「ごちそうさま、また来るわね!」
「はい、ありがとうございました! お気を付けてお帰りください」
昼間、ランチに来てくれた女性が知り合いと一緒に夜も来てくれた。
デザートがずいぶん気に入ったらしく、SNSはやっていないのかと質問されて、投稿はまだだけれど、すぐにフォローしてくれた。
ああ、ますます一回目の投稿のハードルが上がった気がする!
小太郎が信じられないほど愛敬を振りまいて、看板犬として立派に職務をこなしていた。偉い!
(そうだよね、やっぱりSNSで拡散して、お客さんを集めないとダメだよね)
分かってはいたけれど、祖母が亡くなってから気持ちに余裕がなかったし、お店の開店に必死だったこともあって、手を付けるのを後回しにしてしまったのだ。
(片付けを終えたら、すぐに写真を撮らなくちゃ)
そう思いながらいつものように黒板を片付けて看板の照明を落とし、店内の清掃をする。
お気に入りのプレイリストをかけながら、レトロな雰囲気のガラスのシェードを写真に撮ったり、窓辺のマルや、こちらを見上げて笑ったような顔をする小太郎を撮影したり。
始めようと思うと、いろんなものが新鮮に目に飛び込んできて、思ったより楽しかった。
気持ちが乗って、お気に入りのお皿にケーキを盛り付けて写真を撮る。
今日おすすめの、気合を入れて作ったザッハトルテは、お客さんにとても好評だった。チョコレートの艶が、夜のしっとりとした照明と雰囲気に合っていると思う。
(このケーキ、イサイアスさんも気に入りそうなんだけどな)
食事の後に出したチーズケーキを、彼は気に入っていた。さわやかな酸味がベリーソースと程よく溶け合って、とにかく珈琲と合ったらしい。
自分用に珈琲を落としながら、また頭の片隅にあの甲冑姿が蘇った。
「――ふ、ふふっ」
時間が経てば経つほど、なんだかおかしな出会いだったと思う。
甲冑姿って。怪しすぎる。
「魔法なんて、きっと誰も信じないね」
けれど、あの出会いは本当にあったこと。だって今もまだ、あの甲冑が奥にあるのだから。
「それにしても、せめてもっと、ささやかな痕跡だったらよかったのに」
あんなに大きくて重たいものを残していくなんて、なんだか情緒がない。
一人で思い出し笑いをしながら珈琲をカップに注ぎ、カウンターに腰掛ける。最後にひとつだけ残ったザッハトルテを前に、手を付けようか一瞬だけ迷った。
彼はきっと、アプリコットジャムを気に入るだろうな。
「――来ないなら、私が食べちゃうから」
フォークを手にしてそんなことを言うと。
背後でガチャリと、扉が開く音がした。
「「――えっ?」」
振り返り、目が合って、同時に声が上がった。
お店の扉を開けたまま固まったイサイアスさんは、大きく目を開いて私を見ている。そしてパッと後ろを振り返った。その背後に見えるのは、暗い森の闇と、街灯がひとつ。
またパッとこちらを振り返った彼は、驚いた表情からふわりと、嬉しそうに口元を緩めた。
「――あかり?」
「は、はい! えっと、こんばんは……?」
「ああ、こんばんは」
イサイアスさんはもう一度後ろを振り返り、そっと扉を閉めた。
おかしいな、私、さっき鍵を閉めたはずなのに。
そんなことを思いながら、胸のドキドキが止まらない。
本当に来た、――本当に会えた。
「ええと、いらっしゃいませ」
慌てて立ち上がって迎え入れると、彼は背筋を伸ばした。
「すまない、またこんな遅い時間に」
「いいえ。えっと、今日は甲冑じゃないんですね」
「はは、あんな重いもの、しょっちゅう着ないよ!」
彼はそう言っておかしそうに笑った。くしゃりと目元を細めて笑う姿は、なんだか無防備に見える。
今日の彼はいわゆる騎士服を着ている。映画とかテレビでしか見たことがない、白い騎士服は彼にとても似合っていた。金色のボタンや肩のヒラヒラ……なんて言うんだろう? とにかく、すごく似合っている。海外の映画に出てくる俳優のようだ。
「本当に、甲冑ってすごく重いですね。ちょっと運んだだけでも大変でしたもん」
じっと見つめてしまいそうになって、慌ててカウンターの中へ移動する。どうしても彼の容姿を観察してしまう。服装だけではなくて、スタイルもよくて、つい鑑賞するような気持ちになってしまうのだ。
「すまない、置いていってしまったね。気にしていたんだ」
「奥にありますよ。大事なものじゃないんですか?」
「うん、ないと困るけれど、なんとなく、またここに来ることができるんじゃないかって思ってたから、あまり心配していなかった」
「そ、そうですか」
のんびりと微笑みながら言う彼の言葉に、ドキドキした。こんなにきれいな人にそんな言葉を言われると、変な意味ではないと分かっていても恥ずかしいし、照れくさい。
さっき淹れたばかりの珈琲はまだ温かい。
カウンターの椅子へ腰掛けた彼の前にカップを置くと、また嬉しそうに笑顔になる。
「ああ、これが飲みたかったんだ」
カップを持ち上げて、すうっと香りを吸い込む。
「――前のものと香りが違うね」
「はい。私のお気に入りなんです」
「それは楽しみだ」
カップを傾けて口を付けたイサイアスさんは、そのまま静かに目を閉じた。
「ど、どうですか?」
あまりにもじっと動かないので、つい心配になってしまう。
「――うん、とてもおいしいよ。身体に沁み渡るみたいだ」
「ふふっ、そんなに?」
「そうだよ。本当に恋しかったんだ。今夜は特に飲みたくて仕方なかった」
「それは、だいぶお疲れなんですね」
「ああ、今日はちょっと厄介なことがあってね……。やっと帰宅できて、自分の部屋に到着したところだったんだけれど」
そこまで言って彼は首を傾げた。
「どうしてだろうな。前回は森に迷い込んで、洞窟へたどり着いたと思ったらここへ来ていた。今回は、自分の部屋の扉を開けただけなのに」
「ずいぶんとシチュエーションが違いますね」
共通点はなんだろう。森と家では全然違うけれど。
「うん……、でも、よかった。一日の終わりにこれを飲めるなんて、すごく幸せだよ」
「大げさですよ!」
おかしくて笑う私に、彼は「そんなことない」と笑う。
「あかりにも、また会いたいと思っていたんだ」
「え」
「あなたにちゃんとお礼がしたかったから」
「あっ、そ、そんなの気にしないでください!」
(び、びっくりした!)
この人は自分の発言を分かっているのだろうか。相手をドキドキさせる才能があるのかな?
お礼がしたいから、会いたかったってことだよね?
「本当にあかりのおかげで助かったからね。この恩はちゃんと返したい」
「なにもしていないので、本当に……。あ、お怪我はどうですか? もう大丈夫?」
彼は怪我をしていた左腕を、ガッツポーズのように曲げて見せた。
「うん、大丈夫だよ。消毒をしてもらったおかげで、あの後の治癒も時間がかからずすんだんだ。治癒師も、あかりの手当に感心していた」
「よかったです、本当に」
あんな深い傷だったのに、もう大丈夫なんて魔法ってすごい。
「ところであかり、これから食事だった?」
「え?」
「これ。とてもきれいに盛り付けてある」
そう言って、彼はカウンターのザッハトルテが乗ったお皿を示した。