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第3話 甲冑姿のお客さま

「ひ……っ!?」


 心臓が、これまで聞いたことがないほど大きく音を立てて、息が止まる。

 重たい霧の気配を背負って現れたのは、全身銀色の甲冑を纏った、誰か。扉の上に頭をぶつけそうなほど背が高い。

 いやそれよりも、全身銀色の西洋の甲冑姿がものすごい違和感。こんな時間にこんな田舎でコスプレ? 一人で?

 叫ばなかったのはいいことなのだろうか。叫んだ方がよかった?

 こんな、周囲に民家のない場所で叫んだところで、意味はないのかもしれないけれど。


「ぁ、――え?」


 銀色のフルフェイスのマスクの下から、くぐもった声が聞こえた。

 店内を見渡し、私を見て、甲冑姿の誰かも動きを止める。

お互いの姿を見て固まっている私たちの代わりに、窓際にいたマルが、フーッ! と、毛を逆立てた。

 その鳴き声に我に返ったのか、はっとした様子の誰かは慌ててマスクを脱いだ。

 現れたのは、金色の髪に青い瞳、白い肌。モデルとか、俳優さんみたいな美しい人だった。その人は戸惑った表情でマルを見て、また視線を私に戻した。

 お互い目が合い、そしてやっぱり動けない。


(が、外国の人!)


 どうしてこんな時間にこんな場所で、そしてとにかくなんでその姿?

 頭には疑問しか浮かばない。

 言葉通じるのかな? え、誰なの?

 入口の横でなぜか警戒する様子もなくじっと甲冑姿の男性を見上げていた小太郎が、ふっと立ち上がり、フンフンと彼の匂いを嗅ぎだした。


(小太郎? こういう時の番犬じゃないの!?)


 いつもは知らない人が来ると最大級の警戒をするのに、なぜか友好的ですらある小太郎の様子に、私の警戒心が少しだけほどける。


(え、ええと、とにかく……)

「あ、あのっ!」


 声を掛けると、彼はピクリと身体を揺らした。


「も、もうお店は閉店しました!」

(って、そうじゃない!)


 なにをどう言えばいいのか分からない。追い払えばいい? こんな時間にここで、そんな恰好でなにをしてるのかとか、聞けばいい? 聞いてどうするの?


「こ、言葉は分かりますか? えっと……」

「――分かる。すまない、怖がらせるつもりはないんだ」


 スッと、淀みなくかけられた言葉に驚いて彼を見上げる。

 困惑した様子の彼は、一度後ろを振り返った。開いたままの扉の向こうは、霧に包まれた闇が広がっているだけ。


「あ、あのすみません、虫が入るので閉めてください……」

「あ、ああ、すまない」


 彼は慌てて私を振り返り、急いで扉を閉めた。


(――って違う! 招き入れるようなこと言ってどうするの、私!)


 扉を閉めた彼は、けれどその場から動かずじっと立ち尽くしたまま店内を見渡した。青い瞳がこぼれそうなほど大きく開いている。


「「あの」」


 同時に話し出して声が揃う。


「あ、すみませ……」

「いや、すまない」

「「……」」


 これは、どうしたものだろう。私が困惑するのは当然だけれど、どうして彼が困惑しているのかな。この辺りを歩いていて、唯一見えた明かりに引き寄せられて来たんじゃないのかな。

 霧で道に迷ったとか?

 そのとき、ずっと彼の匂いを嗅いでいた小太郎が、ぐいっと彼の手の籠手を噛んで引っ張った。


「――っ!」


 その瞬間、彼は痛そうに顔を歪めて前屈みになった。もう片方の手で、小太郎の頭をよしよしと宥めるように優しく叩いて、籠手から口を離させた。


「――あ! あのごめんなさい、小太郎が噛みましたか!?」

「いや、噛んでいないよ。大丈夫、賢い子だ」


 そう言って笑う彼は、それでも顔色が悪い。よく見ると、小太郎が引っ張ったほうの手から血が滲み、指先からぱたりと血が滴った。


「あ、怪我!?」

「え? ああ、これは……」

「血が出てます、消毒しましょう!」

「え?」

「そこに座ってください!」


 カウンターから飛び出して、入り口前に立つ彼を店内のソファ席へ座らせる。されるがまま腰を下ろした彼の前に、お水の入ったピッチャーとグラスを置いた。

 彼はそれを見て、「ありがたい」と水を注いで一気に飲み干す。


「今、救急箱を持ってきます」

「あ、いやしかし……」

「座ってて!」

「わ、分かった」


 驚いた表情の彼を置いて、急いで店奥へ向かい、祖母が残していた救急箱を持ってくる。箱を開けると、消毒薬の匂いがふわりと鼻先を掠めた。


「えっと、外せますか? これ」

「ああ、うん」


 戸惑いながら、彼は手の甲を覆う籠手を外した。ガチャガチャと音を立て、重たい籠手を外すと、思っていたよりかなりの量の出血をしている。


「もっと上から血が出てます……、これも外してください」


 肘と肩の部分の甲冑も外すように言うと、彼は大人しく従った。

 にしても、中々に本格的な甲冑だ。簡単に取れるようにできていないし、甲冑の下にはどうやら鎖帷子も着ている。すごく重そう。

 怪我は肩の下の辺りに負っていた。抉れたような傷の周囲に痣もできていて、すぐにでも病院へ行った方がよさそう。これって、縫合した方がいいんじゃないのかな。

 まさか熊に襲われたとか? それならすぐに派出所に連絡しないと。


「病院へ行った方がいいです。どうやってここまで来たんですか? 車とか……」

「くるま? 馬車がある?」

「は、え? 馬車?」

「どうしてここへ来たのか分からないんだ。多分、森も深かったから精霊の仕業だとは思うんだけど」

「……」


 せいれい、って? 精霊……?

 なんて答えたらいいか分からず、目の前の傷に黙々と消毒薬を塗る。

 ええと、どうしよう、なにを言ったらいいんだろう。なりきってる? 合わせたほうがいい?

 それにしても沁みないのかな、すごく痛そうなんだけど。


「部隊と合流できれば治癒師がいるから大丈夫だよ。丁寧にありがとう」

「イ、  イエ……」


 ぶたい、ってなんだろう。舞台? あ、もしかして劇団の人かな。


「劇団の方たちとはぐれたんですか?」

「げきだん?」

「「……?」」


 どうしよう、なんだか会話がかみ合わない。

 救急箱からガーゼを取り出してそっと傷口に当て、包帯でくるくると巻く。素人の手当なので、見様見真似なのは許してほしい。


「あの、もしかして熊に遭いましたか?」

「? 熊には遭ってないよ」

「え……っと、じゃあこの怪我は……」

「恥ずかしいんだけれどね、まさかまだ魔物が残っていると思わなくて、油断してしまったんだ。剣も落としてしまって困っていた」


 まもの。それは熊とは違うのだろうか。

 けん、ってなに? 剣?


「け、警察に行ったほうが……」

「ケーサツ?」


 時々日本語が通じない。こんなに淀みなく話せるのに。

 そのとき、ぐうっと彼のお腹が鳴った。


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