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第14話

獣王グロムが天を仰いだ視線の先で、夜空を裂いて降り注ぐ無数の黒い剣が降り注ぐ──。

それらは一瞬の躊躇もなく、眼下の古都シルヴァニアで破壊の限りを尽くしていた赤牙戦団の魔獣人や魔獣たちへと、知性を持つかのように正確に襲いかかった。


 「グ……ギィ!?」


甲高い金属音と、魔獣の奇妙な絶叫。少女を襲おうとしていた蜥蜴型の魔獣の眉間、心臓、そして四肢の付け根を、黒剣が貫き、巨体を地面に縫い付けていた。

少女は、ただ呆然と、目の前で起きた不可解な救済を見つめる。


「え……?」


別の場所では、民家から金品を略奪し、抵抗する老婆を蹴り飛ばしていた獣人が、戦利品を漁っていた。


「ケケケ! この家は当たりだぜ! もっと金目のモンはねえか!」

「やめておくれ……!それがなきゃ、私は生きていけないんだ……!」

「なら、今すぐ殺してや……うぎゃ!?」


だが、その背後から音もなく飛来した一本の黒剣が、彼の右腕ごと、分厚い木の壁に深々と縫い付ける。


「ぐぎゃあああっ!? う、腕が……俺の腕がァッ!?」


驚愕と苦痛に顔を歪め、彼は壁に磔にされたまま絶命する。家の中で息を殺していた家族の安堵の嗚咽が微かに漏れた。


また、別の場所では……。

商店街の一角で、屈強な獣人の戦士が、略奪品を荷車に積み上げようと、逃げ惑う商人たちを棍棒で打ち据えていた。

その瞬間、空から降り注いだ数本の黒剣が、意志を持つかのように獣人の動きを予測し、その太い両腕と両脚を的確に貫き、暴虐者をその場に縫い止める。


「な、何だこれは……!?剣……!?動け……ねぇ……!?ガハッ!」


獣人は、信じられないといった表情で自身の体を貫く剣を見下ろし、やがて力なく意識を手放した。

さらに、シルヴァニアの広場では、数匹の巨大な魔獣が、円陣を組んで怯える市民たちを追い詰めていた。


「もうおしまいだ……誰か……」


市民の一人が絶望の声を上げる。

しかし、次の瞬間、天から垂直に落下してきた数十本の黒剣が、正確にそれぞれの魔獣の頭頂部から脊椎にかけて深々と突き刺さり、巨大な魔獣たちは甲高い悲鳴を上げる間もなく、地面に打ち付けられた杭のように動かなくなった。


「……!?」

「な、なんだ……!?あの恐ろしい魔獣たちが、一瞬で……!?」


それは、まさしく「天罰の剣雨」──。


「敵襲だ! どこからだ!?」

「見えねえ! 何も見えねえぞ!」

「クソッ、仲間が……ぎゃああ!」


一本一本が意志を持つかのように、見えざる射手の指示によって放たれるかのように、黒い剣はシルヴァニア市内で暴虐の限りを尽くす赤牙戦団の兵士たちだけを選び出し、的確に、そして冷酷にその命を奪っていく。

悲鳴を上げる間もなく絶命していく者、衝撃で吹き飛ばされ壁に叩きつけられる者、自らの体を貫く黒剣を信じられないといった目で見つめる者……。

先ほどまでの赤牙戦団の狂騒的な雄叫びは、瞬く間に断末魔の悲鳴と、驚愕の沈黙へと変わっていった。


「何が起こっているの……?」

「あれは……味方なのか……?」


瓦礫の陰から、生き残った市民たちが、恐る恐る顔を出す。

攻撃は、恐ろしいまでに精密であり、問答無用なまでの絶対的な冷徹さを伴っていた。神の視点から、ただ害悪のみを正確に排除していくかのような、機械的なまでの殺戮。

しかし、結果としてシルヴァニアの無辜の民たちが、次々とその牙から救い出されていることもまた、紛れもない事実であった。


やがて、空から降り注いでいた無数の黒い剣の雨が、幻であったかのように、ぴたりと止んだ。

戦場を覆っていた土煙がゆっくりと晴れ、先ほどまでの阿鼻叫喚が嘘のような、奇妙な静寂が訪れる。

残されたのは串刺しにされ、衝撃で吹き飛ばされ、絶命した赤牙戦団の兵士たちの無数の亡骸と、あまりの出来事に言葉を失い、ただ立ち尽くすシルヴァニアの民衆だけであった。


