さあっと目の前を桜色の風が駆け抜ける。
シュルヴェステルは鬱陶しいといわんばかりに花びらを払う。
私は戦うと心に決めた。クリスのためにも、エリサさんのためにも。けれど、気になるのはユーリのことである。どうすれば、ユーリを守れるだろうか。私はそれを必死で考えながら、シュルヴェステルを見据える。
シュルヴェステルは、たぶん分かっているのだ。私がユーリを逃がそうとしていることを。逃がす気はさらさらないのだろう。だが、私もユーリを死なせる気はない。
いい方法はないものだろうか。
何か方法はあるはずだ。
相手は上級クラスの魔かもしれないが、私だって三年前とは違うのだ。三年間、色々な人と出会ってたくさんのことを乗り越えてきた。それが力になっている。私は一人じゃないのだ。やれる。
「お前が持っているのは月光の杖か。もう一人が持っていた陽光の杖はどうした?」
「どうしようが、お前には関係ないだろう」
「私はあれを破壊しなければならないのだ。知っているのならば言え。命は助けてやるかもしれないぞ」
そんなことを言って、命を助けるつもりなどないくせに。
私は左手を天に掲げて祈り、銀色に輝く月光の杖を受け取る。そして、右手を天に掲げて同じように祈り、金色に輝く陽光の杖を受け取る。
私は陽光の杖をユーリに渡した。
「ユーリ、それを持って後ろに下がっているんだ。きっと、その杖がユーリを守ってくれるから、安心して。けれど、何があっても興奮状態でその杖を使ってはいけないよ」
「アル、僕も戦うよ!」
「ユーリを頼むって言われたんだ。怪我させるわけにはいかないんだ。私が戦っている間に、隙を見て逃げるんだよ」
「待って、アル!」
私は杖に祈りの力ではなく、魔力を込める。
シュルヴェステルは声高らかに笑った。
「月光の杖だけかと思ったら、陽光の杖まであるとは。好都合だ」
シュルヴェステルが手を上げると空中にぽっかりと大きな空間の歪みが現れた。真っ黒な空間から触手のように手が伸びてくる。私は魔力を込めた杖で手を払いのける。
次々伸びてくる触手に、防戦一方になる。
祈る暇はあるだろうか。
私の杖は祈らなければ浄化出来ない。
その上、防御向きには出来ていないから、いつまでも防ぎ続けることは出来ない。祈るタイミングを探さなければ。
シュルヴェステルが手を振り下ろすと一斉に触手が襲いかかってきた。流石にこれは防ぎきれない。杖で払うが、触手は次々に襲いかかる。まずい。ユーリが逃げる時間すら稼げないのか。
そう思って目を閉じると、ばちぃっと激しい音がした。
目を開けると陽光の杖を持ったユーリがシールドを展開していた。
「アル、今のうちに祈って。アルなら勝てるから、絶対に勝てるから!」
「ユーリ、逃げるんだ!」
「僕がアルを守る!」
私は祈りの力を杖に込める。ユーリが防いでいる間に、何とかしなければ。
杖は白銀に輝いた。
今だ。
私は祈りの力のたまった杖で思い切り大地を突いた。
浄化の光と空間の歪みの闇が激しくぶつかる。二つの力は押し合い、ぎりぎりと不快な音を立てた。しばらく押し合いが続き、やがて浄化の光は消滅した。
私は空間の歪みを封じようとしたけれど、私の力では足りないようだ。
私とユーリは空元の歪みに向かって、少しずつ引きずられていく。漆黒の闇の塊からどす黒い触手が、意志を持っているかのように伸びてくる。私たちを押さえ込もうとし、捕まえようともし、貫こうとしてくる。
月光の杖から手を離す。
すると、ふわりと杖が浮き、私は両手を広げて力をためていく。
シュルヴェステルは冷たく笑い、指に宿った力で衝撃波を放ってくる。何度も、何度も、何度も。これではユーリのシールドが持たない。だんだん、シールドにひびが入ってきた。
「ユーリ!」
「アル、攻撃して。僕は平気!」
