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第11話「働き詰めの夜に、琥珀のご褒美を」

〜宿屋の女将とゴッドファーザー〜


 扉が開き、夜の冷たい風とともに、ほんのりとパンとスープの香りが流れ込んできた。


 カウンターに腰を下ろしたのは、一人の女性——宿屋の女将だった。

 年の頃は三十代後半か、落ち着いた雰囲気と母性的な優しさを兼ね備えた美しい人だ。

 エプロンの端をさっと払い、ため息混じりに呟く。


 「はぁ……やっと一息つけるわ」


 きっと今日も忙しく働き詰めだったのだろう。

 異世界の宿屋は、ただの宿ではない。

 旅人や商人、時には傭兵や貴族までが入り乱れる、まさに戦場のような場所だ。

 その中心で店を切り盛りする女将が、どれほどの苦労をしているかは、容易に想像がつく。


 「今夜は、少し強めの酒をお願いね。でも、きつすぎるのはダメ。仕事終わりの体に、ふっと沁みるような……そんなお酒がいいわ」


 俺は頷き、棚から二本のボトルを取り出した。


 「ゴッドファーザー——夜遅くまで働いた者だけが味わう、琥珀のご褒美だ」


 ロックグラスに大ぶりの氷を落とし、スコッチウイスキーを注ぐ。

 次に、アマレットを一滴ずつゆっくりと加える。

 ウイスキーのスモーキーな香りに、アマレットの甘いアーモンドの風味が溶け合う。

 バースプーンで軽くステアし、仕上げにオレンジピールを添えた。


 琥珀色に輝くグラスを、女将の前にそっと差し出す。


 「ほら、ゆっくり楽しむといい」


 女将は興味深げにグラスを覗き込んだ。

 香りを確かめ、慎重に口をつける。


 「……んっ」


 ひと口含んだ瞬間、表情がゆるむ。


 「これ……すごく優しい味ね。でも、奥にちゃんと力強さがある」


 「スコッチの芯のある味わいに、アマレットの甘みを添えたカクテルさ。仕事終わりの疲れた体に、ゆっくり沁みるだろう?」


 女将はくすっと笑った。


 「ふふ、まるで私みたい」


 「ほう?」


 「宿屋の仕事ってね、ただの接客じゃないの。旅人が安心して休めるように、時には優しく、時には強く、みんなを受け止めなきゃいけないのよ」


 そう言いながら、もう一口。


 「このお酒も同じね。強いだけじゃない、でも甘すぎもしない。……なんだか、頑張った甲斐があったなって思える味だわ」


 「そう言ってもらえたなら、作った甲斐がある」


 女将はゆっくりとグラスを傾けながら、静かに笑った。

 普段は客を迎え、世話を焼く立場の彼女が、今日はただ”客”として酒を楽しんでいる。


 グラスが空になり、彼女は満足そうに目を細めた。


 「ふぅ……さて、そろそろ帰らないと。明日も朝から仕込みがあるの」


 俺は微笑み、カウンターを拭きながら言う。


 「また疲れた夜には寄るといい」


 女将は金貨を置き、くるりと踵を返した。


 「ええ。また来るわ。その時は、もっと”私好み”のお酒を用意しておいてね」


 「もちろん」


 扉が閉まると、店内には琥珀の余韻と、ほのかなアーモンドの香りだけが残った。


 ——今夜もまた、一人の働き詰めの夜を癒した。

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