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第6話「毛並みに沁みる、甘くて熱い一杯」

〜獣人とホット・バタード・ラム〜


 扉が開いた瞬間、冷たい夜風とともに獣の匂いが流れ込んできた。


 入ってきたのは、一人の獣人。

 狼のような耳がピンと立ち、尾がゆらりと揺れる。

 分厚い毛皮の外套を羽織り、ブーツには泥がついている。

 旅人か、それとも狩人か。


 彼は無言でカウンターの席に腰を下ろした。


 「……寒い夜だな」


 低くしゃがれた声。

 近くの山で吹雪にでも巻き込まれたのだろうか。

 息を白くさせながら、獣人は鋭い金の瞳をこちらに向けた。


 「温まる酒を頼む。できれば甘いやつを」


 俺は頷き、手元の作業を始めた。

 寒い夜、体の芯まで温まる甘い酒。

 それならホット・バタード・ラムがいいだろう。


 まずはマグカップを温める。

 次に、裏口から仕入れたラム酒を取り出し、バター、黒糖、シナモンを合わせる。

 そこへ熱湯を注ぎ、ゆっくりとかき混ぜた。

 仕上げにナツメグを振り、香りを立たせる。


 甘くスパイシーな香りが立ち昇り、店内の空気がわずかに和らぐ。

 俺はそっとカウンターに置いた。


 「ホット・バタード・ラム——寒い夜にこそ沁みる一杯さ」


 獣人はふっと鼻をひくつかせ、香りを確かめる。

 そして、マグを両手で包み込むように持ち、そっと口をつけた。


 「……っ、ああ……」


 喉を通るラムの熱。

 バターのコクと黒糖の甘さが広がり、スパイスが体をじんわりと温めていく。


 「……これは、いいな」


 彼は一口、また一口と飲み進めるたびに、体の力が抜けていくのを感じたのだろう。

 やがて、カウンターに肘をつき、深いため息をついた。


 「……毛並みまで温まるとはな」


 俺は笑い、クロスでグラスを磨きながら言った。


 「冷えた体には、ちょうどいいだろう」


 獣人はゆっくりと頷いた。


 「俺は北の森を越えてきた。……ここにたどり着くまで、何日も寒さに耐え続けていたが……」

 「この一杯で、ようやく生き返った気がする」


 彼は空になったマグを静かに置き、ポケットから小さな毛皮の包みを取り出した。

 中には、銀色に輝く狼の牙が入っていた。


 「これは、礼だ」


 「金貨じゃなくていいのか?」


 「……俺の部族では、“心から感謝した相手には牙を贈る”習わしがある」


 その言葉には、まるで長く受け継がれてきた誇りが宿っているようだった。

 俺はその牙を受け取り、カウンターの端に大切に置いた。


 「じゃあ、また温まりたくなったら来るといい」


 獣人は少しだけ口元を緩めた。


 「……ああ。約束する」


 そう言って立ち上がると、静かに扉を開けて外へ出ていった。

 扉が閉まると、店内には再び静寂が訪れる。


 ——今夜もまた、一人の旅人を温める一杯を届けた。

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