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第54話「星を読む者に、空の記憶を」

〜占星術師とコスモポリタン〜


 扉が開いた。


 その瞬間、ふわりと店内に夜空の香りが漂った。

 香水でも香草でもない、けれど確かにどこか星の気配を感じさせる匂い。


 カウンターに腰を下ろしたのは、一人の占星術師。

 深い青のローブ、銀の刺繍。

 肩に掛けた星図を描いた巻物が、灯りの中できらりと光る。


 彼は、どこか夢見るような声で言った。


 「……“星の軌道をたどるような酒”を、頼もうか」


 俺はゆっくりと頷き、棚からボトルを取り出す。


 「コスモポリタン——“星々の都市”を映す一杯だ」


 シェイカーにウォッカ、コアントロー、クランベリージュース、ライムジュースを注ぐ。

 氷を加え、滑らかにシェイク。


 ——シャカシャカ、シャカシャカ。


 冷えたカクテルグラスに注げば、

 美しい星霞のような赤桃色が広がる。


 「どうぞ」


 占星術師はグラスを覗き込み、優しく微笑んだ。


 「……これを夜空に浮かべたら、ひとつの星座になりそうだ」


 そして、一口。


 「……ん、これは”記憶の味”だな」


 ウォッカの切れ味、コアントローの華やかな甘さ、

 クランベリーの酸味がきゅっと引き締め、

 ライムが星のように軽やかに弾ける。


 「……不思議と、“遠い昔に見た空”を思い出す」


 俺はグラスを拭きながら言う。


 「星は過去の光だ。思い出すのは自然なことだろう」


 占星術師は小さく笑い、グラスを揺らす。


 「……それでも人は、“未来”を星に問うんだよ」


 「星は答えてくれるか?」


 「……答えるさ。“正しく聞ければ”、ね」


 最後の一口を飲み干し、

 懐から小さな星のチャームを取り出し、カウンターに置いた。


 「“星読みの礼”だ。たまには空を見上げるといい」


 俺はそれを受け取りながら微笑む。


 「また来るか?」


 占星術師は立ち上がり、ローブを揺らしながら言う。


 「“流星が走る夜”にでもな」


 扉が開く。


 彼の背中は夜空に溶け、

 ——まるで一瞬だけ通り過ぎた彗星のように消えていった。


 ——今夜もまた、一人の”空を読む者”に、星の記憶を届けた。

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