寝返りを打とうとしたのが先か、身体が痛くて意識が戻ったのが先か。
いつものベッドとは違う感覚に、目を瞑ったまま覚醒した。
(あれ、昨日ってどうしたんだっけ……、今は何時かな)
今日は定休日のはず。
そう、買い出しに行くから、いつもの珈琲豆のお店へ連絡もした。
ああ、そろそろ起きないと……。
身体を動かそうとしたそのとき、お腹の上に温かい重みを感じた。
これはマルだ。珍しい、私にくっついて眠るなんて……。
嬉しくて、目を瞑りながらマルを撫でていると、小さく控えめにカチャリ、と扉の開く音が聞こえた。
「!?」
心臓が跳ねて、飛び起きる。マルがその動きに驚いて、私の上から飛び退いた。
(誰かいる!?)
「――すまない、起こしてしまった」
その、気を遣うように囁く声に、目が覚めたのに頭が回らなくて混乱した。
周囲を見渡せば、そこはよく知ったレタルの店内。なぜか私はソファで横になっている。
ソファの足元では小太郎がスースーと寝息を立てて眠っていて、私にはいつの間にか、昨夜イサイアスさんが羽織っていたガウン、に似ているものが掛けられていた。
イサイアスさんの、ガウン……?
「えっ!?」
驚いて顔を上げると、扉の前に立つ人物と目が合った。
少しだけ開いた店の扉から、ひんやりと早朝の空気が流れ込んでくる。その扉の取っ手に手をかけたまま、困ったようにこちらを見ている背の高い人物。
「イ、 サイアス、さん……?」
「うん、おはよう、あかり」
「おは、おはようございます……?」
「困ったね、朝になってしまったな」
そう言って彼は、そっと扉を閉めた。
「――どうしようかな。なぜか帰れないんだ」
そうして困ったような、嬉しいような。
そんな複雑な表情で、彼は小さく首を傾げた。
*
「どうしてでしょうか」
「ね」
とりあえず、先に洗面所を使ってから、交代でイサイアスさんを洗面所へ案内する。タオルと歯ブラシを興味深そうに見る彼に、一応着替えも手渡した。
「着替えはこれで……、ごめんなさい、上に着るものしかないんですけど、どうですか?」
白いTシャツを見た彼は、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「ありがとう、大丈夫だと思う……、ごめんね」
「そんな! 気にしないでください。私、朝食をご用意してますね。なにかあったら呼んでください」
「うん」
水道に感動している彼に使い方を教えて、カフェのキッチンへ戻る。
時計の針は、朝六時前を指していた。
*
「ああ、いい匂いがする。お腹空いたな」
朝食の支度をしている私の元へ、身支度を整えたイサイアスさんと小太郎がカフェへ戻ってきた。
「今、スープを用意しているので、ちょっと待ってくださいね」
「ありがとう」
真っ白なTシャツに着替えた彼に笑顔を向けられて、なんだか緊張する。
(イケメンの白Tまぶしい……っ!)
男性もののTシャツは私のもの。オーバーサイズの服が流行っていてよかった。
そのTシャツをジャストサイズで着ている彼のスタイルの良さが際立って、とにかく大変眼福だ。朝からまぶしい。
「あ、あの、ソファ席へ運びますから、座っていてください」
「私が運ぶよ。これでいいかな?」
「あ、はい!」
彼は楽しそうに、カウンターに並べていたトレーを持って、ソファ席へと運ぶ。その後を、尻尾を振った小太郎がちょろちょろとついて歩く。いつの間にそんなに仲良くなったんだろう。
スープも取りに来てくれた彼と一緒に、席へ移動して腰を下ろす。彼はトレーに載ったお皿を見て、嬉しそうに破顔した。
「とてもおいしそうだ!」
「簡単なものですけど、お野菜はご近所の農家さんからもらったものだから、新鮮でおいしいですよ」
「それもあるけどね、あかりの作ったものはいつも、見た目も美しくておいしいよ」
この、いつも妙に褒めてくれる彼の台詞に、ぜんぜん慣れない。ただのサンドイッチなんだけれど、彼の表情を見る限りお世辞だけではないのだろう、とは思う。
彼はシャクッといい音を立てて、レタスたっぷりのサンドイッチにかぶりついた。満足そうに、あっという間に平らげて、すぐに次のサンドイッチへと手を伸ばす。かぶりついているのに食べ方がきれいに見える不思議。
「この、少し柔らかい果肉はなんだろう」
「それはアボカドですね」
「あぼかど」
嬉しそうに呟いて、またかぶりついたイサイアスさんは、本当に幸せそうな笑顔になった。アボカドとスモークサーモンのサンドイッチは、異世界の方にも受け入れられたみたい。
(それにしても、なんでもおいしそうに食べてくれるなぁ)
見ていて気持ちいいくらい、食べ方もとてもきれいだし、なによりその表情。とても嬉しそうに、幸せそうに食べてくれる。作った人間として、気持ちいいのだ。
誰かと一緒に取る食事も久しぶりだし、私も朝からすごく幸せな気分。
「そうだ、せっかくなので外で珈琲を飲みませんか? お天気もいいし」
「いいね! ああ、外に出てみたいと思っていたんだ」
食べ終わった食器を片付けて、店の扉を開ける。振り向いてイサイアスさんを見たけれど、消えることなくそのまま外へ出てきた。
「うーん、普通に外へ出れましたね」
「そうだね。――ああ、ここは森の中だったんだね。美しいな」
彼は周囲を見渡して、前庭の花を見つめた。
「あかりが手入れをしているの?」
「はい、手入れと言っても、簡単なものしか植えてないし、放っておいても大丈夫な花が多いんです」
祖母が世話をしていた前庭はハーブや宿根草が多く、あまり手の込んだことはしていない。色とりどりの花が自然な姿で咲き誇るこの庭を、私は気に入っている。
「あ、物置からテーブルと椅子を持ってくるので待っていてください」
「手伝うよ」
「ありがとうございます」
店裏の物置へ向かい、鍵を開けて振り返ると、イサイアスさんが目を丸くして固まっていた。
「イサイアスさん?」
「あかり、これはなに?」
そう言って、物置の横に停めている赤い車を指さした。
「えっと、車です」
「くるま。馬車のことかな」
「それに近いです。でも馬はいなくて、ガソリンで動くんですけど」
「がそりん……。なるほど、魔法を動力として動かしているようなものかな」
彼は好奇心いっぱいの瞳で車の周りを歩いている。タイヤを触って首を傾げたり、車体にそっと触れてみたり。
「あとで買い物に出かけるんですけど、イサイアスさん、まだ帰れないようなら一緒に行きませんか?」
「え、これに乗れるのかい?」
パッとキラキラ輝く瞳がこちらを見た。
(なんか、かわいい)
乗り物に憧れる、小さな男の子みたい。
「ええ。少し距離があるので、これで移動して買い物をします。乗りたかったら、まだ帰っちゃ駄目ですよ」
「分かった、善処しよう」
「善処!」
その回答に笑いながら、私たちは物置からテーブルと椅子を運び出した。