〜騎士団長とネグローニ〜
扉が開いた瞬間、わずかに金属の擦れる音がした。
入ってきたのは、堂々たる風格を持つ騎士団長だった。
鍛え抜かれた体躯、隙のない立ち姿、肩には王国の紋章が刻まれたマント。
腰の剣は無駄なく手入れされ、その瞳は鋭く静かに光を宿している。
この男——自らの信念を貫く者だ。
騎士団長はカウンターに腰を下ろし、短く言った。
「強く、確かな酒を」
無駄な言葉を好まぬタイプ。
だが、その一言に含まれる意味は深い。
俺は迷うことなく、背後の棚から三本のボトルを取り出した。
「ネグローニ——揺るがぬ信念に相応しい一杯だ」
ロックグラスに氷を入れ、
ジン、カンパリ、スイートベルモットを等量ずつ注ぐ。
バースプーンで静かにステアし、仕上げにオレンジピールをひねり、香りを添える。
カウンターに置かれたグラスの中で、琥珀と紅の混ざり合う深い色彩が揺れた。
「どうぞ」
騎士団長は無言のままグラスを手に取ると、一口。
その瞳がわずかに細められる。
「……これは、骨太な酒だな」
カンパリのほろ苦さと、ベルモットの芳醇な甘み。
それらをジンの力強さがまとめ上げ、強烈な個性を持ちながらも絶妙なバランスを保つ。
「信念を持つ者の酒だ」俺は静かに言った。
「迷いのある者には飲みこなせない。だが、一度理解すれば、これほど頼れる味もない」
騎士団長はグラスの中の赤い液体を見つめ、ふっと小さく笑った。
「——いい酒だ」
しばらく沈黙が続く。
だが、その静けさが心地よかった。
やがて、騎士団長はもう一口飲み、ぽつりと言った。
「……戦場では、常に決断が求められる」
「……」
「どの道を選ぼうと、責任は自らが負う。それが騎士の誇りであり、宿命だ」
静かに、グラスの縁をなぞる指。
「だが時折、ふと考えることがある。もし、別の道を選んでいたら、と」
俺はグラスを磨きながら応えた。
「それでも、お前さんは”選んだ道を振り返る”ことはないんだろう?」
騎士団長はわずかに目を細め、微かに笑った。
「——ああ」
そして、最後の一口を飲み干し、静かにグラスを置く。
「迷いがないわけではない。だが、進む道は決まっている」
カウンターに金貨を置き、騎士団長は立ち上がった。
「いい酒だった。また来よう」
「待ってるよ」
扉が閉まると、店内には再び静寂が戻る。
カウンターの上に残るのは、赤き信念の一滴だけだった。
——今夜もまた、迷いなき者に相応しい一杯を届けた。