「お、おい……あれを見ろ!」


混乱と静寂が奇妙に入り混じる街の中心に、一体の騎士が、天から音もなく舞い降りた。

一切の光を反射せぬ、夜の闇そのものを切り取って鍛え上げたかのような、流麗かつ重厚な漆黒の全身鎧。

背には、巨大ながらもどこか悲しみを湛えた鳥の翼を思わせる、黒いマントが静かにはためいている。

その手には、先ほどの剣の雨と同じ材質であろう、身の丈ほどもある巨大な両刃の黒剣──古の魔剣「ノートゥング」が握られていた。漆黒の刀身の切っ先からは、今し方屠ったばかりの魔獣のものであろう、生々しい血がぽたぽたと滴り落ちている。


「……」


騎士は、ただ静かに佇んでいる。兜の面頬は固く閉ざされ、感情はおろか、その奥にあるはずの視線すら感じさせない。

しかし、その姿を見たシルヴァニアの生き残った民衆の間から、最初は小さな囁きが、そしてやがて抑えきれないどよめきと歓声が、堰を切ったように湧き上がった。


「あ……あの姿は……まさか……」

「間違いない…! あの黒い鎧と剣…『沈黙の騎士』様よ!」


恐怖に震えていた若い女性が、信じられないといった表情で、しかし確かな希望を瞳に宿して叫ぶ。


「おお……! おおぉぉっ……!魔神よ、今は亡き魔王ヴァレリウス様よ! 我らシルヴァニアの民を、お見捨てにはならなかったのですね……!」


腰の曲がった老婆が、その場に膝から崩れ落ち、皺だらけの手を天に掲げて祈りを捧げる。その目からは、とめどなく涙が溢れ出ていた。


恐怖から一転、突如として現れた救世主の姿に、シルヴァニアの民衆は沸き立った。

絶望の淵から引き上げられた安堵感、そして何よりも、あの赤牙戦団の蹂躙を止めた圧倒的な力への畏敬の念。

それらが入り混じった熱狂的な歓声が、破壊された街のあちこちから上がり始めていた。


──沈黙の騎士・サイレス。


その騎士は、常に一切の光を反射せぬ漆黒の全身鎧にその身を包み、素顔も、そしてその声すらも、魔界広しといえども誰も知る者はいない。故に、魔界の住人たちは畏敬と畏れを込めて、彼をそう呼んだ。

かつて人間連合との永きに渡る大戦においては、その姿は常に最激戦区にあったという。単騎で敵方の一個師団を壊滅させ、堅牢なる城塞都市を三天三晩飲まず食わずで戦い抜き、陥落させたという武勇伝は、もはや生ける伝説として魔界に語り継がれている。

圧倒的な武勇と、弱者には絶対に手を出さず、強者との正々堂々たる戦いを尊ぶという、魔族としては異質なほどの高潔な振る舞いは、敵対する人間たちからすら「最も恐ろしく、しかし唯一敬意を払うべき魔族の騎士」として一目置かれるほどであった。

