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第53話「孤高の灯りに、温もりの一杯を」

〜灯台守とホット・バタード・ラム〜


 扉が開いた。


 冷たい風が店内に流れ込む。

 その風は潮の香りを含みながら、どこか寂しさも運んできた。


 カウンターに腰を下ろしたのは、一人の灯台守。

 分厚い外套、潮に濡れたブーツ。

 その手はひび割れ、温もりを求めているように見えた。


 彼は低く静かに言った。


 「……温かくて、“静かな夜”のような酒を」


 俺は頷き、ゆっくりと棚から材料を揃える。


 「ホット・バタード・ラム——孤高の灯火に捧げる一杯だ」


 耐熱グラスにダークラム、ブラウンシュガー、バター、スパイス(シナモン・ナツメグ・クローブ)を入れ、

 そこへ熱湯を注ぐ。


 丁寧にステアすると、

 琥珀色の液体がほのかに濁り、表面にバターが柔らかく溶けていく。


 仕上げにシナモンスティックを添える。


 「どうぞ」


 灯台守は両手でグラスを包むように持ち、

 そのまま目を閉じて香りを吸い込む。


 「……海の夜に似てる。……でも、寒くないな」


 そして、一口。


 「……ふっ」


 ダークラムの深いコク、バターのまろやかな甘み。

 スパイスの柔らかな刺激が体を芯から温めていく。


 「……これは”誰も来ない夜”に、たった一人で飲む酒だな」


 俺はグラスを拭きながら言う。


 「それでも、灯りは消さないんだろう?」


 灯台守は、ふっと笑う。


 「当たり前さ。“誰かが来るかもしれない”からな」


 グラスを見つめながら、静かに呟く。


 「灯台の光は、“迷っている者”のためにある。

  ……自分のためじゃない」


 そして、最後の一口を飲み干した。


 「……いい夜だった」


 彼は懐から小さな貝殻の詰まった布袋を取り出し、

 カウンターに置いた。


 「海で拾った”忘れられた道標”さ。置いておくといい」


 俺は受け取りながら微笑む。


 「また来るか?」


 灯台守は立ち上がり、帽子を深く被る。


 「“次の嵐の後”にな」


 扉が開く。


 冷たい風とともに、

 彼の背中は夜の海へと消えていった。


 ——今夜もまた、一人の”灯りを守る者”に、温もりの一杯を届けた。

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