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第12話 騎士とドライブ


「落ち着きました?」

「――うん」


 背の高いイサイアスさんには、私の軽自動車はとても手狭だ。助手席で、長い脚を持て余して小さくなっている。

 彼は、ふーっと細く長く息を吐き出して、小さな声で「恥ずかしい」と呟いた。


 朝食を終えた私たちは、いざ買い出しへ、と車に乗り込んだ。期待と好奇心を全身で表すイサイアスさんに、こっそりとかわいい、という感想を抱いた。

 そして、いざ出発、とエンジンをかけた途端。

 エンジン音に驚いた彼が飛びあがり、頭をぶつけた。


「あっ、だ、大丈夫ですか!?」

「あかり、今の音はなんだ!?」

「エンジンです、エンジン……、えっと、動くときに出る音です」

「動くときに?」

「イサイアスさん、シートベルトをしましょう、これ……」

「この金具? 引っ張ると……、伸びた」

「そうです、そしてここにカチッて」

「あっ、戻った」

「手を離しちゃ駄目ですよ!」

「窓が開いた」

「そこ、今は押さないでください!」

「え? これは?」

「あっ、それは……!」

「わっ!」


 こうして、出発までに随分と時間がかかってしまったのだ。


「――ふ、ふふ……」

「あかり……、笑わないで」

「す、すみませ……、かわいくて、つい」

「かわいい……」


 横目でちらりと見るイサイアスさんは、頬を少しだけ赤く染めて恥ずかしそうにしている。その手はしっかり、シートベルトを掴んでいる。かわいい。


「本当に、想像とは全く違うものだったから」

「ふふっ、それは分かります!」


 恥ずかしそうにしている彼をかわいいなんて、少し意地悪だっただろうか。でも、車が走り出してからの彼のキラキラした表情は、本当に男の子って感じでかわいかったのだ。

 お店から目的地まではほぼ一本道で、なにもない。ときどき遠くに民家が見えて、牛や馬の姿があるくらい。それでもイサイアスさんは興味深そうに、ずっと外を見つめていた。

 途中すれ違った軽トラックには、目を丸くしていたけれど。


「あかりがこれを操れることもすごいね」

「ここはなにもないので、車がないと生活が大変なんです」

「馬車のような振動も少ないし、なにより早い。自分で馬を走らせているみたいだ」


 ずっと感心している彼は、さっき開けてしまった窓から吹き込む風を気持ちよさそうに受けている。目を細める姿が、窓を開けたときの小太郎と一緒だ、なんて言ってしまったら、また恥ずかしがるかもしれないから、言わない。


「小太郎にお土産を買ってあげなくちゃ、怒られちゃいますね」

「私が乗ってしまったために、コタローには悪いことをしたなぁ」

「帰ったら、たっぷり遊んであげてください」

「うん、喜んで」


 いつもは連れて行く小太郎を、今日はお留守番にした。あの暴れっぷりと、最後のしょぼんと寂しそうにしていた姿を思い出し、ちょっとかわいそうだったなと二人で笑い合う。

 でも仕方ない、買い出しの荷物で後部座席はいっぱいになるし、小太郎の体では手狭になってしまう。


「あかりはいつも、コタローと一緒に買い物へ出かけるの?」

「はい。どこへ行くにも大体一緒です」

「誰か、手伝ってくれる人は? 親しい人とか……恋人とか」


 イサイアスさんの言葉に、思わず驚いて横を見た。彼は外を見たままだ。


「そんな相手はいないですよ。カフェを開くのが夢だったので、毎日夢中だったし、そんな暇がなかったというか」

「本当に?」

「どうしてです?」

「いや……、服が」

「服?」


 彼は自分が着ているTシャツを指して私を見た。


「これ、ずいぶん大きいから男性用なのかなって。恋人がいるあなたが、私のせいで勘違いされたらどうしようかと思ったんだ」

「え、あ……!」

(オーバーサイズデザインがあらぬ誤解を招いている!?)


 慌ててそれは自分のだと説明をすると、彼は少しだけホッとしたように息を吐いた。


「そうか、あまり込み入ったことを聞くのも申し訳ないと思って……、よかった。あかりに迷惑は掛けていない?」

「も、もちろんです! そんなこと、全然気にする必要ありません!」

(恋人がいないことを必死に伝えるのもなんだか残念だけれど!)