だが、騎士が何者で、何を目的とし、厚い漆黒の面の下にどのような感情を秘めているのかは、誰一人として知らない。


そして、この高潔なる騎士は──奇しくも、魔王ヴァレリウス亡き後の、次代の魔王候補者の一人として、その名を連ねているのであった。


「サイレス様だ! 我らがシルヴァニアは、沈黙の騎士様によって救われたのだ!」

「我らも武器を取るぞ! サイレス様に続け!」


シルヴァニアの民衆たちは、目の前の圧倒的な救世主の姿に、ただただ熱狂し、その名を呼び、新たな希望に声を震わせた。

彼らの目には、サイレスこそが真の魔王に相応しい、英雄の中の英雄と映っていた。


民衆の熱狂的な歓声を、しかしサイレスは背に受けることもなく、一切の感情をその漆黒の面に浮かべることもない。

彼はただ、音もなく、しかし確実な歩みで、なおも恐慌状態に陥りながら抵抗しようとする、あるいは狼狽して逃げ惑う赤牙戦団の兵士たちへと進んでいく。


「ち、沈黙の騎士……?なんでこんなところに……おい、囲め!囲んでしまえ!一斉にかかれば、殺せるはずだ!」


狼狽しながらも、数の利を頼ろうとする赤牙戦団の小隊長が叫ぶ。


「小賢しい騎士めが!死ねぇっ!」


三体の獣人兵が、恐怖に駆られながらも槍を構え、サイレスに同時に襲いかかった。

だが、サイレスは迫りくる三本の穂先を、水面を滑るように、最小限の動きで紙一重に見切る。


「──!?」


次の瞬間、サイレスの大剣──ノートゥングが一閃する。優雅な舞の一節のように一閃。切っ先が描いた軌跡の上には、三つの首が同時に宙を舞っていた。

胴体から切り離された首が地面に落ちるよりも早く、サイレスは既に次の標的へと滑るように移動している。


「す、すごい……!一瞬であの赤牙戦団を……!?」


瓦礫の陰から見ていた少年が、畏怖の声を漏らす。


「くそ……行け!ブゴル!沈黙の騎士を蹄で踏み潰せ!」

 「ブゴォォォ!!!」


赤牙戦団の別の指揮官が、巨大な猪型の魔獣に命じる。

魔獣が、巨体と牙を武器に猛然と突進してきた。誰もがその衝撃に身構えたが、サイレスは微動だにしない。

魔獣がまさにその牙でサイレスの鎧を砕かんとした瞬間──。


「……!?」


サイレスが、ノートゥングを振り下ろした。ただ、それだけだった。

次の瞬間には、轟音とともに凄まじい剣戟が放たれ、巨大な魔獣は一刀両断され、血と臓物を撒き散らしながら蹌踉めいた。


「ブゴルが……一撃……!?」


指揮官の声が震える。

一瞬の静寂の後、巨獣は力なくその場に崩れ落ちる。

あの、恐ろしい巨獣が一撃で──


「サ、サイレス様の強さは、本物だ!噂通り……いや、噂以上に……!」

「おぉ……なんたる強さ……!何たる、高潔さじゃ……」


サイレスは、特に残虐な行為をしていた赤牙戦団の指揮官格の者──民家の扉を蹴破り、女子供に手をかけようとしていた山羊頭の獣人や、なおも抵抗を試みる強そうな個体から優先的に、「処理」していく。


