「あかりちゃん、おはよう~!」
元気な声が店先から響いた。
「あ、おはようございます!」
店奥で作業をしていた手を止めて、慌ててカウンターへ向かうと、近所で農業をしている寺田さんが手に大きな段ボールを持って笑顔で入ってきた。
「おう、ごめんな、こんな早くから」
「いいえ! いつもありがとうございます」
「はいこれ、今日の分ね」
「わあ! すごいおいしそう!」
寺田さんはレタルで提供する食事の野菜を届けてくれる人だ。一緒に牛乳やバターも届けてくれて、店にとって欠かせない人。
段ボールにある野菜を見ると、新鮮な野菜がぎっしりと詰まっていた。
季節が変わって野菜の種類も豊富になってきた。おかげで、カフェメニューも多彩で、毎日メニューを考えるのが楽しい。
あとはお客さんが来てくれたらいいんだけれど!
「それと、これはサービス。うちの温室でさ、鉢植えで作ってみたんだけど、結構いい出来だったんだよ」
「わ、アボカド!?」
国産のアボカドなんて、高級品だ。
「趣味で作ったみたいなモンだからさ、気にしないで使ってみてよ」
「すみません、ありがとうございます!」
たくさん野菜が詰められた段ボールを受け取って、寺田さんにカウンターの椅子を勧める。しわくちゃの笑顔を見せた彼は椅子に腰かけ、コップの水を飲み干した。
「で、どうよ、お客さんは」
「え、あ~、ねぇ……」
あはは、と笑ってごまかす私を見て、彼も一緒に笑った。
「まあ、ユリさんが喫茶店をやってたころから、特別客入りがいいわけでもなかったしなぁ。どうやって食ってんのか不思議に思ったもんだよ」
「はは、それは本当ですね」
亡くなった祖母を知る彼は、懐かしそうに目を細めて短い髪をくしゃくしゃっと撫でた。
「でもさ、ユリさんの淹れる珈琲は本当にうまかったからな。ファンも多かったんだよ。あかりちゃんの珈琲もいい線いってるぞ」
「お祖母ちゃんにはまだまだ及ばない?」
そう言うと、彼はガハハ! と、大きく口を開けて笑った。
「まあ歴史が違うわな! あかりちゃんはあかりちゃんの味なんだよ。ユリさんとは違う、あかりちゃんの美味い珈琲だ」
「ふふ、ありがとうございます」
ふっくらと膨らむ珈琲豆に視線を落としたまま、くすぐったく嬉しい気持ちになる。
寺田さんのお気に入りのカップに珈琲を注いで、御礼にイチジクのマフィンを出す。彼は嬉しそうに手を伸ばして頬張った。
「寺田さん、私、お店の営業時間を変えようと思うんですけど」
「営業時間?」
マフィンを頬張りながら、彼は目を丸くした。
「はい。ランチが終わったら一回お店を閉めて、お菓子作りに専念しようかなって」
「おお、いいんじゃない? あかりちゃんの焼き菓子、美味いからファンが多いだろ。注文して後から取りに来る奴もいるしな」
「ありがたいことに、そうなんです。なので、ちょっと、本腰を入れてみようかなって思って」
「まあ、あんまり無理すんなよ。少しずつで大丈夫だって」
「はい! ありがとうございます!」
寺田さんを見送ってから、お店の準備に取り掛かる。
店で提供しているスイーツはすべて私の手作りだ。
スコーンやアメリカンクッキー、パウンドケーキなどの焼き菓子と、ケーキを一品作るようにしている。本格的なケーキは時間的な都合もあって、日替わりで一品と決めている。生クリームの甘い香りやしっとりと重たいスポンジケーキを焼くのも好きだし、フルーツを丁寧に下ごしらえしたタルトも、見た目にかわいくてワクワクする。
作るのが好きなので、本当はもっと種類を作りたいくらいだけれど。
食事は、イタリアンレストランで修業していたときに学んだものをメインに提供するので、パスタやピザ、リゾットが多い。こちらも、もう少しバリエーションを増やしたいけれど、無理は禁物。なるべく手広くしないように気を付けている。
「今日のランチは和風リゾット、日替わりの焼き菓子はイチジクのスコーンとレモンマフィン、おすすめのケーキはザッハトルテ、と……」
黒板のスタンドに白いチョークで今日のメニューを書いていく。
日替わり珈琲はマンデリン。
寺田さんが一緒に持って来てくれた、まだ硬いつぼみのシャクヤクを花瓶に活けて、ぎゅっと黒いエプロンを締める。
カフェのブラインドを開けて、朝の光を店内に取り込むと、小太郎が嬉しそうに尻尾を振った。
「さ、今日も元気にがんばろう!」
いつの間にか定位置に居座っていたマルが、返事をするように尻尾を揺らした。
*
「ありがとうございました!」
ランチの時間を終えて、お客さまを送り出す。時間は十四時。
今日は中々の入りだった。
「よかった、用意していたランチが全部出たよ」
私の声に、小太郎が嬉しそうにうろうろと周りを歩く。
わざわざ車で、町の役場の人たちがランチに来てくれたのだ。女性たちは焼き菓子までテイクアウトしてくれた。
お店を開いて約二か月、町の人たちにもレタルが少しずつ浸透してきたみたいだった。
「さて、第一回目の投稿を考えなくちゃね」
ランチ営業を終えると、お客さんはぱたりと来なくなる。カウンターで自分も食事を取りながら、昨夜、作ったばかりのカフェ・レタルのアカウントで、記念すべき一回目の投稿を考える。
実は昨日からずっと考えているのだけれど、なんだか勇気が出なくてまだなにも投稿できていない。
「やっぱりケーキから行こうかなぁ」
レタルを象徴する、記念すべき初投稿。
焼き菓子とケーキはこだわって作っているし、レストラン勤務時代も担当していたくらい好きで、得意だった。これから売りにしていくのなら、やっぱりケーキやお菓子にすべきかもしれない。
イサイアスさんも、おいしいと言ってくれたし。
「――もう、来ないのかな」
チーズケーキをおいしいと言ってくれた彼を思い出す。
午後のゆったりとした静かな時間、気持ちがあの夜へ戻る。
突然現れていなくなってしまった、美しい銀色の騎士。夢のような金色の魔法。
「おいしいお菓子と珈琲を用意しているのにね」
いつもの場所で寝ているマルへ声をかけると、ゆらりと尻尾を振って答えた。
――あの夜から五日が経った。
濃い霧に覆われたあの夜、不思議な時間を過ごした。
目の前にいたはずの彼が消えて、しばらく呆然としていたけれど、いつの間にか姿を現したマルが、ソファの上でこちらを見ていた。迷惑そうな顔をして、なにかの上に乗っているその足元を見ると。
それは、突然消えてしまった彼が残していった持ち物。重くて大きい、鈍く光る銀色の甲冑と兜、だった。
(いや、正直重いし、場所取るし。できれば早く取りに来てほしいんだけどな)
他人に見られてはまずい気がして、店の奥へ運び込んだ。土と血で汚れていたので丁寧に洗い、干してきれいにした。
鎖帷子とか、あんなに重いと思わなかった! あれで動いているのだから、騎士ってすごい体力だと思う。
(怪我は治ったかな。ちゃんと自分の家へ帰れたかな)
店の扉が開くたび、期待に胸が高鳴る。
けれど、あの美しい人が現れることはなかった。