 少しだけ情けない気持ちになりながら誤解を解けたことに安心していると、彼はまた声のトーンを落とした。


「それならなおさら、女性が一人で暮らすことの不安はない?」


 彼の言葉に首を傾げながら、お店を開こうと決意したときを思い出す。本音を言えば不安、は常にある。けれどそれ以上に毎日が充実している。

 今の暮らしが自分に合っていると思っている。


「――ない、わけではないんですけど。昔は私もここで暮らしていたので、周囲には知り合いが多いし、助けを求めやすいというのもあって、そこまで不安になることはないです」


 子供のころ、事故で亡くなった両親に代わり、幼い私を引き取って育ててくれた祖母。この小さな町で、私と祖母は二人で暮らしていた。

 あちこちに残る祖母との思い出は、時々私を過去へと引き戻す。


「祖母が亡くなって、あのお店を売ろうとも思ったんですけど。ちょうど仕事で体調が悪くなったこともあって、それを機に退職してここへ戻ったんです」


 一人きりで暮らし、亡くなった祖母。

 最後に会ったのは、いつだろう。


「祖母が一人で暮らしていたここで、私も一からやり直してみたいなって。一人きりで、私はどう生きて行ったらいいか、考えたかったんです」

「――まだ若いのに偉いね」

「あは、そんなことないんですよ。年齢なんて関係ないです。確かに、まだ二十一なのにってよく言われるけど」

「そのくらいの年齢なら、雇用される立場の人が多いんじゃないかな。自分の足で立っているなんて、凄いと思うよ」

「ぜんぜん凄くないです。いろんな人に助けられていて、なんとか過ごせているだけで。イサイアスさんこそ若いのに、部下もいる立場だし」

「私は二十六歳だから順当だと思うよ。上に上がれるように努力もしてる。――自分の人生だからね、どう生きるかは自分で決めなければ」

「――はい、それはすごく分かります」


『――自分の人生を自分で決めることの、なにがダメなの!?』


 祖母と最後に話したのは、なんだっけ。

 いつも思い出すのは、家を飛び出したあの日の会話。

 あの日の、祖母の怒り。


「今のお店は、あかりが自分で手を入れたの?」

「はい、難しいところは近所のおじさんに手伝ってもらうこともあったんですけど、基本的には一人で。特に期日もなかったから、ゆっくりのんびり進めたんです」

「すごいね、やっぱりあかりは多才だ」

「あは、昔からモノ作りが好きなだけですよ」

「だとしても。実行に移す力を持っているのは素晴らしいことだよ」

「うーん、そうなのかな」


 始めたからにはやり遂げる。

 前に進むしか、できなかっただけだ。

 迷ったり後悔したり、失敗したり。そんなことは許されなかった。そんな姿を祖母に見せるわけにはいかなかった。


「――もう遅いんですけど、祖母に私ができることを見せたかったんです」


 私が選んだ道は、まだゴールを迎えていない。この先を素晴らしく生きていくために、今を頑張っているのだと、示したかった。


「うん……、それは私も分かるよ」

「え」


 はっと我に返ってイサイアスさんをちらりと見る。彼はじっと私を見つめていた。


「あ、ごめんなさい、こんな話!」

(運転してると、つい話し過ぎちゃうのよね)


 慌てて前を向く。気が付けば、もうすぐ一か所目の目的地だ。


「あかりが優しいのは、祖母殿の影響かな」

「あは、どうでしょう。祖母はとても厳しくて、怖い人でしたから」

「それならなおさら、厳しくされることの辛さを知っているから、他人に優しくできるんだよ」

「そ……、なんでしょうか」


 ふいに、視界が揺らいだ。パチパチと瞬きをしてなんとかごまかす。

 彼の優しい声と言葉に、蓋をしている気持ちが溢れそうになって背筋を伸ばす。ダメダメ、運転に集中!


「あ、到着しました! 珈琲豆のお店です」

「ここが、こーひーの豆を売っているお店……」


 イサイアスさんの感激したような声が聞こえる。

 私たちがまず到着したのは、いつも珈琲豆を仕入れているお店だった。


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