〜天文学者とスターダスト・スリング〜
扉が開いた。
そして同時に、まるで宇宙の静寂が流れ込んできたかのようだった。
カウンターにゆっくりと座ったのは、一人の天文学者。
真っ白な外套には、かすかにチョークの粉。
腰には巻物ではなく、天球儀の刻まれた古びた手帳がぶら下がっている。
彼は眼鏡の奥で優しく目を細め、静かに言った。
「……“星屑の余韻”が残る酒があれば、頼もう」
俺は微かに笑い、棚からボトルを取り出す。
「スターダスト・スリング——遥か彼方の光を集めた一杯だ」
シェイカーにドライジン、チェリーブランデー、レモンジュース、シュガーシロップ、ソーダを注ぎ、
氷とともに軽やかにシェイク。
——シャカシャカ、シャカシャカ。
冷えたハイボールグラスに注ぎ、
星を模した金粉をひとつまみ散らす。
淡い赤と金が混じり合い、
まるで天の川のグラスの中の写しのように光る。
「どうぞ」
天文学者はグラスを見つめ、そっと言う。
「……これは、銀河の色だな」
そして、一口。
「……っは」
ジンの芯のある清涼感、
チェリーブランデーのほの甘さ、
レモンの酸味とソーダの軽やかな泡が、
星の瞬きのように舌の上ではじける。
「……星は、光を放つが、音を持たない。
けれどこの酒には、“無音のきらめき”があるな」
俺はグラスを拭きながら言う。
「遠くから見てるだけじゃ、星の本当の姿はわからないってことかもな」
天文学者は笑い、グラスを揺らす。
「……人もそうだ。“観測”と”理解”は違う」
そして、夜の空を仰ぐように言った。
「私は毎夜、星を見上げているが、
それでも時々”見逃していた光”に気づく」
最後の一滴を飲み干し、
懐から星図の描かれた古いコンパスを取り出してカウンターに置く。
「これは、かつて”見失った星”の座標を記したもの。……君に預けよう」
「確かに受け取った」
彼は静かに立ち上がり、微笑む。
「また来よう。“観測条件のいい夜”にでも」
「その時は、夜空の続きを語ってくれ」
扉が開く。
その背中は、まるで大気圏を越えていく探求者のように消えていった。
——今夜もまた、一人の”星を読む者”に、星屑の一杯を届けた。