〜エルフとグラスホッパー〜
夜の帳が降り、静かな時間が訪れる。
カウンターの奥でグラスを磨きながら、俺は店内の静けさを楽しんでいた。
ここは異世界の片隅にひっそりと佇むバー《アルカナ》。
店ごと異世界に転移して以来、いろいろな客が訪れるようになった。
昨夜はドワーフの鉱夫が「喉が焼ける酒」を求め、マティーニを気に入って帰っていったばかりだ。
さて、今夜はどんな客が来るのか。
ふと扉が開き、ひとりの客が足を踏み入れた。
——エルフだ。
細身の体躯、整った顔立ち、絹のような銀髪。
漆黒のローブを纏い、どこか品のある立ち居振る舞いをしている。
しかし、その表情にはわずかな疲れが見えた。
彼女は店内を見渡した後、静かにカウンターに腰を下ろした。
「……ここは、静かなのですね」
落ち着いた声音。俺は微笑み、頷いた。
「うちはそういう店なんでね。騒ぎたいなら別の酒場をおすすめするよ」
「ふふ……いえ、こういう場所を探していました」
エルフはそう言いながら、ローブのフードを外した。
現れたのは、透き通るような白い肌と、月光のように輝く瞳。
「何をお作りしましょうか?」
俺が尋ねると、彼女は少し考え込んだ。
「……甘く、美しく、幻想的な一杯をください」
なるほど。
エルフという種族は基本的に繊細な味覚を持つ。
彼女が求めているのは、ただの甘い酒ではなく、味わいの調和と美しさが両立したものだろう。
俺はうなずき、背後の棚からミントリキュールを手に取った。
続いてクレーム・ド・カカオと生クリーム。
シェイカーを取り出し、材料を順番に注ぐ。
シャカシャカ、シャカシャカ。
静かな店内にシェイカーの音が心地よく響く。
十分に冷やされたところで、カクテルグラスにゆっくりと注ぐ。
淡い緑色の液体が滑らかに広がり、光を反射して妖精の翅のように輝いた。
俺はグラスをカウンターに置き、エルフに向かって微笑む。
「グラスホッパー。甘く、美しく、幻想的な一杯さ」
エルフは驚いたように目を見開いた。
「……綺麗ですね」
彼女はグラスを手に取り、そっと口をつけた。
瞬間、彼女の表情が和らぐ。
「……ミントの清涼感と、カカオの甘さ……それに、この滑らかさ……」
カクテルの舌触りを楽しむように、彼女はゆっくりと味わっていく。
やがて、ふっと微笑みながら言った。
「これはまるで、妖精たちが踊る夜の森のようですね」
いい表現だ。俺は思わず唇を歪めた。
「気に入ったなら、また飲みに来るといい」
エルフは微笑みながら金貨を置いた。
「ええ……必ず」
扉が静かに閉まる。
残ったのは、淡いミントの香りと、グラスに残った緑の軌跡だけだった。
こうしてまた、異世界の片隅に新たな常連が生まれた——。