目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

第9話「揺るがぬ信念に、赤き一杯を」

〜騎士団長とネグローニ〜


 扉が開いた瞬間、わずかに金属の擦れる音がした。


 入ってきたのは、堂々たる風格を持つ騎士団長だった。

 鍛え抜かれた体躯、隙のない立ち姿、肩には王国の紋章が刻まれたマント。

 腰の剣は無駄なく手入れされ、その瞳は鋭く静かに光を宿している。


 この男——自らの信念を貫く者だ。


 騎士団長はカウンターに腰を下ろし、短く言った。


 「強く、確かな酒を」


 無駄な言葉を好まぬタイプ。

 だが、その一言に含まれる意味は深い。


 俺は迷うことなく、背後の棚から三本のボトルを取り出した。

 「ネグローニ——揺るがぬ信念に相応しい一杯だ」


 ロックグラスに氷を入れ、

 ジン、カンパリ、スイートベルモットを等量ずつ注ぐ。

 バースプーンで静かにステアし、仕上げにオレンジピールをひねり、香りを添える。


 カウンターに置かれたグラスの中で、琥珀と紅の混ざり合う深い色彩が揺れた。


 「どうぞ」


 騎士団長は無言のままグラスを手に取ると、一口。


 その瞳がわずかに細められる。


 「……これは、骨太な酒だな」


 カンパリのほろ苦さと、ベルモットの芳醇な甘み。

 それらをジンの力強さがまとめ上げ、強烈な個性を持ちながらも絶妙なバランスを保つ。


 「信念を持つ者の酒だ」俺は静かに言った。

 「迷いのある者には飲みこなせない。だが、一度理解すれば、これほど頼れる味もない」


 騎士団長はグラスの中の赤い液体を見つめ、ふっと小さく笑った。


 「——いい酒だ」


 しばらく沈黙が続く。

 だが、その静けさが心地よかった。


 やがて、騎士団長はもう一口飲み、ぽつりと言った。


 「……戦場では、常に決断が求められる」


 「……」


 「どの道を選ぼうと、責任は自らが負う。それが騎士の誇りであり、宿命だ」


 静かに、グラスの縁をなぞる指。


 「だが時折、ふと考えることがある。もし、別の道を選んでいたら、と」


 俺はグラスを磨きながら応えた。


 「それでも、お前さんは”選んだ道を振り返る”ことはないんだろう?」


 騎士団長はわずかに目を細め、微かに笑った。


 「——ああ」


 そして、最後の一口を飲み干し、静かにグラスを置く。


 「迷いがないわけではない。だが、進む道は決まっている」


 カウンターに金貨を置き、騎士団長は立ち上がった。


 「いい酒だった。また来よう」


 「待ってるよ」


 扉が閉まると、店内には再び静寂が戻る。

 カウンターの上に残るのは、赤き信念の一滴だけだった。


 ——今夜もまた、迷いなき者に相応しい一杯を届けた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?