「こんなふうに誰かとお昼を一緒に食べるなんて、凄く久しぶりで楽しいです」
いつもは小太郎とマルと、静かに食事をする。
賑やかに笑いながら食事をするなんて、いつ以来だろう。
から揚げをフォークで食べていたイサイアスさんは、私の言葉にふと手を止めた。
「あかりは、いつから一人で暮らしてるの?」
「えーと……、そうですね、高校を卒業した後、調理師専門学校に進んだんです。ここから通える場所ではないので、その機会に家を出て、それからずっと」
「調理師専門学校って、料理人になるための学校?」
「はい。祖父母がここでずっとお店を開いていて、なんとなく料理人に憧れていたんです。小さなころは、料理を出すと祖母が喜んでくれて、それが嬉しかったから」
幼いころからぼんやりと憧れていた料理人。
いつからか、自分の店を開きたいと思うようになり、進路選択の際に迷わず選んだ。
そしてそれは、ものすごく祖母に反対された。
「でも祖母は、私に進学を勧めたんです。もっと勉強して、いいところに就職しろって。所詮料理人なんて、大したお金にならない、苦労するからって」
安定した職、収入のいい仕事。専門学校卒なんて、社会に出たら舐められる。
そんなことばかり言う祖母に、あのころの私は反発していた。
『――おじいちゃんが苦労したのを、アンタは知らないから』
料理人だった祖父は、父が小さなころに早逝した。私は会ったことがない。
祖母は一人で幼い父を抱えて、祖父が開いたこの店を必死に守ってきた。
「甘いって言われました。それに反発しちゃったのもあるんですよね。意地になったというか」
『苦労も知らずに、そんな甘い考えで生きていけるはずがないでしょう』
毎日のように、進路について詰るように説得された。
普段から言い方のきつい、怒っているような話し方の人だったから、それはもはや説得ではなく、言葉の暴力のようだった。
卒業後はどうするのか、どんな店で働くつもりか、そこがきつい仕事だったら続くのか、給料が安かったらどうやって生きていくのか。
まだ決まってもいない未来の「もしも」の話で責められ、それでもなんとか説得したくて、就職率や就職先実績のデータを見せても「あてにならない」、「考えが甘い」ばかりで聞く耳を持たない。
祖母と言い合うことに段々疲弊してきて、専門学校の道を諦めようかと思い始めたころ。
『おじいちゃんやお父さんのように、あんなふうになってはダメよ』
その言葉を聞いて、私の中で何かが切れた。
幼いころの記憶しかない両親は、記憶の中では幸せそうだ。いつも笑顔だった父はときどき、私に祖父がどんな人だったか話してくれた。
祖母のことが大好きで、大切にしていた。裕福ではなかったけれど、お店を開くことで常に祖母のそばにいて、守っていたんだ、と。
だからこそ、祖母の「あんなふう」という言い方に、どうしようもない怒りを感じた。大切な思い出ごとすべて、私という人間を否定された気がした。
『おばあちゃんは今の専門学校の仕組みやその先を知らないからそんなこと言うだけだよ! 私がなにを言っても結局、全部否定するんでしょう!?』
『ほかの選択肢を知りもしないで、一つにしか決めないあなたに問題があると言っているの』
『やりたいことについて調べて、学校で先生ともたくさん話し合ったよ!』
『ではその先生に洗脳されているのよ。あなたに大学を選択しないように誘導しているんだわ』
『なに言ってるの……!?』
埒が明かない会話と、決めつけて端からこちらの言い分を聞かない祖母。
私のストレスは、もう限界だった。
『カイも大学へ行かせたかったわ。でもお金がなくて、あの子は自ら進学を諦めた。あの子の残したお金があるんだから、あなたはそのお金で大学へ行きなさい』
『そんな話をしてるんじゃない!』
お父さんはそうだったかもしれない。けれどそれは、お父さんの選んだ道だ。
私の道じゃない。
『自分の人生を自分で決めることの、なにがダメなの!?』
『後悔してほしくないだけよ』
『それはおばあちゃんの後悔だよ! おばあちゃんの後悔を私に背負わせないで!』
そして、その日のうちに飛び出すように家を出た。友達の家に泊めてもらい、しばらく帰らなかった。
会いたくなかった。顔も見たくない。
祖母のことを考えただけで具合が悪くなるくらい、祖母とのやり取りは私にとって辛かった。食べられず、吐くこともあって、ストレスを超えてトラウマのようになっていた。
けれど、いつまでもそんなことが続くはずもなく。
私を心配した先生に説得されて家へ帰ったのは、ひと月後。
祖母は私が帰っても顔色ひとつ変えなかった。
『私、専門学校に行くから。春から一人で暮らす』
お店のキッチンで仕込みをしている祖母の背中にそう言って、その後に続く言葉を聞きたくなくて、すぐに自室へ逃げ込んだ。
なにが悲しいのか分からなかったけれど、涙が止まらなかった。ベッドに突っ伏して、一晩中泣いた。
それからずっと、祖母とはほとんど口を利くことなく、卒業した翌日、私は家を飛び出すようにこの家を去った。
「――祖母は専門学校の入学金や授業料も支払ってくれたし、私の口座に生活費用も入れてくれました。だから、専門学校へ行っている間も生活ができて、卒業できたんですけど」
けれどそのまま、祖母とは関係を修復できなかった。
「今思えば、祖母の心配も分かるんです。女手一つで父と、そして私を守ってきた祖母は、きっと一人で生きていくことの厳しさを知っていたから。でも、もしあのころの私が理解していたとしても、諦めなかったと思いますけどね」
そこまで話して、ふっと思考が現実に戻った。目の前に食べかけのグリーンカレーが飛び込んできて、パッと顔を上げる。
イサイアスさんが、手を止めたままじっと私を見つめていた。
「――あ、ごめんなさい、なんか、そんなことがあったなって、思い出しちゃって。から揚げ冷めちゃったかな、温め直しましょうか」
余計なことを話してしまったかもしれない。こんなことを聞かされても、イサイアスさんだって困ってしまう。
慌てて立ち上がろうとする私に、彼は優しくほほえんだ。
「あかりは、祖母殿に応援してほしかったんだね」
「え?」
「祖母殿は、自分の不安ばかりが先行して、大切なあかりのことを見失ってしまったのかもしれない」
『――おばあちゃん、そとになにかいる?』
『まだ起きていたの? なにもいないわ。眠れないの?』
『うん……』
『さぁ、おいで。大丈夫、なにもいないから安心して眠りなさい』
夜の闇が怖くて一人で眠れなかった幼いころ。
祖母と二人で暮らし始めた当初は、いつも夜は祖母に抱っこしてもらった。
『大丈夫、大丈夫。安心して眠りなさい』
祖母の「大丈夫」という言葉と、優しい子守唄。
あのメロディを、今もなんとなく覚えている。
「そ、ですね……。ただ、応援してほしかっただけなんですよね」
私の道を応援してほしかった。
失敗しても大丈夫だと、何度でもやり直せると言ってほしかった。
『――大丈夫、大丈夫』
抱きかかえた私の背中を撫でながら、祖母のあの優しい歌と言葉を、また聞きたかっただけだった。