、山道で会った魔の所為かな。食あたりでないなら、そのくらいしか思いつかないよ」

「ヴァルトは違うよ」


 違うよと言ってもユーリは信じていないようだった。私の汗を拭いて、少しゆっくり寝た方がいいと言う。ここで言い争っても仕方がないし、私はユーリのすすめ通り寝ることにした。

 目を閉じると、少し魔の気配を感じたような気がする。魔の気配と言っても本当に弱くて、近くにいる感じではない。それに、すぐに消えてしまったようだ。

 何だったのだろう。

 今は体調が悪くて気配を感じ取る能力は落ちていると思われる。だから、魔の気配を感じたというのは、私の勘違いだったのだろう。最近、魔と戦ってばかりだったから、そんな気がしただけだ。

 そんなことを考えているうちに、私は眠りに落ちていた。






 ここはどこだ。

 私は眠っているはずなのに、何故か意識がはっきりしている。


『どこなんだ』


 私の意識は暗闇の中を当てもなく彷徨っていた。いや、漂っているというべきだろうか。何だか体がふわふわとしている。暗闇は人の心を不安定にさせるものだ。私は淀んだ空間を流されていた。私の心は得体の知れないものに包まれていて、それを拭い去るように首を振る。すると、にじんだようにじんわりと景色が変わっていく。

 目の前を何かが横切った。

 桜だろうか。

 私は高い位置から桜の林を眺めている。目の前を掠めたのは舞い上がった桜の花びらだったようだ。すうっと視点が動いて景色が変わる。桜の林を背にして、誰かが立っている。あれは、グレーではない。銀髪だろうか。その人物と対峙しているのは、赤毛の青年と金髪の青年。

 あれは、私たちだ。

 三年前の光景が、そこには広がっていた。私は多分木の上辺りからそれを眺めている。シュルヴェステルがすいと手を上げると、その背後に漆黒の闇が口を開ける。クリスが何かを叫んでいるようだ。


『やめろ』


 あの光景を私に見せる気か。

 私は銀色の月光の杖を地面に突き立てる。すると、花びらが舞い上がるが、私の力ではシュルヴェステルを抑えることが出来ずに、激しい闇の力によって後ろへはね飛ばされてしまう。クリスは手を伸ばして金色の陽光の杖を受け取って、シュルヴェステルに向かっていく。何度も何度も何度も向かっていくが、力及ばない。


『やめてくれ!』


 銀髪がふわりと舞う。手を伸ばして私を指差す。


『クリス。お願いだから』


 お願いだから出てこないでくれ。

 スローモーションで時が流れる。シュルヴェステルの指先から音もなく黄金の光が放たれた。私は死を直感し恐怖にうち震えて一歩も動かない。あの時と同じ。何もかも同じ。同じ同じ同じ。クリスが駆け寄って私の前に立ちはだかる。光はクリスの体に吸い込まれて、消えた。


『クリスーっ!』


 どんと何かが破裂したような音が響き、クリスの体が勢いで反り返る。左胸から鮮血が迸る。その口から血があふれだし、クリスはがくりと膝をついた。ぽたぽたと血液が地面にしみを作る。

 私は何も出来ずただ立ち尽くしている。

 シュルヴェステルはもう一度、同じ構えをした。無論、狙いは私である。すると、クリスは片手で傷口を押さえ、もう一方の手に持っていた陽光の杖で激しく大地を打った。

 これがクリスの全身全霊の力を込めた一撃だった。シュルヴェステルを闇に叩き込み、その瞬間強制的に空間の歪みを閉じたのだ。


『私は』


 私は夢の中でも卑怯者なのか。






 嫌な目覚めだった。

 気分が重苦しく、差し込む太陽の光にうんざりする。もう何も考えたくないし、何もしたくない。嫌だ。何もかもが嫌だ。涙がこぼれ落ちて止まらない。私はゆっくりと上半身を起こす。生きているようだ。私は何で生きているんだろう。こんな価値のない人間が、何故生きているのか。


「アル、泣くほど具合が悪いの。もう一度、お医者さん呼んでこようか」


 空色の瞳が私を覗き込む。私はユーリを抱きしめて、金色の髪を撫でた。この子から兄を奪ったのは私なのだ。私なんていなければよかった。あの時、炎の中で燃え尽きてしまえばよかったのだ。そうすれば、クリスと出会うこともなかったのに。クリスが私をかばって死ぬこともなかった。

 いつの間にか、私はユーリにしがみつくようにして泣いていた。ユーリは何も聞かずに、ただ私を抱きしめていてくれる。こんな優しい子を私は傷つけたのだ。クリスを見殺しにして。

 静かな部屋にノックの音が響き、ヴァルトが入ってくる。

 ああ。クリスがここにいるようだ。


「具合が悪くて医者を呼んだって、女将さんから聞いたよ。大丈夫か、アルベルト」

「大丈夫じゃないよ。何か様子がおかしくて」

「アルベルト、アルベルト。しっかりしろよ。どこが苦しいんだ、痛いところはないのか」

「ほら、返事しないでしょう。どうしたらいいのか分からなくて困ってるんだよ」

「医者を呼ぶか、もう一度」


 ヴァルトはそういって部屋を出ていった。

 ユーリは髪を撫でていてくれる。私がクリスのことを死なせたことなんて知らないから。知ったらユーリはなんと言うだろう。卑怯者と罵るだろうか。そうされても、私は何も言えないのだ。


「ごめん。ユーリ」


 私がやっとのことで絞り出した言葉はそんなつまらないものだった。そんな言葉をかけられても、ユーリの兄を亡くした悲しみは消えないのに。私が後悔にまみれて自己嫌悪していると、医者がやってきた。


「顔色がよくないですなあ。あれから吐き気はどうしました」

「吐き気は薬を飲んで少し治まったようでした。それで、そのあと寝たんですけど、起きたら様子がおかしくて」

「何日くらい滞在する予定ですか」

「分からないです。こうなっては、アルの体調次第になります」

「そうですな。ゆっくり休ませた方がいい」


 ゆっくり休むだなんてとんでもない。私はそんなに労ってもらえる人間ではない。私は行かなくてはならない。ユーリを連れてあの山を登らなければならないのだ。それに、大分落ち着いてきた。私はもう大丈夫だ。

 ユーリやヴァルトにこれ以上心配をかけてはいけない。

 私は医者の目をまっすぐに見た。


「私は大丈夫です。ちょっと悪い夢を見ただけなんです。眠れる薬があったら出してもらえませんか。夜眠るのが少し怖いので」

「いいでしょう。ちょうどその薬なら持ってきていますね。三日分くらいあれば足りますか?」

「はい。三日分もあれば大丈夫です」

「アル、ちゃんと休まなきゃダメだよ」

「もう休んだし、夜もしっかり眠るから大丈夫」

「それでは。薬を飲んで寝て、もし具合が悪ければ、無理をしないでゆっくり休んで下さいね」


 医者はそういって禿げた頭を撫でながら出て行った。

 ユーリはまだ心配のようだ。ヴァルトは医者を見送って、不安げなユーリの頭を撫でたが、その手は払われてしまう。ヴァルトは残念そうに肩をすくめると、ゆっくり休めよと言って出て行った。


「ユーリ、手を払わなくても」

「言ったでしょ。僕はあの人を信用してないよ」


 信用していないのは分かるが、あからさまに態度に出されると冷や冷やする。兄にそっくりな人間をそうやって遠ざけられるものだろうか。時間が経てば心を開くだろうと思っていたが、ユーリはますます心を閉ざしていくようだ。

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