「――本当に、気持ちがいい場所だね」
イサイアスさんのおかげであっという間に椅子とテーブルを運び出して、店先のウッドデッキに設置した。揺れる木漏れ日、さわやかな朝の空気がとても気持ちいい。
青い空には真っ白な雲がゆったりと流れている。
珈琲を淹れてウッドデッキへ戻ると、彼は背中を椅子へ預けて周囲を眺めながら、ゆったりとした手つきで小太郎の頭を撫でていた。
時折吹く風が彼の金色の髪をふわりと舞い上がらせ、日の光にキラキラと煌めく。
(イサイアスさんの、魔法の色みたい)
彼の長くきれいな指から紡がれる、金色の光の粒、細い糸。
キラキラと輝くそれは、無意識なのか、時々漏れるように彼の体からじわりと溢れた。
「お待たせしました」
「ああ、ありがとう。いろいろ気を遣わせてしまって申し訳ないな」
「いいんですよ、私もここで飲みたかったし」
グラスポッドとカップを載せたトレーをテーブルに置いて、目の前で珈琲を注ぐと、イサイアスさんは瞳を輝かせた。
「お代わりはご自由にどうぞ」
「ありがとう」
カップを持ち上げてすぅっと香りを吸い込み、感じ入るように目を閉じる。
「朝起きてこれが飲めるなんて……」
「ふふ、いつもは一日の終わりでしたもんね」
「うん。今日は一日の始まりに飲めるんだ。どんなに素晴らしい休暇よりも贅沢だよ」
外で飲む珈琲の香りにひとしきり感動した彼は、食事を終えてくつろいだ様子で庭へ視線を向けた。
「イサイアスさんのお仕事は、騎士、なんですか?」
「うん、近衛騎士をしているよ」
「それってお城で働いているってことですよね」
「そうだね。昼夜関係なく交代制で働くから、ほとんど城にある寮で生活しているんだ」
(お城って、寮があるんだ……)
話を聞きながら頭に思い浮かぶのは、映画やドラマで見たことのある西洋のお城や騎士たち、ヨーロッパの古い町並み。そこで生活している人たちがいるって、なんだか不思議だ。
「そういえば、一晩いなくなって大騒ぎになりませんか? お仕事の都合もあるでしょう?」
「ああ、それは大丈夫。戻るときには、扉を開けた瞬間の時間に帰ってるから」
「扉を開けた瞬間?」
「うん。こっちで何時間過ごしても、向こうではまったく時間が進んでいない。私の時間だけが進んでいるんだ」
それって、浦島太郎みたいなことだろうか。イサイアスさんの時間だけが、こっちで進んで、帰っているということ?
「じゃあ、あんまり長くいたら……イサイアスさんだけおじいちゃんになって帰る、みたいなことに?」
私の言葉に、彼はおかしそうに笑った。
「ふふっ、それは面白いね。そのくらい、ここであかりと一緒に過ごしてもいいってこと?」
「えっ、え、ええ? それは……もちろん?」
じっと私を見つめる青い瞳に、ふと自分の言葉を思い返して、固まる。
(――え、いや待って、また意味深だった? 待って、そんな意味じゃないのに!)
「えっ、ええと、イ、イサイアスさんが嫌じゃなければ、もちろん!」
「ふふ、ありがとう。嫌がられてないことが分かって嬉しいな」
(うわまた、そういうこと言う!)
彼の柔らかい笑みに恥ずかしくなって、ごまかすようにカップを口元に運んだ。
「ところで、今日はお店が休みだと言っていたね」
「はい、毎週火曜は定休日なんです」
「それでもこんなに早く起きているの?」
「癖がついていて、お休みだからって起きる時間は変わらないんです」
「ああ、分かるな。何時に寝ても、生活のスタイルは変わらないんだよね」
「そうそう、私の場合は寝る時間もあまり変わらなくて……、大体いつも同じ時間に寝ちゃうんです」
「そうか、じゃあ昨夜はやっぱり無理していたんだね」
「え?」
ふふっと優しく笑った彼は、椅子の背もたれから身体を起こして、テーブルに肘をついた。私の顔を覗き込むように近付いた距離に、心臓が跳ねる。
明るい朝の日差しの下で見るイサイアスさんのきれいな瞳。ただの青ではなくて、キラキラと朝日を浴びる湖面のように、複雑に煌めいている。
「昨日、手洗いを借りただろう? 戻ったら、カウンターで突っ伏して寝ていたから」
「――は……、えっ!?」
「コタローがね、私を呼びに来たから、なにかと思って急いで戻ったら、すっかり眠ってしまっていたよ。本当はもっと早く寝るはずだったんだろう? 突然訪問して、申し訳ないと思って」
「~~! まっ、なっ、す、すみません……!?」
それじゃあ私が今朝起きたときに、ソファで寝ていたのは……!
彼の言葉に段々状況が分かってきた。顔が熱い。
(ああ、やってしまった……!)
混乱し、顔が赤いであろう私に、イサイアスさんはまるで宥めるように優しく笑った。
「さすがに女性の部屋へ入るのはまずいと思って、ソファへ移したんだ。ごめんね、毛布の代わりになるものが見当たらなくて、私のガウンをかけたんだけれど、寒くなかったかな」
移した? 移したってなにを? 私を!?
「ほ、本当にご迷惑をお掛けして……!」
「迷惑を掛けているのは私だよ。疲れが取れなかったんじゃないかな」
「いいえ……! だだ大丈夫です!」
(恥ずかしすぎる!)
子供のころから、夜は電池が切れたように動かなくなる、と祖母に言われてきて、それは大人になってもあまり変わっていない。
意識していても、自分ではどうしようもなかった。どうしても突然、ぷつりと意識が途切れて、眠ってしまうのだ。
「このご恩はどうお返ししたら……」
「あはは! 大げさだなあ!」
私の言葉を聞いて彼は仰け反って笑った。
こんなふうに素顔を見せるような笑い方は初めて見た。
きっかけが私の電池切れというのが不本意だけれど!
「私があかりに感じている恩に比べれば、小麦の粒よりも小さいくらいだよ。もっと、私にあかりを助けさせてほしいな」
(ひいい、言い方……!)
どうしてこう、いちいち意味深に聞こえる言葉を選ぶのだろう。
騎士だから? 紳士なのかな?
「ほ、他の方法でお返しください……」
(じゃないと身が持たない!)
「うーん、じゃあ宝石とか?」
「いっ、いりません、もらえません!」
「ふふ、そう言うと思った」
彼は首を傾げて瞳をくるりと上へ向けた。ちょっとした仕草が、いちいち絵になる人だ。
両手で自分の頬を押さえると、熱くなっている。ああ、絶対に顔が真っ赤だ。
「それじゃあ、他の方法をあかりが考えてくれる?」
「わた、私が?」
「うん。私にたくさん、あかりにお返しができるように、なにをしてほしいか教えてほしい」
さわやかな風が吹く早朝のウッドデッキ。
木漏れ日を浴びて、湖面のようにきれいな青い瞳を輝かせ、金色の髪が光煌めく美しい人に、私はこれまでで一番難しいお願いを、されたのだった。