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第2話「甘く、美しく、幻想的な一杯を」

〜エルフとグラスホッパー〜


 夜の帳が降り、静かな時間が訪れる。

 カウンターの奥でグラスを磨きながら、俺は店内の静けさを楽しんでいた。


 ここは異世界の片隅にひっそりと佇むバー《アルカナ》。

 店ごと異世界に転移して以来、いろいろな客が訪れるようになった。

 昨夜はドワーフの鉱夫が「喉が焼ける酒」を求め、マティーニを気に入って帰っていったばかりだ。


 さて、今夜はどんな客が来るのか。

 ふと扉が開き、ひとりの客が足を踏み入れた。


 ——エルフだ。


 細身の体躯、整った顔立ち、絹のような銀髪。

 漆黒のローブを纏い、どこか品のある立ち居振る舞いをしている。

 しかし、その表情にはわずかな疲れが見えた。


 彼女は店内を見渡した後、静かにカウンターに腰を下ろした。


 「……ここは、静かなのですね」


 落ち着いた声音。俺は微笑み、頷いた。


 「うちはそういう店なんでね。騒ぎたいなら別の酒場をおすすめするよ」


 「ふふ……いえ、こういう場所を探していました」


 エルフはそう言いながら、ローブのフードを外した。

 現れたのは、透き通るような白い肌と、月光のように輝く瞳。


 「何をお作りしましょうか?」


 俺が尋ねると、彼女は少し考え込んだ。


 「……甘く、美しく、幻想的な一杯をください」


 なるほど。

 エルフという種族は基本的に繊細な味覚を持つ。

 彼女が求めているのは、ただの甘い酒ではなく、味わいの調和と美しさが両立したものだろう。


 俺はうなずき、背後の棚からミントリキュールを手に取った。

 続いてクレーム・ド・カカオと生クリーム。

 シェイカーを取り出し、材料を順番に注ぐ。


 シャカシャカ、シャカシャカ。


 静かな店内にシェイカーの音が心地よく響く。

 十分に冷やされたところで、カクテルグラスにゆっくりと注ぐ。

 淡い緑色の液体が滑らかに広がり、光を反射して妖精の翅のように輝いた。


 俺はグラスをカウンターに置き、エルフに向かって微笑む。


 「グラスホッパー。甘く、美しく、幻想的な一杯さ」


 エルフは驚いたように目を見開いた。

 「……綺麗ですね」

 彼女はグラスを手に取り、そっと口をつけた。


 瞬間、彼女の表情が和らぐ。


 「……ミントの清涼感と、カカオの甘さ……それに、この滑らかさ……」


 カクテルの舌触りを楽しむように、彼女はゆっくりと味わっていく。

 やがて、ふっと微笑みながら言った。


 「これはまるで、妖精たちが踊る夜の森のようですね」


 いい表現だ。俺は思わず唇を歪めた。


 「気に入ったなら、また飲みに来るといい」


 エルフは微笑みながら金貨を置いた。

 「ええ……必ず」


 扉が静かに閉まる。

 残ったのは、淡いミントの香りと、グラスに残った緑の軌跡だけだった。


 こうしてまた、異世界の片隅に新たな常連が生まれた——。

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