「――不思議だ。どうやって動いているのかな」
「これは電気で動くんです」
「でんき?」
「イサイアスさんの魔法みたいなものですよ」
「そうか、なるほど」
食事を終えて満足した彼は、落ち着いたのか店内を珍しそうに見渡した。空いた食器を下げる私に付いてくるように、一緒にカウンター席へ移動して目につくものをいろいろと手に取り、私に質問をしてきた。
最初に彼が気にしたのは、店内に流れる音楽。スピーカーから流れる音楽を聴いて、どこから誰が流しているのか聞いてきた。スマホを取り出して音楽アプリの説明をしたけれど、正しく伝わっているか分からない。
聞かれて初めて、自分が身を置く世界の文化を客観的に眺める不思議。当然のように使っているけれど、仕組みを詳しく伝えることなんて、中々できない。
スマホを手にした彼は、キラキラした目で画面を触っている。説明をするとすぐに操作できるようになったけれど、字が読めないらしい。今は動画を見て驚いている。
「私の世界にも魔法で再生する装置があるけれど、こんなに小さくないんだ。それにとても特殊なもので、特別な場所にしか置かれていないんだよ」
「そうなんですね。ここは、こういったもので情報を集めることが多いので、ほとんどの人が持っていると思います」
「皆が平等に情報を入手できるのは、素晴らしいことだね」
イサイアスさんは言いながらスマホを私に返してくれた。
「装置を使わなくても魔法で見たものを再生することはできるけれど、それが必ずしも正しいとは限らないんだ。魔法を行使する人物の主観が入ってしまうから。こんなふうに」
そう言って、空になにかを描くように指を動かした。すると、指先から光が糸のように伸びてくる。
「わあ……!」
きらきらと細い糸のように伸びた光が空中に浮かび上がり、だんだん集まってくる。それは、金色に光り輝く、鳥や蝶、見たことのない形をした花々だった。ふわふわと浮かび、動くたびに金色の細かな粒がハラハラと降ってくる。
(すごい、魔法だ。本当に魔法!)
「これは私が森で見た動植物の姿だけれど、正確とは言い難いんだ。私の記憶に残ったものを形に表しているだけだからね。細部まで覚えていないから、なんとなくぼんやりしてるだろう?」
「すごい、すごくきれいです!」
「ふふ、あかりが喜んでくれるなら嬉しい」
イサイアスさんが手を伸ばすと、一羽の小鳥がその掌にふわりと降りてきた。彼はそれを私の前に差し出す。
「手を貸して」
「は、はい」
恐る恐る差し出した手に、彼は金色の鳥を載せた。それはじんわりと温かくて、動くと掌がくすぐったい。重みも感じる。
「不思議……」
「火や水、風も起こせるけれどね、ここではでんきがあるから必要なさそうだ」
「でも、道具を使わずに、自分の身ひとつで火を起こしたり水を出したりできるのは、すごいことです」
「そうなのかな? ふふ、普段褒められることがないから、なんだか照れくさいな」
そう言って笑う彼の穏やかな雰囲気に、魔法、なんて不思議なものを見たというのに、抵抗なく受け入れている自分がいる。
彼自身が、現実に存在する人と思えないせいもある。
金色のきれいな髪は少しだけ緩く波打っていて、青い瞳はよく見ると複雑な色をしている。いわゆるアースカラーというものだと思う。
白い肌は陶器のようにまっ白できめ細かくて、羨ましいくらい。高い鼻筋に彫りの深い目元、瞳はやや切れ長で、それでいて大きい。
(こんなにきれいな顔をした人、見たことない……)
まるで作り物のようなのだ。
少しだけ伏せた目元に睫毛が影を作っていて、長い睫毛だな、なんてじっと見つめていたら、視線を上げた彼と目が合った。
あまりにもじっと見つめすぎてしまったことに気が付いて、カッと顔が熱くなる。
(わ、つい見過ぎちゃった)
慌てて視線を逸らして、ごまかすように珈琲のお代わりを勧めた。彼は笑顔で嬉しそうにお代わりを飲む。
「私の世界にもこの“こーひー”があればいいんだけどね。こんなにおいしい飲み物がないなんて残念だ」
「でも、どこか他の国へ行ったらあるかもしれませんよ?」
「そうだね……、でもきっと、あかりが淹れてくれるから、おいしいのかもしれないな。必ずしもこんなにおいしいとは限らないよ」
「お、お上手ですね?」
「お世辞じゃない、素直な感想だよ」
優しく笑う彼からは、確かに世辞や社交辞令のようなものを感じない。
(本当に気に入ったんだ……)
なんだかそれが嬉しい。
「そういえば、ずいぶん長居しているけれど今は何時だろう」
珈琲を飲み終えたイサイアスさんは、ふと我に返ったように周囲を見渡した。店内の時計は0時をとっくに過ぎている。
「えっと、もう日付は変わってますね」
「そんなに? すまない、女性と二人でいるような時間じゃないな」
「で、でも仕方ないですよ、そんなつもりではなかったんだし……」
お互い、不可抗力なのだ。
「ああ、でもこれは……、私はどうやって元に戻るのかな」
「また扉を開けるとか?」
「うん、それしかないかな」
適当に言ったのに。
イサイアスさんは立ち上がって、店の扉の前へ移動した。ソファの足元でうずくまって寝ていた小太郎が、パッと顔を上げる。
空に浮いていた金色の鳥や花々がふわりと散って、静かに消える。
「さて、精霊は私に帰れというかな?」
なんとなく緊張した面持ちで取っ手に手を掛けた彼は、そっと扉を外へと押し開ける。ひんやりした夜の風が店内に吹き込んで、熱を持つ頬を撫でた。
「イサイアスさん、どうですか? 外は、元の世界に繋がってる?」
扉を開けたまま動かない彼の横からそっと外を覗いてみる。さっきまで濃く立ち込めていた霧がいつの間にか晴れ、道路にある街頭が道を照らしている。真っ暗な森の上には小さな星がひとつ、瞬いているのが見えた。
「変わってないですね、どうし――」
どうしましょうか。そう言いながら彼を振り返ると。
そこにはもう、誰も立っていなかった。