「なにか身元が分かるようなものは持っていたか?」
「いいえ、なにもないわね」
騎士たちに連れられて到着したのは、大きな建物の一室。
椅子とテーブルだけの狭い部屋に入れられて大人しく待っていると、やがて女性が一人やって来た。
白衣を着たその人は、どうやら医師か看護師らしく、私の脈を取ったり瞼を捲ったり、健康チェックを一通りした。
そして、ずぶ濡れの私に毛布を貸してくれた。
「家出、かもしれないけれど、健康状態もいいし薬物をやっている様子もないわ」
「商売は」
「この子がそんなふうに見える?」
女性は呆れた様子で騎士を見上げた。
「いい生活をしているはずよ。服装は使用人のようだけれど、質がいい。顔立ちも少し不思議よね」
「移民か?」
「その割には言葉がスムーズだわ。――あなた、ここに必要事項を書いてちょうだい」
女性はテーブルにペンと紙を置いた。
それはいわゆる個人情報を書くようなもので、氏名や住所、連絡先の項目がある。
(読める、けど、書けるかな)
なぜか私にはすべて日本語に見える。これも、言葉と同じで私の中で、変換されているのだろうか。
「――話せても、字は読めないか?」
騎士の威圧的な言葉に、慌ててペンを取る。書いてみて、彼らに読めなければそれだけのことだ。
上から順番に項目を埋めていく。
寒さのせいか、それとも動揺のせいか。
手が震えてうまく字が書けない。
「――アカリ・シラハセ? 変わった名前ね」
「なんだこの住所は。適当に書いているな。やはり家出か。――二十一歳?」
書き終えた紙を手に取って、中を検める騎士が怪訝な顔をする。住所は実際のものを書いただけだし、生年月日も正直に書いた。
適当に書いてなんかいないけれど、たぶん信じてもらえない。
「アカリ、どうして一人であんな場所にいたの?」
向かいに座る女性は首をかしげて私を見た。
分かりません、と正直に言っていいものか迷う。だって、本当に説明できないのだから。
「やはり信用おけないな。年齢も偽っている。捜索願と照らし合わせよう」
「なにも偽っていません」
「誰かに無理やり連れてこられた?」
「分かりません……、気が付いたらあそこにいて」
「人身売買の被害者か」
「違います」
「ならやはり商売をしていたな」
なんだか大ごとになっている。それにこの騎士は、頭から決めつけていて私の言い分を聞いてくれない。
(どうしよう……)
身分を証明できるものなんて持っていないし、説明しても信じてもらえるわけがない。
(マル……)
一人で飛び出て行ったマルが気になって仕方ない。
この雨の中、どうしているだろう、一人で心細くしているに違いない。マルはもう、逞しく生きていける年齢でもないのに。
「あの、逃げたりしないのでマルを……、猫を探しに行かせてください」
「猫?」
「許可するはずがないだろう。どうしてもというなら正直に話せ」
「ちょっと、女の子なのよ。そうやって頭ごなしに詰問するの止めなさいよ」
女性はまた振り返って背後の騎士を睨み付けた。
腕を組んで立っている騎士はフン、と鼻を鳴らして私を見る。
「身寄りもなく住所も年齢も偽っている者の、なにを信じろと言うんだ」
「疑わしきは罰せずよ」
「それはお前の信念だ。俺は違う」
騎士は、頑なに女性の言葉を聞き入れようとしない。女性だからと侮っている部分もあるのかもしれない。
(きっと上司や先輩の言葉くらいしか聞き入れないんだろうな)
そこまで考えて、ふと、イサイアスさんを思い出した。
(――そうだ、彼は確か部下がいる立場の人だった)
もしかしたら、彼の名前を出したら同じ騎士として分かってくれるかもしれない。
(ええと、名字はなんだっけ……)
難しくてよく覚えていない。いつもイサイアスさんと呼んでいるし、カタカナの名前で馴染みがない。
けれど、この人よりも上の立場であれば、名前を出すだけで分かるかもしれない。
「――イサイアスさんに確認してください」
「「――は?」」
イサイアスさんの名前を出した途端、二人が動きを止めた。
「イサイアスさんに、あかりがいる、と伝えてください。そうしたら分かるから」
向かいに座る女性は驚いた顔で私を見る。
一瞬の間を置いて、騎士は大声で笑いだした。
「はははっ! なんだ、そういうことか! 大層手の込んだやり口だ!」
「え?」
なぜかおかしそうに笑う騎士に戸惑う。なにがおかしいのだろう。
手が込んでいるって、なに?
「いやあの方も、まさかこんな手段で女性に呼ばれるとは思わんだろうな。とんでもない色男ぶりだ!」
「――あなた、どこかのご令嬢なの?」
お腹を抱えて笑う騎士と、怪訝な顔つきになった女性が私を見つめる。
「ご、ご令嬢?」
「相手にされないからって、こんなことまでするなんて」
呆れた様子でため息を吐いて、女性は立ち上がった。
「あの、待ってください! 本当に、イサイアスさんに伝えてくれたらそれでいいんです!」
「あのなぁ、お嬢さん。高貴な方に軽々しく会えるはずがないだろう。身を弁えろ」
(高貴な方?)
どういうことだろう。イサイアスさんは、身分が高い人ってこと?
「先月のパレードで姿を見た街の女性たちが、ずいぶん熱狂的に閣下へ黄色い声を上げていたけれど、あなたもそのうちの一人ってことね」
女性は呆れたを通り越して嫌悪感を滲ませている。
閣下? それってイサイアスさんのこと?
「いやぁ、新しい手だ。あらゆる手段を使う女性たちを見てきたが、はは、お前が一番面白いな」
騎士の言葉に、女性も同意をするように肩を竦めた。私の書いた調書を畳んで、白衣のポケットにしまう。
「こんなことをしてまで騎士団に入り込むなんて、呆れたわ。くだらないことでこちらの手を煩わせないでちょうだい」
「ま、待ってください、本当に……」
「あの方にお会いしたかったんだろうが、閣下はこんな詰め所にいる人ではない。どうあがいても、お前の入り込めない場所にいる方だ」
まだおかしそうに笑う騎士と、急に不機嫌になった女性は、立ち上がって部屋を後にしようとする。
「あの、待って! 本当に……」
「追い出すには今夜はもう遅い。ここで一晩過ごして反省して、明日の朝には帰るんだな」
「会えなくてもいいんです、名前だけでも伝えてください!」
「ははっ、残念だがな、我々の伝言なんて届かない地位の人だよ」
彼らは私に背中を向けて、狭い部屋を後にした。