〜旅芸人とサイドカー〜
扉が開いた瞬間、賑やかな鈴の音が響いた。
カウンターに腰を下ろしたのは、一人の旅芸人。
派手な衣装に身を包み、胸元には小さなタンバリンを下げている。
手先は器用にコインを転がし、その口元には常に軽やかな笑みが浮かんでいた。
「へぇ、この街にこんな素敵なバーがあったとはね。これは”いいネタ”になりそうだ」
軽い口調だが、その目はしっかりと俺を見据えている。
「で、何を飲む?」
「そうだな……旅にぴったりな酒を頼むよ。
軽やかで、それでいてどこか”帰る場所”を思わせるようなやつをね」
なるほど。
俺は微笑み、棚からボトルを取り出した。
「サイドカー——さすらいの旅人に捧げる一杯だ」
シェイカーにブランデー、コアントロー、レモンジュースを注ぐ。
氷を加え、力強くシェイク。
——シャカシャカ、シャカシャカ。
琥珀色の液体が冷えたグラスに注がれ、まるで夕暮れに染まる街道のような輝きを見せる。
最後に、グラスの縁に砂糖を軽くまぶし、微かに甘みを添えた。
「どうぞ」
旅芸人はグラスを持ち上げ、興味深げに眺める。
「ほう……綺麗な色だ。まるで、夕焼けを閉じ込めたみたいだな」
そして、一口。
「……っはぁ!」
レモンの爽やかな酸味が舌を刺激し、コアントローの甘い柑橘の香りが鼻をくすぐる。
その奥にあるブランデーの深いコクが、まるで長い旅路のように余韻を残す。
「……これは、まさしく”旅の味”だな」
俺は微笑む。
「元々は”移動の途中”で飲むための酒だと言われてる。
つまり、“旅の途中の一杯”ってわけだ」
旅芸人は静かに頷いた。
「なるほどな……俺たちはどこへ行っても、そこが”途中”だ」
グラスを揺らし、溶けかけた氷の音を聞きながら呟く。
「酒場も舞台も、どこかに”定まる”場所じゃない。
だけど、こうして飲んでいると……たまには”帰る場所”が欲しくなるもんだ」
俺は肩をすくめた。
「なら、いつでも帰ってくるといい。うちは”旅人”も歓迎する」
旅芸人は笑い、金貨を一枚弾いてカウンターに置いた。
「ありがたいね、マスター。じゃあ、また次の”旅の途中”で寄らせてもらうよ」
扉が開き、鈴の音が響く。
その背には、果てなき旅路と、次の舞台への期待が揺れていた。
——今夜もまた、一人の”さすらい人”に琥珀の軌跡を届けた。