私たちは夢を見ている間に、頂上へ移動させられたようだ。
頂上は広場になっていて、それを桜の林が囲んでいる。
私は辺りを見回した。
八重桜が満開だ。少し強い風が吹くと、花びらが舞い散る。青い空とピンクの花の取り合わせが凄く綺麗で、私は目を奪われた。ユーリも鮮やかな景色に見入っている。しばらく、景色を見ていた。そこで気がついたことがある。ヴァルトがいない。倒れたときにはいたはずなのに、その姿が見えなかった。
先に目が覚めて倒れた私たちをおいて山を下ったのだろうか。いや、そんなことをする人ではない。山を下りるなら、先ず私たちに声をかけてから行くだろう。だとしたら、魔に喰われてしまったのか。私たちが夢を見ている間に。
ヴァルトの行方も気になるが、私たちがどうやって頂上まで移動したのかも気になる。誰かが運んだのだろうか。
「アル、ここはどこなの。倒れた時とは違う場所みたいだけど」
「ここは、頂上だよ。さっきよりもう少し上になるかな」
「ヴァルトさんはどうしたんだろう。姿が見えないけど」
「どうしたんだろうね。気がついたらいなかったから、先に下りたのかとも思ったんだけど。それもおかしいね」
「うん。ちょっとおかしい。ヴァルトさんなら僕たちを起こしそうだもの」
再び辺りを見回す。
ユーリはヴァルトのことも気になるのだろうけれど、クリスの墓のことも気になっているのだろう。元々は墓参りをするために来たのだから、気になって当然だ。
私は桜の林に視線を滑らせる。
ずっとぐるっと見ていって、左手の少し高い位置にある、周りより少し大きな木。
それが、クリスの眠る場所。
私はユーリの肩を叩いた。ほらそこだよと指差そうとしたら、木の陰から金色の髪をなびかせてクリスが現れる。いや、クリスではないのか。木洩れ日よりも輝く金色の髪を後ろでまとめた、すらりとした体型の青年。クリスだ。
「ヴァルトさん?」
ユーリが呟いて初めて、その人影がヴァルトであると思い至った。それにしても似すぎている。私は今になってようやくヴァルトに違和感を覚えた。似ている人はいるとしても、この男には個性がない。双子だってそっくりでも見分けはつくものだ。それが個性というものだと思う。けれど、このヴァルトはまるでクリスのコピーだ。
何故、早く気がつかなかったのだろう。ユーリは最初から受け入れていなかった。多分、何かが違うと気づいていたのだろう。何も気づかずに浮かれていた自分が恥ずかしい。
ヴァルトは大きく手を振って歩み寄ってくる。
「やあ、二人とも目が覚めたのか。大丈夫か?」
その笑顔はクリスそのものではあるけれど、底知れぬ闇のようなものを感じる。まず、そもそも目が笑っていない。空色の瞳が凍るように冷たい。私はユーリを後ろに隠し、いつ何が起こってもいいように身構える。ヴァルトはそんな私たちに、にんまりと笑って近づいて来る。私はその冷たい笑顔の迫力に押されて後ろに下がった。
一歩一歩、近づいてくる姿に恐怖を覚える。
「貴方は一体誰なんですか?」
「アルベルト、俺だよ。こんな短期間で忘れたのか。俺だよ。ヴァルト。ヴァルト・マースコラだよ」
「違う。貴方はヴァルトではない。ただのクリスのコピーだ」
「アル」
「ユーリ、ごめんよ。私は何で今まで気付かなかったんだろう。ユーリのことを守るなんて言って、こんな奴に騙されていたなんて。一人で不安だっただろう。ごめんね」
「僕はこんな年のお兄ちゃんをよく知らないから気が付いただけだよ。どこがどうお兄ちゃんと違うかが説明出来なくて困ってたんだよ。ちゃんとアルに説明出来なくて」
ヴァルトは笑った。狂ったように笑った。
私の勘が逃げろと言う。これは人間ではない。
私は何とかユーリだけでも逃がしたいと思い方策を考える。けれど、何も思いつかない。この男から逃げることは出来ないということか。
