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第13話 騎士と精霊の気まぐれ

「こんにちは~」


 木の扉を押して中へ足を踏み入れた途端、芳醇な珈琲の香りに包まれる。背後でイサイアスさんが小さく感動している気配を感じた。


「あかりちゃん、いらっしゃい! 用意できてるよ」

「クマさん、いつもありがとうございます」

「こちらこそ、いつもごひいきに! ――と、あれ、今日は友達と一緒?」


 元気に出迎えてくれた自家焙煎専門店の店主、クマさんが、私の後ろに立つイサイアスさんを見て目を丸くした。

 大きな身体に真っ黒なひげのクマさんは、強面だけれど、話せばとても優しくて穏やかな人だ。

 黒嶋さんという名前だけれど、誰も呼んでいないと思う。

 お店で出しているレタル・ブレンドは、クマさんと協力して作ったもの。いつも休みの日は、事前に焙煎をお願いして、こうして買いに来ている。


「あ、知り合いです。私が以前働いていたお店の関係で……、えっと、イサイアスさんです」


 クマさんは愛想よく笑って……いるつもりだろうけれど、ひげでよく分からない。けれど、優しげな目元に笑い皺を寄せて、イサイアスさんに向けて手を上げた。


「イサイアスさん、こんにちは! 言葉通じる?」

「あ、大丈夫ですよ。――イサイアスさん、こちら、いつもお店で出している珈琲をお願いしているクマさんです」


 振り返ってクマさんを紹介すると、イサイアスさんは目を丸くして私を見た。


「――彼が話しているのは、あかりの国の言葉?」

「え?」


 イサイアスさんの言葉に首をかしげると、クマさんが「おぉっ!」と、感動の声を上げた。


「あかりちゃんすごい、英語じゃないのにペラペラなんだね! 彼はどこの国から来たの?」

「え?」

「あかり」


 まるい目をする二人を交互に見る私に、イサイアスさんが背中を丸めて耳元でそっと囁いた。


「彼の言葉がまったく分からない」

(――え?)


 クマさんも、イサイアスさんの言葉を聞いて不思議そうに首をかしげる。


「全然、見当もつかないな。ラテン語? いや、違うな……なんだろうなぁ」


 イサイアスさんはこんなに淀みなく日本語を話して、私の言葉も理解しているのに、クマさんの言葉が聞き取れない?

 クマさんも、イサイアスさんの言葉が分からない……?


「ど、どういうことでしょう、クマさんもイサイアスさんの言葉が分かってないみたい」

「うん、今この場で両方の言葉を理解しているのは、あかりだけだね」


 それはどういうこと?


「えー、あかりちゃん、料理だけでなく語学にも精通してたとは!」

「え、いや」

「それってどこの国の言葉だろう、オレ、全然分かんないわ」

「あ、えへ……」

「あーでも、彼の顔つきから北欧とかなのかな。すごいイケメンだもんなぁ!」


 笑ってごまかしている私に、クマさんはそれ以上聞いてくることはなく、用意していた珈琲を手際よく計量して袋に詰めてくれた。

 クマさんの反応から、どうやら私がイサイアスさんと話すときは、知らない言葉を話しているように聞こえるらしい。


(どういうこと? 私は普通に話しているだけなのに)


 これもイサイアスさんの魔法だろうか。

 ちらりと彼に視線を向けても、店内を興味深そうに見て回っていて、状況に驚いている様子はない。


(これも、精霊の気まぐれなのかな)


 この世のいろんなことすべてを、精霊の気まぐれだと思ってしまえば特にどうってことない出来事、なのかもしれない。

 イサイアスさんに店の隅に置かれた自家焙煎機について質問されて、私もそれ以上は考えるのをやめた。


 *


 クマさんのお店で珈琲豆を仕入れた後は、街まで移動して食材や生活雑貨の買い出しをした。


「――すごい、クルマがいっぱいだ」


 イアイアスさんは窓からずっと外を眺めている。

 いっぱいとは言っても、田舎なのでたかが知れている。けれど、彼は私の車とすれ違った軽トラしか見ていないので、確かに多く感じるかもしれない。


「イサイアスさん、あの、言葉のことなんですけど」


 スーパーでひとしきり興奮した彼をなんとか宥めて、車に乗り込んで次へ向かう。イサイアスさんはスーパーで買ったペットボトルの水に感動していた。


「うん?」

「私だけイサイアスさんの言葉を聞き取れるのは、やっぱり精霊の気まぐれのせいですか?」


 スーパーでも、彼の言葉を聞き取れている人はいなかった。

 偶然居合わせたお店のお客さんが、彼の質問に答える私の言葉を聞いて「知らない言葉を話してる!」と、クマさんと同じような反応をされたのだ。


「そうだね……、少し違うかもしれない」

「え、違うんですか? じゃあ、イサイアスさんの魔法?」

「いや、こんな複雑な魔法は私には使えないよ。でも、魔力は影響しているかもしれないな」


 そう言って、自分の指先を擦り合わせる。

 そこから、金色の粒がじわりと滲んで光った。彼が見せてくれるいろんな形を作る光は、ときどき身体や髪の毛、指先から滲むように光っていて、とてもきれいだ。


「魔力って、その光ですか? ほかの人に見られないか、ちょっとドキドキしてました」


 まだ明るい時間だから、そんなに目立たないかもしれない。でも、イサイアスさんはとても目立つから、見惚れた人がふとした瞬間に気が付くのでは、と気になっていた。


「――あかり、魔力が見えるの?」

「え?」

「これが見える?」


 イサイアスさんは広げた手のひらを私に掲げた。ちらりと視線を向ければ、やっぱり滲むように不規則に光っている。


「見えますよ。え? 見えます、けど」


 やだ、まさか。


「これ、普通の人には見えないんだよ」

「ふ、普通の人って?」

「魔力が普通の人。よほどの高位魔術者か本人の魔力が高くなければ見えないんだ」


 私、絶対普通の人ですけど!

 けれど、イサイアスさんの世界の言葉も話せるし、魔力も見える。精霊の気まぐれではないかもしれない。

 じゃあ、なに?


「も、もしかして、私にもすごい魔力があるとか?」

「それはないなぁ」

「即答!」

(ないのか……!)


 私にもあのキラキラした魔法が出せるのかと思ったのに。


「じゃあどうして……」

「うん……、ちょっと、そのことについては私も考えていてね」


 イサイアスさんは考え込むように視線を手元のペットボトルに落とした。


「戻ったら魔法に詳しい人物に聞いてみるよ。さすがに、異世界を行ったり来たりする意味も考えなければと思ってね」

「意味……」


 精霊の気まぐれではないのなら、どうしてイサイアスさんはここに来るようになったのか。

 その意味、ということ?


「私がこーひーと出会った大切な出来事でもあるからね。知っておく必要があると思うんだ」


 彼は笑って、車内に広がる珈琲の香りを吸い込んだ。


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