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第51話「一針に込めた想いに、上質な一杯を」

〜仕立て屋とロブ・ロイ〜


 扉が開いた。


 店内に入ってきたのは、整った身なりの一人の男。

 年齢は若くもなく、老いてもいない。

 だが、その身に纏う服の仕立ての見事さは、誰よりも際立っていた。


 袖口、ボタン、縫い目、襟の角度。

 無駄のない所作と、丁寧な眼差し。

 そして何より、指先の所作が美しい。


 ——仕立て屋、だな。


 彼は微笑み、静かに腰を下ろす。


 「……“糸のように滑らかで、芯のある酒”を」


 俺は少しだけ笑い、棚からボトルを取り出す。


 「ロブ・ロイ——職人の誇りを映す一杯だ」


 ミキシンググラスにスコッチウイスキー、スイートベルモット、アンゴスチュラビターズを注ぎ、

 丁寧にステア。


 ——カラン、カラン……ステアの音さえ、静かな裁縫のようだ。


 冷えたカクテルグラスに注げば、

 琥珀色の液体が、まるで高級なウールの艶のように揺れる。


 最後にマラスキーノチェリーをひと粒。


 「どうぞ」


 仕立て屋は静かにグラスを持ち上げる。


 「……美しい仕上がりだ」


 そして、一口。


 「……っ」


 スコッチのスモーキーで繊細なコク、

 ベルモットの深みある甘み、

 ビターズのごくわずかな苦みが、

 仕立てた服の”裏地のこだわり”のようにじわりと効いてくる。


 「……縫い目ひとつで服が決まるように、

  ほんの一滴で酒の品格が変わるな」


 俺は静かにグラスを拭きながら答える。


 「それを理解してる奴は、そう多くない」


 仕立て屋は小さく微笑み、グラスを傾ける。


 「……服も、酒も、“自分のために作られたもの”には心が宿る」


 「お前の針には、“誰の心”を縫っている?」


 彼は少しだけ目を細め、グラスを置いた。


 「……今は、“失った人”の心だな」


 そして静かに、マラスキーノチェリーを口に含む。


 「それでも、縫い続ける。それが”職人”ってやつだ」


 金貨を一枚置き、立ち上がる。


 「また来よう。次は”祝いの服”を縫える日が来たら」


 俺は頷いた。


 「その時は、“誂えた一杯”を用意しておくさ」


 扉が開く。


 彼の背中は、糸を引くように静かに消えていった。


 ——今夜もまた、一人の”縫う者”に、上質な一杯を届けた。

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