〜灯台守とホット・バタード・ラム〜
扉が開いた。
冷たい風が店内に流れ込む。
その風は潮の香りを含みながら、どこか寂しさも運んできた。
カウンターに腰を下ろしたのは、一人の灯台守。
分厚い外套、潮に濡れたブーツ。
その手はひび割れ、温もりを求めているように見えた。
彼は低く静かに言った。
「……温かくて、“静かな夜”のような酒を」
俺は頷き、ゆっくりと棚から材料を揃える。
「ホット・バタード・ラム——孤高の灯火に捧げる一杯だ」
耐熱グラスにダークラム、ブラウンシュガー、バター、スパイス(シナモン・ナツメグ・クローブ)を入れ、
そこへ熱湯を注ぐ。
丁寧にステアすると、
琥珀色の液体がほのかに濁り、表面にバターが柔らかく溶けていく。
仕上げにシナモンスティックを添える。
「どうぞ」
灯台守は両手でグラスを包むように持ち、
そのまま目を閉じて香りを吸い込む。
「……海の夜に似てる。……でも、寒くないな」
そして、一口。
「……ふっ」
ダークラムの深いコク、バターのまろやかな甘み。
スパイスの柔らかな刺激が体を芯から温めていく。
「……これは”誰も来ない夜”に、たった一人で飲む酒だな」
俺はグラスを拭きながら言う。
「それでも、灯りは消さないんだろう?」
灯台守は、ふっと笑う。
「当たり前さ。“誰かが来るかもしれない”からな」
グラスを見つめながら、静かに呟く。
「灯台の光は、“迷っている者”のためにある。
……自分のためじゃない」
そして、最後の一口を飲み干した。
「……いい夜だった」
彼は懐から小さな貝殻の詰まった布袋を取り出し、
カウンターに置いた。
「海で拾った”忘れられた道標”さ。置いておくといい」
俺は受け取りながら微笑む。
「また来るか?」
灯台守は立ち上がり、帽子を深く被る。
「“次の嵐の後”にな」
扉が開く。
冷たい風とともに、
彼の背中は夜の海へと消えていった。
——今夜もまた、一人の”灯りを守る者”に、温もりの一杯を届けた。