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第8話「月の魔法と、神秘の青」

〜魔法使いとブルームーン〜


 扉が開いた瞬間、微かに甘い香りが店内に流れ込んできた。


 ゆっくりと足を踏み入れたのは、ローブをまとった魔法使い。

 長い杖を手にし、フードの奥から覗く瞳は夜空のように深い青をしている。

 年齢は不詳——若いようにも見えるし、老いているようにも思える。


 彼はカウンターの席に静かに腰を下ろし、指先で杖を軽く回しながら、低く囁くように言った。


 「……青い酒をもらおうか」


 俺は微笑んだ。

 この店で青い酒を求める客はそう多くない。

 ならば、ぴったりの一杯を用意しよう。


 「ブルームーン——“青い月”の名を持つカクテルだ」


 俺はグラスを用意し、背後の棚からクレーム・ド・ヴァイオレットのボトルを取り出す。

 この紫のリキュールは、スミレの花から作られたものだ。

 そこにジンとレモンジュースを加え、シェイカーでゆっくりと混ぜる。


 シャカシャカ、シャカシャカ。


 氷とともに振られた液体は、グラスに注がれると淡い神秘的な青紫に染まる。

 まるで、夜空に浮かぶ月の光を閉じ込めたかのように。


 俺はカウンターにグラスを置いた。


 「ブルームーン——夜空の魔法を映した一杯さ」


 魔法使いは、ふっと微笑んだ。

 グラスを持ち上げ、ゆっくりと回す。


 「……美しいな」


 そして、静かに口をつける。


 「……ほう、これは」


 スミレの繊細な香りが広がり、ジンの洗練されたキレがそれを引き締める。

 レモンの酸味が後味を軽やかにし、儚く消えるような余韻を残す。


 魔法使いは目を細め、微かに笑った。


 「なるほど……これはまるで”魔法”のようだ」


 「気に入ったか?」


 「ふふ……悪くない」


 グラスを傾けながら、魔法使いは呟くように語り始めた。


 「青い月の日、魔力は静かに満ち、世界の理を揺るがすという……」


 彼は指先でグラスの縁をなぞり、淡く残る雫を眺める。


 「……この酒も同じだな。静かに、しかし確かに、心を揺さぶる」


 俺は黙って彼の言葉を聞きながら、次の客のためにグラスを磨く。

 魔法使いは最後の一口を楽しむと、静かにグラスを置いた。


 「また青い月の夜に来よう」


 そう言い残し、フードを深く被ると、彼は静かに立ち上がった。


 扉が開くと、微かに甘いスミレの香りが外の闇に溶けていく。


 ——今夜もまた、一人の魔法使いに”青き魔法”を届けた。

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