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第58話「夜空を測る者に、星屑の一杯を」

〜天文学者とスターダスト・スリング〜


 扉が開いた。


 そして同時に、まるで宇宙の静寂が流れ込んできたかのようだった。


 カウンターにゆっくりと座ったのは、一人の天文学者。

 真っ白な外套には、かすかにチョークの粉。

 腰には巻物ではなく、天球儀の刻まれた古びた手帳がぶら下がっている。


 彼は眼鏡の奥で優しく目を細め、静かに言った。


 「……“星屑の余韻”が残る酒があれば、頼もう」


 俺は微かに笑い、棚からボトルを取り出す。


 「スターダスト・スリング——遥か彼方の光を集めた一杯だ」


 シェイカーにドライジン、チェリーブランデー、レモンジュース、シュガーシロップ、ソーダを注ぎ、

 氷とともに軽やかにシェイク。


 ——シャカシャカ、シャカシャカ。


 冷えたハイボールグラスに注ぎ、

 星を模した金粉をひとつまみ散らす。


 淡い赤と金が混じり合い、

 まるで天の川のグラスの中の写しのように光る。


 「どうぞ」


 天文学者はグラスを見つめ、そっと言う。


 「……これは、銀河の色だな」


 そして、一口。


 「……っは」


 ジンの芯のある清涼感、

 チェリーブランデーのほの甘さ、

 レモンの酸味とソーダの軽やかな泡が、

 星の瞬きのように舌の上ではじける。


 「……星は、光を放つが、音を持たない。

  けれどこの酒には、“無音のきらめき”があるな」


 俺はグラスを拭きながら言う。


 「遠くから見てるだけじゃ、星の本当の姿はわからないってことかもな」


 天文学者は笑い、グラスを揺らす。


 「……人もそうだ。“観測”と”理解”は違う」


 そして、夜の空を仰ぐように言った。


 「私は毎夜、星を見上げているが、

  それでも時々”見逃していた光”に気づく」


 最後の一滴を飲み干し、

 懐から星図の描かれた古いコンパスを取り出してカウンターに置く。


 「これは、かつて”見失った星”の座標を記したもの。……君に預けよう」


 「確かに受け取った」


 彼は静かに立ち上がり、微笑む。


 「また来よう。“観測条件のいい夜”にでも」


 「その時は、夜空の続きを語ってくれ」


 扉が開く。


 その背中は、まるで大気圏を越えていく探求者のように消えていった。


 ——今夜もまた、一人の”星を読む者”に、星屑の一杯を届けた。

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