「沈黙の騎士……!?」


山羊頭の獣人が声を浴びせるが、サイレスは一切応じない。ただ、ノートゥングが閃き、獣人の首が宙を舞うだけだった。


「逃げろ!こいつは……こいつは本物の化け物だ!」

「怯むな!囲め!囲んでしまえば……ぎゃあ!」


民衆の目には、それはまさに正義の鉄槌であり悪を討つ剣と映ったかもしれない。

だが、その完璧なまでの剣技と、一切の感情を見せないその姿は、味方であるはずのシルヴァニアの兵士たちにすら、恐ろしさを感じさせていた。


「美しい……だが、なんて恐ろしい剣舞なんだ……」


若い騎士が、サイレスの舞のような剣戟に見惚れながらも、背筋に冷たいものを感じていた。

美しい旋律を奏でるかのような剣戟。しかし、その旋律が奏で終わるたびに、そこには必ず、赤牙戦団の兵士の無残な死体だけが残されるのだ。

赤牙戦団の兵士たちの間にもはや戦意はなく、ただただ、この漆黒の死神から逃れようと、恐慌状態に陥って逃げ惑うだけだった。


だが、その時であった。


「……!」


殺戮を繰り広げていたサイレスの背後、いや、側面と言うべきか、凄まじい速度で何かの「塊」が投げつけられた。それは、並の者であれば反応すらできぬ不意打ち。

しかし、サイレスは振り向きもせず、ただノートゥングを一閃させた。肉を断つ音と共に、「塊」は綺麗に両断され、地面に転がる。

それは、二つに分かたれた、赤牙戦団の獣人兵だった。


「グ、グロム様……どう…して……」


両断された獣人の上半身が、最後の力を振り絞るように主の名を呼び、やがて力なく絶命していく。

それと同時に、地響きにも似た重い振動が、シルヴァニアの石畳を震わせた。


「……」


サイレスは、初めて殺戮の舞を止め、ゆっくりと振動の方向へと漆黒の面を向けた。

そこには、先ほどまで咆哮を上げていたはずの、異形の獣王──グロムが大地を確実に踏みしめながら歩いてくる姿があった。

彼は地面に転がる、かつては自らの配下であったはずの獣人たちの亡骸を、道端の小石でも踏みつけるかのように一切意に介さず、サイレスへと向かってくる。


「グハ……グハハハ……!」


その顔は、配下が殺戮されているというのに、怒りや悲しみといった感情は微塵もない。

むしろ、腹の底から込み上げてくるのを抑えきれないかのような、獰猛な歓喜と、純粋な愉悦に醜く歪んでいた。


「沈黙の騎士……サイレス……」


ただ、目の前の強敵の出現を喜び、その名を確認するかのような、純粋なまでの戦闘への渇望だけが込められていた。


「やはり、テメェだ。……ああ、そうだ、テメェしかいねぇ! この俺の、焼けつくような乾きを潤せるのは!」


ゴウッ、と音を立てて、グロムの全身から、煮えたぎる溶岩のような、赤黒い闘気が溢れ出す。

それは、周囲の空間を圧迫し、大気を震わせるほどの、純粋な破壊の意志の奔流。

サイレスはただ、その漆黒の面の下で、じっと見つめている。感情の読めない佇まいは、嵐の前の静けさか、あるいは絶対的な無関心か。


破壊の権化たる獣王グロムと、静謐にして絶対的な殲滅力を持つ沈黙の騎士サイレス。

あまりにも対照的な、しかし共に魔界最強格と目される二つの存在が、赤牙戦団の兵士たちの亡骸とシルヴァニアの民の血と涙が染み込んだ荒廃した古都の中央広場で、ついに直接対峙した。


「……」


二人の間には、もはや言葉は不要であった。

互いから放たれる、剥き出しの魔力と、純粋な闘気が激しくぶつかり合い、見えない嵐が吹き荒れているかのように、周囲の瓦礫がビリビリと震え、砕け散った石畳の破片が宙に舞う。

その圧倒的なプレッシャーは、生き残ったシルヴァニアの民衆たちに、先ほどまでの獣人たちの蹂躙とはまた異なる、根源的な恐怖と、これから始まるであろう神話的な戦いへの、抗いがたい畏怖の念を抱かせた。


ある者は、これ以上ないほど遠くへ避難しようと、壊れた家屋の影を縫って走り去り、またある者は、この世紀の対決の行く末を、固唾を飲んで見守ろうと、遮蔽物の陰から恐る恐る顔を覗かせていた。


グロムが、その巨躯に見合わぬ俊敏さで、血塗られた戦斧「大地割り」を両手でゆったりと、しかし隙なく構える。赤い瞳は、ただ一点、サイレスだけを見据え、獣のような歓喜の光をたたえている。

対するサイレスは、漆黒の全身鎧のどこにも力みを見せず、長大な黒剣を静かに下段に構えた。その姿は、これから死闘を演じるとは思えぬほど、自然体であった。


次の瞬間──。


「グォォォォォ!!!!」

「……」


世界から、音が消えたかのような錯覚。

轟音と共に、二つの影が、常人にはもはや捉えきれぬ速度で交錯した。

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