「ようやく気が付いたか。楽しかったか、友人との再会は。そっちの少年は、兄と思わなかったようだが。それが残念だったな」
「お前は何者だ」
「私はお前たちが言うところの魔というやつだ。その少年とは初対面だが、お前とは会っているぞ。どこで会ったか、まさか忘れたわけではないだろう」
ヴァルトは笑った。
私と以前会ったことのある魔はそうそう多くない。基本魔は会った時に倒してしまっているからだ。一度会っていて、倒していない魔というと。私はたった一人その条件に当てはまる魔を思い出して、背筋が凍りつくのを感じた。
ユーリを連れて逃げようと思ったが、足が竦んで動かない。呼吸が浅く、早くなる。このままここにいてはだめだ。すぐに逃げないと、ユーリが。ユーリをクリスから頼まれているのに、守れないのか。
「私の名はシュルヴェステル・サヴォライネン」
そういうと、一瞬霞んでその姿を変えた。長い銀色の髪に、凍りつくような赤い瞳。それは、あの時クリスを殺した魔の名前だった。
シュルヴェステル・サヴォライネン。
待て、サヴォライネンという名に聞き覚えがある。
確かアルットゥリ・サヴォライネンという魔が私の育った町を襲ったのだ。それははっきりと覚えている。偶然なのか、このシュルヴェステルと何か関係があるというのか。
「アルットゥリ・サヴォライネンという魔の名前を知っているか」
「何故その名を知っているのだ、お前が」
「それは私の故郷を襲った魔の名前だ」
「そうか。それは私の兄の名だ。兄が死んでいたとはな。面白い情報を教えてくれたな、感謝する」
シュルヴェステルは笑った。
兄が死んでいるのが面白い情報だと。兄弟の関係も色々だが、それにしても喜ぶというのはどうだろう。嬉しそうなシュルヴェステルに不気味さを感じる。
しかし、何か違和感を感じる。
そうだ、魔の気配も空間の歪みの空気も感じられないのだ。ヴァルトに化けている間もそうだ。魔の気配は一切しなかった。だから、私はヴァルトを人間だと思いこんでいたのだ。
これは一体どういうことなのだろう。
魔が目の前にいるのに気配がしない不思議。
私は混乱していた。
「シュルヴェステル、お前は幻影なのか。今はここにいないのではないか」
私の発言にシュルヴェステルは眉をひそめた。少し考え込んで、何かに気が付いたように表情を変える。口の端に笑みを浮かべて、私に近づいてきた。私はユーリを連れて後ろに下がる。その様子がおかしかったのか、シュルヴェステルは声を上げて笑う。その笑い声に桜の花も怯えているようだ。ひゅうと風が駆け抜けた。
「お前は私のことを幻影と言っておきながら、逃げようとするのか。幻影に何が出来ると思うのだ」
幻影ではないということか。しかし、幻影でなければ何だというのだ。おかしいのではないか、全く気配がしないなんて。そんな魔がいるわけがない。もしかして、魔の気配がしない魔がいるのか。いや、そうではないだろう。クリスと二人で戦った時には、はっきりとその気配を感じていたのだから。
「気配が違うとかいうのだろう。私には魔の気配がないと。魔の気配がしない魔などいないと思っているのではないか」
「魔は、皆同じだ」
「同じではない。人間が一人一人違うように、魔にも違いがある」
「何だって。何が違うというんだ。気配を上手く消す魔でもいるというのか」
「その通りだ。お前はレベルの低い魔としか戦ってこなかったようだな。上級クラスの魔は自在に気配を操れるし、空間の歪みも消せる。そんなことも知らずに戦ってきたとは、面白い人間よな」
自在に気配を操れるだって。そんなことが出来るのなら、危険な魔が人間に紛れ込めることになってしまう。エリサさんとは違う意味で人間と関われるのか。
シュルヴェステルを放置するわけにはいかない。
私はようやく戦う決意をした。