目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第44話「影を拭う者に、静寂の一杯を」

〜掃除屋とゴッドファーザー〜


 扉が開いた。


 だが、そこに”客が入ってきた”というよりも、

 気づいたときには、すでに”そこにいた”という感覚だった。


 黒いロングコート、指先まで隠れる手袋。

 目立たぬ装いに、無駄のない動き。

 ——“痕跡を残さない男”。


 彼は静かに腰を下ろし、

 低く短く呟いた。


 「……甘くて、重いのをくれ」


 俺は微かに笑い、棚からボトルを取り出す。


 「ゴッドファーザー——沈黙を貫く者の一杯だ」


 ロックグラスに大きな氷を落とし、

 スコッチウイスキーとアマレットを注ぐ。


 バースプーンでゆっくりとステアすると、

 琥珀色の液体が滑らかに混ざる。


 「どうぞ」


 掃除屋はグラスを手に取り、

 無言のまま一口。


 「……っふ」


 スコッチの重厚なスモーキーさ、

 アマレットの甘くほろ苦いアーモンドの香り。


 まるで”冷酷さと優雅さの共存”のような味わい。


 グラスを揺らしながら、

 彼はぼそりと呟く。


 「……“後始末”は、誰も見ちゃいけねぇ」


 俺は静かにグラスを拭きながら言う。


 「それでも、お前は”見てる”んだろう?」


 掃除屋は微かに笑い、

 グラスの中の琥珀を見つめる。


 「……“見た”ところで、“何も残らない”さ」


 最後の一口を飲み干し、

 グラスを置く。


 「いい酒だった」


 彼は懐から一枚の折りたたまれた紙を取り出し、

 カウンターにそっと置く。


 「……“支払い”だ」


 俺はそれを手に取り、開く。


 ——“誰も見ていない。”——


 掃除屋は立ち上がり、

 静かに、何の音も立てずに店を出る。


 扉が開いたのか、開かなかったのか。


 気づけば、そこにはもう”何も残っていなかった”。


 ——今夜もまた、一人の”影の仕事人”に静寂の一杯を届けた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?