〜獣人とホット・バタード・ラム〜
扉が開いた瞬間、冷たい夜風とともに獣の匂いが流れ込んできた。
入ってきたのは、一人の獣人。
狼のような耳がピンと立ち、尾がゆらりと揺れる。
分厚い毛皮の外套を羽織り、ブーツには泥がついている。
旅人か、それとも狩人か。
彼は無言でカウンターの席に腰を下ろした。
「……寒い夜だな」
低くしゃがれた声。
近くの山で吹雪にでも巻き込まれたのだろうか。
息を白くさせながら、獣人は鋭い金の瞳をこちらに向けた。
「温まる酒を頼む。できれば甘いやつを」
俺は頷き、手元の作業を始めた。
寒い夜、体の芯まで温まる甘い酒。
それならホット・バタード・ラムがいいだろう。
まずはマグカップを温める。
次に、裏口から仕入れたラム酒を取り出し、バター、黒糖、シナモンを合わせる。
そこへ熱湯を注ぎ、ゆっくりとかき混ぜた。
仕上げにナツメグを振り、香りを立たせる。
甘くスパイシーな香りが立ち昇り、店内の空気がわずかに和らぐ。
俺はそっとカウンターに置いた。
「ホット・バタード・ラム——寒い夜にこそ沁みる一杯さ」
獣人はふっと鼻をひくつかせ、香りを確かめる。
そして、マグを両手で包み込むように持ち、そっと口をつけた。
「……っ、ああ……」
喉を通るラムの熱。
バターのコクと黒糖の甘さが広がり、スパイスが体をじんわりと温めていく。
「……これは、いいな」
彼は一口、また一口と飲み進めるたびに、体の力が抜けていくのを感じたのだろう。
やがて、カウンターに肘をつき、深いため息をついた。
「……毛並みまで温まるとはな」
俺は笑い、クロスでグラスを磨きながら言った。
「冷えた体には、ちょうどいいだろう」
獣人はゆっくりと頷いた。
「俺は北の森を越えてきた。……ここにたどり着くまで、何日も寒さに耐え続けていたが……」
「この一杯で、ようやく生き返った気がする」
彼は空になったマグを静かに置き、ポケットから小さな毛皮の包みを取り出した。
中には、銀色に輝く狼の牙が入っていた。
「これは、礼だ」
「金貨じゃなくていいのか?」
「……俺の部族では、“心から感謝した相手には牙を贈る”習わしがある」
その言葉には、まるで長く受け継がれてきた誇りが宿っているようだった。
俺はその牙を受け取り、カウンターの端に大切に置いた。
「じゃあ、また温まりたくなったら来るといい」
獣人は少しだけ口元を緩めた。
「……ああ。約束する」
そう言って立ち上がると、静かに扉を開けて外へ出ていった。
扉が閉まると、店内には再び静寂が訪れる。
——今夜もまた、一人の旅人を温める一杯を届けた。