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第50話「悲鳴を聞く者に、緑の幻を」

〜拷問官とアブサン・スープ〜


 扉が開いた。


 ——いや、まるで”闇そのもの”が流れ込んできたかのようだった。


 カウンターに腰を下ろしたのは、一人の男。


 黒いローブ、分厚い革の手袋。

 袖口から覗く手には無数の古傷。

 “道具”を扱う者の手だ。


 そして、その目。


 感情の読めぬ冷たい視線が、静かに俺を見つめていた。


 ——拷問官、か。


 彼は、低く呟いた。


 「……“痛みを和らげる酒”をくれ」


 俺は微かに笑い、棚からボトルを取り出す。


 「アブサン・スープ——“幻惑の緑”を映す一杯だ」


 グラスにアブサンを注ぎ、

 そこへ冷水をゆっくりと垂らす。


 淡い緑が、

 “苦痛と陶酔の狭間”のように揺らぐ。


 「どうぞ」


 拷問官はグラスを持ち上げ、

 じっとその色を見つめる。


 「……綺麗なものだな」


 そして、一口。


 「……っは」


 アブサンの強烈な薬草の香り、

 舌を包むような苦み、

 そして、最後に残る甘い余韻。


 まるで”痛みの後に訪れる安堵”のような味わい。


 彼は、

 グラスの中の緑を揺らしながら呟いた。


 「……“人の叫び”には、色がある」


 「どんな色だ?」


 彼は微かに笑い、

 グラスの中を覗き込む。


 「“最初は赤”だ」


 「だが、時間が経てば”青”になり——」


 彼は最後の一口を飲み干し、

 静かにグラスを置く。


 「“最後は、緑になる”」


 俺は静かにグラスを拭きながら言う。


 「それは”安堵”か? それとも”狂気”か?」


 拷問官は、

 薄く笑いながら立ち上がる。


 「……それを決めるのは、俺ではない」


 懐から黒ずんだ銀貨を取り出し、

 カウンターにそっと置く。


 「“罰の報酬”だ。……受け取るかどうかは、お前次第だ」


 俺はそれを拾い、微かに笑った。


 「また来るか?」


 拷問官はローブのフードを深く被り、

 闇の中へと歩き出す。


 「……“痛みが消えなければ”な」


 扉が開く。


 その瞬間、店内の空気がやっと、“生者のもの”へと戻った。


 ——今夜もまた、一人の”痛みを与える者”に緑の幻を届けた。

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