〜仕立て屋とロブ・ロイ〜
扉が開いた。
店内に入ってきたのは、整った身なりの一人の男。
年齢は若くもなく、老いてもいない。
だが、その身に纏う服の仕立ての見事さは、誰よりも際立っていた。
袖口、ボタン、縫い目、襟の角度。
無駄のない所作と、丁寧な眼差し。
そして何より、指先の所作が美しい。
——仕立て屋、だな。
彼は微笑み、静かに腰を下ろす。
「……“糸のように滑らかで、芯のある酒”を」
俺は少しだけ笑い、棚からボトルを取り出す。
「ロブ・ロイ——職人の誇りを映す一杯だ」
ミキシンググラスにスコッチウイスキー、スイートベルモット、アンゴスチュラビターズを注ぎ、
丁寧にステア。
——カラン、カラン……ステアの音さえ、静かな裁縫のようだ。
冷えたカクテルグラスに注げば、
琥珀色の液体が、まるで高級なウールの艶のように揺れる。
最後にマラスキーノチェリーをひと粒。
「どうぞ」
仕立て屋は静かにグラスを持ち上げる。
「……美しい仕上がりだ」
そして、一口。
「……っ」
スコッチのスモーキーで繊細なコク、
ベルモットの深みある甘み、
ビターズのごくわずかな苦みが、
仕立てた服の”裏地のこだわり”のようにじわりと効いてくる。
「……縫い目ひとつで服が決まるように、
ほんの一滴で酒の品格が変わるな」
俺は静かにグラスを拭きながら答える。
「それを理解してる奴は、そう多くない」
仕立て屋は小さく微笑み、グラスを傾ける。
「……服も、酒も、“自分のために作られたもの”には心が宿る」
「お前の針には、“誰の心”を縫っている?」
彼は少しだけ目を細め、グラスを置いた。
「……今は、“失った人”の心だな」
そして静かに、マラスキーノチェリーを口に含む。
「それでも、縫い続ける。それが”職人”ってやつだ」
金貨を一枚置き、立ち上がる。
「また来よう。次は”祝いの服”を縫える日が来たら」
俺は頷いた。
「その時は、“誂えた一杯”を用意しておくさ」
扉が開く。
彼の背中は、糸を引くように静かに消えていった。
——今夜もまた、一人の”縫う者”に、上質な一杯を届けた。