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第2話 高貴な人


「なにか身元が分かるようなものは持っていたか?」

「いいえ、なにもないわね」


 騎士たちに連れられて到着したのは、大きな建物の一室。

 椅子とテーブルだけの狭い部屋に入れられて大人しく待っていると、やがて女性が一人やって来た。

 白衣を着たその人は、どうやら医師か看護師らしく、私の脈を取ったり瞼を捲ったり、健康チェックを一通りした。

 そして、ずぶ濡れの私に毛布を貸してくれた。


「家出、かもしれないけれど、健康状態もいいし薬物をやっている様子もないわ」

「商売は」

「この子がそんなふうに見える?」


 女性は呆れた様子で騎士を見上げた。


「いい生活をしているはずよ。服装は使用人のようだけれど、質がいい。顔立ちも少し不思議よね」

「移民か?」

「その割には言葉がスムーズだわ。――あなた、ここに必要事項を書いてちょうだい」


 女性はテーブルにペンと紙を置いた。

 それはいわゆる個人情報を書くようなもので、氏名や住所、連絡先の項目がある。


(読める、けど、書けるかな)


 なぜか私にはすべて日本語に見える。これも、言葉と同じで私の中で、変換されているのだろうか。


「――話せても、字は読めないか?」


 騎士の威圧的な言葉に、慌ててペンを取る。書いてみて、彼らに読めなければそれだけのことだ。

 上から順番に項目を埋めていく。

 寒さのせいか、それとも動揺のせいか。

 手が震えてうまく字が書けない。


「――アカリ・シラハセ? 変わった名前ね」

「なんだこの住所は。適当に書いているな。やはり家出か。――二十一歳?」


 書き終えた紙を手に取って、中を検める騎士が怪訝な顔をする。住所は実際のものを書いただけだし、生年月日も正直に書いた。

 適当に書いてなんかいないけれど、たぶん信じてもらえない。


「アカリ、どうして一人であんな場所にいたの?」


 向かいに座る女性は首をかしげて私を見た。

 分かりません、と正直に言っていいものか迷う。だって、本当に説明できないのだから。


「やはり信用おけないな。年齢も偽っている。捜索願と照らし合わせよう」

「なにも偽っていません」

「誰かに無理やり連れてこられた?」

「分かりません……、気が付いたらあそこにいて」

「人身売買の被害者か」

「違います」

「ならやはり商売をしていたな」


 なんだか大ごとになっている。それにこの騎士は、頭から決めつけていて私の言い分を聞いてくれない。


(どうしよう……)


 身分を証明できるものなんて持っていないし、説明しても信じてもらえるわけがない。


(マル……)


 一人で飛び出て行ったマルが気になって仕方ない。

 この雨の中、どうしているだろう、一人で心細くしているに違いない。マルはもう、逞しく生きていける年齢でもないのに。


「あの、逃げたりしないのでマルを……、猫を探しに行かせてください」

「猫?」

「許可するはずがないだろう。どうしてもというなら正直に話せ」

「ちょっと、女の子なのよ。そうやって頭ごなしに詰問するの止めなさいよ」


 女性はまた振り返って背後の騎士を睨み付けた。

 腕を組んで立っている騎士はフン、と鼻を鳴らして私を見る。


「身寄りもなく住所も年齢も偽っている者の、なにを信じろと言うんだ」

「疑わしきは罰せずよ」

「それはお前の信念だ。俺は違う」


 騎士は、頑なに女性の言葉を聞き入れようとしない。女性だからと侮っている部分もあるのかもしれない。


(きっと上司や先輩の言葉くらいしか聞き入れないんだろうな)


 そこまで考えて、ふと、イサイアスさんを思い出した。


(――そうだ、彼は確か部下がいる立場の人だった)


 もしかしたら、彼の名前を出したら同じ騎士として分かってくれるかもしれない。


(ええと、名字はなんだっけ……)


 難しくてよく覚えていない。いつもイサイアスさんと呼んでいるし、カタカナの名前で馴染みがない。

 けれど、この人よりも上の立場であれば、名前を出すだけで分かるかもしれない。


「――イサイアスさんに確認してください」

「「――は?」」


 イサイアスさんの名前を出した途端、二人が動きを止めた。


「イサイアスさんに、あかりがいる、と伝えてください。そうしたら分かるから」


 向かいに座る女性は驚いた顔で私を見る。

 一瞬の間を置いて、騎士は大声で笑いだした。


「はははっ! なんだ、そういうことか! 大層手の込んだやり口だ!」

「え?」


 なぜかおかしそうに笑う騎士に戸惑う。なにがおかしいのだろう。

 手が込んでいるって、なに?


「いやあの方も、まさかこんな手段で女性に呼ばれるとは思わんだろうな。とんでもない色男ぶりだ!」

「――あなた、どこかのご令嬢なの?」


 お腹を抱えて笑う騎士と、怪訝な顔つきになった女性が私を見つめる。


「ご、ご令嬢?」

「相手にされないからって、こんなことまでするなんて」


 呆れた様子でため息を吐いて、女性は立ち上がった。


「あの、待ってください! 本当に、イサイアスさんに伝えてくれたらそれでいいんです!」

「あのなぁ、お嬢さん。高貴な方に軽々しく会えるはずがないだろう。身を弁えろ」

(高貴な方?)


 どういうことだろう。イサイアスさんは、身分が高い人ってこと?


「先月のパレードで姿を見た街の女性たちが、ずいぶん熱狂的に閣下へ黄色い声を上げていたけれど、あなたもそのうちの一人ってことね」


 女性は呆れたを通り越して嫌悪感を滲ませている。

 閣下? それってイサイアスさんのこと?


「いやぁ、新しい手だ。あらゆる手段を使う女性たちを見てきたが、はは、お前が一番面白いな」


 騎士の言葉に、女性も同意をするように肩を竦めた。私の書いた調書を畳んで、白衣のポケットにしまう。


「こんなことをしてまで騎士団に入り込むなんて、呆れたわ。くだらないことでこちらの手を煩わせないでちょうだい」

「ま、待ってください、本当に……」

「あの方にお会いしたかったんだろうが、閣下はこんな詰め所にいる人ではない。どうあがいても、お前の入り込めない場所にいる方だ」


 まだおかしそうに笑う騎士と、急に不機嫌になった女性は、立ち上がって部屋を後にしようとする。


「あの、待って! 本当に……」

「追い出すには今夜はもう遅い。ここで一晩過ごして反省して、明日の朝には帰るんだな」

「会えなくてもいいんです、名前だけでも伝えてください!」

「ははっ、残念だがな、我々の伝言なんて届かない地位の人だよ」


 彼らは私に背中を向けて、狭い部屋を後にした。



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