次の瞬間、ユーリの体が物凄い勢いで吹っ飛んだ。ぬるりとした液体が降り注ぎ、ユーリがどれだけの傷を負ったかが分かる。後ろを見ると、糸の切れた操り人形のようになったまま、動かなくなってしまった。
私の頭は一瞬真っ白になる。
死なせてしまった。
たった一人の友人の弟を。
私は人殺しだ。
「ふふふ」
何で笑っているのか自分でもよく分からなかった。私の意味不明の笑いにシュルヴェステルの笑みも消えた。
あれだけ頼まれたのに、私はユーリを守れなかった。出血量が多かったから、確実に死んでいる。何も出来ないんだ、私は。
もう失うもがない、だから何も怖くない。
私の中で何かが壊れていく。
「あはは、一人で逝くつもりはない。ついてきてもらうよ、シュルヴェステル!」
力が欲しい。
全てを破壊出来るだけの。
そう、町を焼いたあの力が。
感情が高ぶったときに使ってはいけない杖。なら、感情を極限まで高めて使ったらどうなる。もう失うものなんて何もない。そう思った途端、全身を引き裂くような痛みが襲った。これは杖の力の反動か。もう、どうでもいい。何もかも終わってしまえ。
「素直に杖さえ渡せば、命は助けよう」
「命なんてもうどうでもいいんだよ!」
私は吐き捨てるように言うと、正面に浮いたままの月光の杖に手をかざした。杖は一度するりと歪んで手に吸い込まれるように消え、再び正面に現れると、目の前で澄んだ月のように目映い光を放つ。両手を思い切り広げると、高い位置まで浮かび上がる。
地響きとそれに怯えるような花の嵐。小さな花びらが竜巻のように哀しく舞い踊る。花たちが恐怖をまとってシュルヴェステルを襲う。
そんなものは気にしないとばかりに、目を光らせた。青白い光が両肩を貫いた。激しい衝撃、痛み、出血はあるが、今の私には大した怪我ではない。
じわじわいたぶる気か。
ばかめ。
シュルヴェステルを包む花びらが火炎の龍に変わっていく。何度も衝撃波を放って龍を打ち消そうとするが、払いきれるものではない。
私の最期の攻撃だから。
あの時捨て身で守ってくれたクリス。
今、君のところに行くよ。
「やめて、だめだよ、アルーっ!」
血だらけのユーリは私の前に立ちはだかると、黄金の杖を真横に構え、高く掲げた。使い方は知らないはずなのに、杖はしっかりと浮いて輝いている。二つの杖が同時に発動した。縦に構えられ月光の杖と横に構えられた陽光の杖。その二つの輝きが十字に交差して、更に激しい光が生まれる。こんなことは初めてだった。
炎の龍が黄金の龍に生まれ変わり、黄金の光の洪水が巻き起こる。
シュルヴェステルの断末魔の叫び。
あとは。
あとは何も覚えていない。
──眩しい。
ぼんやりとする頭をゆっくり傾けると、ユーリの頭が見えた。口元の草がふわりと揺れた。息をしているようだ。私は安心した。
魔の気配も空間の歪みの空気もない爽やかな風。
反対側を向いてみる。
桜の木が並んで、ピンクににじんで見える。
クリスの墓はあの辺だったか。
桜の木の陰に陽の光のような長い金髪が見え隠れした。
クリス。
クリスは桜の花びらとともにふわりと私の元へ下りてきて、顔を覗き込むととびきり明るく笑った。手を伸ばそうとするが、体に力が入らない。私もやっとクリスの元へ逝けるのか。
『ユーリを頼む。それから』
私の顔に花びらをかけて笑う。
『それから、あんまり自分をいじめるなよ、アルベルト』
貴方は。
貴方は私にそれを伝えたかったのか。
最期の最期に。
ありがとう、クリス。
私がクリスに伝えるべき言葉は、こんな、こんな平凡な言葉だったのだ。
クリスは嬉しそうに花園を駆けて、桜の林に戻っていく。
心の闇が取り払われた。
私は、生きていくんだ。
──桜花爛漫。咲き乱れる花の向こうに、私は貴方の幻を見た。